ごじゃ満開

いすみ市内外の隠れた情報と
ちょっとしたエッセイ。

二の丑

2009-07-31 21:39:13 | Weblog
今年、
まだ、

ウナギ喰ってない。



そんな中、
大原ちょうちん時代祭
の準備に出た。
毎年
商工会青年部が
参加協力してる
イベント。
今年で
13回目を迎える。

例年は
大原地区部員だけの
作業なのだが、
今年は
青年部全体で
各地のイベントに
参加協力しよう
というコトとなって、
夷隅・岬地区からも
部員が集まった。

予定の集合時間よりも
早めに出てきて
作業をしてくれた
部員もいたお蔭もあって
終了予定時刻よりも
早く終わった。

スバラシイ。

俺は
メンバーの中では
最年長。
今年度で
卒業見込み。
若い部員に
ある程度任せよう
と最初のうちは
口出しせずにいたけど
高所作業や
安全なロープワーク
をしなきゃいけないので、
結局
指示から実働へと
やってしまった。

こんなときでも
「KY(危険予知)活動」
しなきゃいけません。

「安全第一」と
「楽しんでナンボ」を
両立させなきゃ
いけないかんね。

8月2日が本番。
スタミナつけて
ガンバロッ!!

あ、
ウナギ
喰わなきゃ。

ナイン

2009-07-31 15:51:58 | Weblog
第91回
全国高等学校
野球選手権
千葉大会

八千代東高校、
ノーシードからの
勝ち上がり、
春夏通じ、
めでたく
甲子園初出場
を決めました。



はたまた
Bシード
成田高校。
今大会、
4割を超える
チーム打率と
2年生エース
中川君を擁しながら
彼の好投むなしく
5回戦で
姿を消してしまった。

出場175校中
16強。

中川君は
茂原市出身。
佐倉シニアを経て
成田高校へ入学。

同校卒業生
現千葉ロッテマリーンズ
唐川投手も
太鼓判を捺す
ピッチャー。

中川君は
来春センバツ、
そして
プロを目指し
秋季大会から
リベンジをはかる。



って、
なんで
こんな話かって、
実は、
中川君のパパと
仕事のお付合いが
ありまして、
今日、
たまたま
中川パパとの
打合せがありました。

仕事の話の後、
県予選を振り返り、
「負けた試合、9回に6点差をひっくり返された。(中略)まさかと思った。油断大敵ですョ。」

悔しさ
にじみ出る表情で
話してくれた。

「敗戦理由は多々あれど、負けは負け。って息子はもう気持ちを切替えてます。しばらく家に帰らないって言ってます。お盆も帰ってこないかも。」

と。

若い人たちの
ポジティブな目と
負けん気、
我々もシッカリ
持たなきゃいけない、
って
改めて気付かされた
カンジ。

長い不況を
打破するには、
それだな。

いすみ市商工会青年部ナインもガンバレ!

リハーサル

2009-07-30 20:44:34 | Weblog
夕方、
大原文化センターに
行ってきました。

仕事の打合せです。

来年の
千葉国体に向けた
『リハーサル大会』
ってのが
9月、
種目毎に県内各地で
開催されるそうです。

っで
それに伴った
『備品』を
作ってほしいとのこと。

いすみ市は
ご存知
『ホッケー』。

ところで、
行政や関係団体は
ともかくとして、
いすみ市の一般市民は
認知してるのかな?

なんだか、
あんまり
盛り上がってないような
気がしません?

