日曜の朝。
叔父のとこへ
竹ン子掘りに
行ってきた。
ずいぶん昔に一度、
大多喜のタケノコ狩りで
収穫した経験はあった。
手入れの行き届いた
タケノコ農園。
見つけるのも
掘り出すのも
比較的容易。
だが今回は
自然の山。
20年ほど前から
「男は七分!」
と愛用している
(めったに着ないが)
寅壱のニッカに着替え
気合いを入れる。
入山前、
(叔)「見っけられっかぁ~?」
(俺)「どーでしょ」
(叔)「ってか、そへあっでん」
(俺)「へ???」
(叔)「おめぇの左足っ!」
(俺)「へ?へ?へ?」
(叔)「踏んでっでん!」
(俺)「あ・・・」
1本目収穫。
自分自身で
“先が思いやられる”
と感じた。
さて、
本格的に入山。
平らな地べたなど
ほぼ皆無。
(叔)「こいら辺あっど」
(俺)「え?どこだ?」
(叔)「った~!それも見っけらんねんか」
(俺)「え?え?」
(叔)「右足んとこ!」
(俺)「あっ!」
こんなことを
十数か所も繰り返し。
嵐のあとの山。
滑るは転ぶは。
気合いのニッカも
泥だらけ。
まっでド素人。
約3時間の収穫作業。
掘ったには掘ったが、
結局1本も発見できず。
くやしい。
「リベンジだ!」
火が着いちまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
当地域には、
先人からの言い伝えで、
『イナダと竹ン子は買うもんでねぇ』
とある。
この“格言”、
一般的には
ただ単に、
「貰って食うもんだ」
だ。
っが、しかし、
解釈の仕方によっては
もっと深い意味になる。
四季折々の自然に触れ、
様々な人達と交流する。
お金や時間などに
縛られない、
一番人間らしい生き方。
自然豊かで
義理人情に厚い
当地域ならではの言葉。
イナダも竹ン子も
買えばだいたい
@500円程度から。
だが、
いざ獲(採)るとなると
容易なことではない。
時間給で換算したら
とても合わない。
感謝の念に尽きる。
あらためて
そんなことを感じた
後厄の春。
叔父のとこへ
竹ン子掘りに
行ってきた。
ずいぶん昔に一度、
大多喜のタケノコ狩りで
収穫した経験はあった。
手入れの行き届いた
タケノコ農園。
見つけるのも
掘り出すのも
比較的容易。
だが今回は
自然の山。
20年ほど前から
「男は七分!」
と愛用している
(めったに着ないが)
寅壱のニッカに着替え
気合いを入れる。
入山前、
(叔)「見っけられっかぁ~?」
(俺)「どーでしょ」
(叔)「ってか、そへあっでん」
(俺)「へ???」
(叔)「おめぇの左足っ!」
(俺)「へ?へ?へ?」
(叔)「踏んでっでん!」
(俺)「あ・・・」
1本目収穫。
自分自身で
“先が思いやられる”
と感じた。
さて、
本格的に入山。
平らな地べたなど
ほぼ皆無。
(叔)「こいら辺あっど」
(俺)「え?どこだ?」
(叔)「った~!それも見っけらんねんか」
(俺)「え?え?」
(叔)「右足んとこ!」
(俺)「あっ!」
こんなことを
十数か所も繰り返し。
嵐のあとの山。
滑るは転ぶは。
気合いのニッカも
泥だらけ。
まっでド素人。
約3時間の収穫作業。
掘ったには掘ったが、
結局1本も発見できず。
くやしい。
「リベンジだ!」
火が着いちまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
当地域には、
先人からの言い伝えで、
『イナダと竹ン子は買うもんでねぇ』
とある。
この“格言”、
一般的には
ただ単に、
「貰って食うもんだ」
だ。
っが、しかし、
解釈の仕方によっては
もっと深い意味になる。
四季折々の自然に触れ、
様々な人達と交流する。
お金や時間などに
縛られない、
一番人間らしい生き方。
自然豊かで
義理人情に厚い
当地域ならではの言葉。
イナダも竹ン子も
買えばだいたい
@500円程度から。
だが、
いざ獲(採)るとなると
容易なことではない。
時間給で換算したら
とても合わない。
感謝の念に尽きる。
あらためて
そんなことを感じた
後厄の春。
ミョウガはいれないでネギと味噌と生姜
タケノコは甘辛く、しかもシャキシャキ感を残して
締めはタケノコの味噌汁
イナダのロコモコもいいね~
あっ、私はなびっぺ見てたらここへたどり着きました。