NHKの番組で、『死について考える授業』というようなのをやっていた。
紙に自分の大切なものを複数書き、
自分が死ぬことになる場合を想定し、
一つずつ、縁を切っていくように、それらを消していく。
それで、生きていくことの意味を自ら考えさせる・・・というものだったと思う。
先日、母が同窓会に出かけた。
歳は79。 夫を亡くした人も多くいるそうで、
積立てたお金を皆で分け、今回を最後にしたそうである。
昨日、10年ほど寝たきりになっていた近所のお婆さんが亡くなられた。
そんなこんなを父母と話していたのだが、最後に
「ぽっくり逝きたい。延命処置なんていらないからね」
「わかった、紙に書いてサインして捺印しておいてね」
「ははは」
「あははは」
同じ話で何度締めくくったことだろう。
若いときの私もおんなじです。
で、自分の養育費なんかを計算し
大人になったら全額返済して自由になる・・・
なんてことを考えたこともありましたが、
いつしか忘れてしまい、娘のことや何やかんやと未だに世話になる始末です。
私も少し前に、いつ何時何が有るか判らないと想定して遺言を考えて見ました。
1、葬儀不要
2、供養不要
3、よって墓不要
これが何故か親父の耳に入りこっぴどく怒鳴られました^^。
お父さんに会われたら、
きっと美味い酒を飲み交わしながらなんでしょうね。
ご先祖様たちは、私たちのことを見ているのでしょうか。それとも、知らずにいるのでしょうか。
イメージはないですね。死ぬ直前に痛いのは嫌ですけど。
自分では寿命をまっとう出来ると変に信じています。
父は急に逝ってしまったので、会話が出来なくて
残念でした。でも自分が死んだら迎えに来てくれる
だろうから話はその時でいいんです。