今日もニセコは、変な天気が続いています。
湿度が高く、これではまるで梅雨そのものです。北海道に梅雨がないと
いうのは、もはや神話に近いと思います。
後期高齢者医療制度をめぐって種々の議論がなされていますが、つま
るところ、問題は次の二点に集約されると思います。
つまり、一つは、国民を年齢で区別(差別)して、特定の医療制度に囲
い込むのはまづい。二つには、増え続ける高齢者の医療費をどう賄う
のか、だと思います。
第一の問題については、体制側の論客として知られる上坂冬子氏でさ
え反対しているように、長年社会のために働いてきた人々を、「高齢」を
理由に差別して「別の場所」に追いやるような社会に未来はない。この
制度は、コンセプトそのものが間違っています。
第二の問題、国と地方の累積赤字が800兆円を越える中で、増え続け
る医療費、とりわけ高齢者のための医療費をどうすべきか。
現在の政府のやり方は、社会保障予算を毎年、自動的に2,200億円削
減する一方で、道路特定財源や軍事費や在日米軍に対する思いやり
予算、テロ特措法関連予算などは聖域として手を付けず、加えて、官僚
や外郭団体によるムダは野放しのようです。
今は、非常事態なのだから、高齢者医療や、低炭素化社会の構築、格
差の是正等々、全体を俯瞰して、重点的な予算配分を行う必要があり
ます。
この点で、最近、尊敬する日野原先生が新聞紙上で、次のような提言を
されているので、ご紹介します。
「軍事費を老人医療費に」 日野原重明(聖路加国際病院理事長)
6月14日付のこの欄で後高齢者医療制度について、私の提言を述べ
たところ、読者からもっと突き詰た意見を聞きたいという反響がありま
した。あらためてこの問題について考えてみたいと思います。
まず、「後期高齢者」という老人に対して差別的ともいえるお役所用語
を撤回してほしいことです。
近年、「老人」という呼び名は敬遠されて「高齢者」が一般的になって
います。しかし「老」という言葉は、「長老」「老師」など尊敬の念をこめ
た言葉に使われています。老人の「老」は、長い人生の過程で得られ
た知恵を持つことを意味しているのです。
65歳以上を老人としたのは半世紀も前のことで、当時の日本人男女
の平均寿命は70歳にも満たなかったのです。現在では80歳を超えて
います。老人という用語を適用する区分を底上げして75歳以上として
も差し支えないと思います。
後期高齢者医療制度導入後に75歳以上の人が払う保険料は、低所
得者ほど本人負担が増すという実態が、最近の厚生労働省の調査
で報告されています。さらなる不平等を生む現行のやり方は廃止され
なければならないと思います。
しかし、高齢化傾向は今後ますます進み、老人にかかる医療費が増
え続けることは明白です。付け焼き刃な制度で国民に負担を強いる前
に、もっと工夫の余地はあるはずです。
一つの提案として、自衛隊の維持費や駐留米軍への思いやり予算な
ど軍事にかかる費用の一部を回してはいかがでしょうか。平和憲法を
守るためにも、よいアイデアだと思います。
戦後、日本は戦争を否定して平和憲法を作るという思い切った政策を
打ち出しました。平和を目指すことにおいて世界の先端を走るという
憲法上での約束を実践することに、今後も国の運命をかけるべきです。
暴力による生命の破壊の続く今日の世界にあって、日本人の健康問
題 も平和への国家的行動と関連づけて考えるべきなのです。
最後に申し上げたいのは、老人医療制度を見直すためには、老人の
意識改革も必要ということです。救急車をタクシー代わりに使う、無駄
な受診を繰り返すなど、医療費増大の要因となる諸問題をなくすため
には、個人のモラルが問われてくるのです。必要な医療が必要な人に
行き渡る社会が実現することを願ってやみません。(朝日新聞7/19)