受け入れ体制、
どーなんかね。

祭り準備の時期だけに

「知ったこっちゃねェ」

かもしんないね。

一言、
「ひとごと」。

『受け入れ下手』
な地域性だけに、
もっと周知して、
もっと
「千葉県」
「いすみ市」
を上手に
アピールする術を
身に付けなきゃいけない
と思う。

いすみ市商工会青年部は
『おもてなし』の術を
多少は勉強してるから
なんか考えても
いいかもしんないね。

なんか思いついたら
ココにアップしてみます。

老人と夏

2009-07-29 18:18:14 | Weblog
午後イチ、
大原台の
あるご老人夫婦
のお宅へ
行ってきました。

小さなお仕事でしたが、
仕上りをご覧になり
たいへん
お気に召されたようで

(婆)「まあステキ、いいわねぇ。暑い中、申し訳なかったわねェ、あがってお茶してって」
(俺)「はい、ありがとうございます」

お言葉に甘えて
お宅へお邪魔させてもらった。

新興住宅地には
あまり見られない
純和風のたたずまい。

リビングに通されると
最近見かけない
レーザーカラオケ。
お爺さんの趣味だという。

ソファーに腰かけると
冷たいサイダーと
熱い日本茶、
涼しげで上品な
和菓子を出された。

お話しを聞くと、
以前は
佐倉にお住まい
があったそうで
ご夫婦そろって
日本電信電話公社
(現NTT)
にお勤めだったそう。
ほとんど
都内へ通勤だそうな。

定年後
大原台分譲初期、
佐倉から
「移住」
してきたとのこと。
二十数年になるという。

(婆)「当初しばらくは老人会とかつくって楽しくやってたんだけどねェ、だいぶ死んじゃったわ。老人会解散しちゃったわ。ねぇ、お爺さん。でね、こっちに新しく引越してくる人、だいたいが60歳過ぎ。定年後。私たちもそうだったけど。ねぇ、お爺さん。エヌテッテ(NTT)に勤めてる頃、お爺さんはアチコチ転勤だったけど、私は同じ局に30年。30年よアナタ。局長が5人も替わったわ。オツボネよ私。ねぇ、お爺さん。」

お爺さんは
庭を眺めながら
軽く笑みをうかべ
(爺)「うん」

俺は
涼しげな和菓子に
手をつけるタイミングを
のがしていた。

そんな
お茶の時間が
あっとゆー間の
1時間。

お婆さんは
楽しそうに
お話しを、
お爺さんは
物静かに
うなずく。

おそらく
久しぶりの
「来客」
だったのだろう。



キリのイイ
タイミングだけは
逃すまいと
お婆さんの話しの
キレメに

「スミマセン、なんだか長居しちゃって。っじゃ、このへんで」

と席を立つと

(婆)「これ持ってって」

と、
缶ビールの
6本パック
をくれた。

(婆)「忙しいのにひきとめちゃってゴメンネ」
(俺)「いえいえ、なんだか、かえってスミマセン。ご馳走様でした。またご用がございましたら、ご連絡ください」

お二人は
門の外まで
出てきてくれた。

車を発車させると
ルームミラー越しに
手を振るご夫婦。
俺は半身後ろ向きで
軽く会釈。



この1時間、
もう一つ
小さな仕事をしたのかも。

GEISHA

2009-07-28 10:06:07 | ロハスな・・・
朝4:30。

起きちゃった。

雨上がり、
東のお空も
ほのぼのと、
タバコに火を着け
寝起きの一服。

栽培している
オクラを見てみたら

薄黄色いツボミ。

「おっ、咲くね。」

同時に目に入ったのが
はとぽっぽ。

「おっ、はとぽっぽ。・・・んっ?はとぽっぽ?なんでコイツはとぽっぽってゆーの?正式な名前はナニ?」

ヤホーで
[はとぽっぽ 虫]
と検索してみた。

調べてくうちに
「アオバハゴロモ」
と出てきた。

「青翅羽衣」。
キレイな名前ね。

一部の地域では
「はとむし」
「ぽっぽ」
「ぽっぽむし」
とかで呼ばれてるらしい。

少なくとも
俺のまわりでは
「はとぽっぽ」。
呼び名の由来は不明。

更に調べてくと、
学名が
“Geisha”。

「芸者?なんで?」

どこが“Geisha”に見えるのか?
勝手な命名だ。
外国人にはそう見えるのか?
こんな格好の芸者がいたのか?
“Gyoku”とは呼ばなかったのか?

ま、
鳩には見えない
この虫を
「はとぽっぽ」
と呼んでる
日本人も変だが。

解説を読んでみると、
「植物の汁を吸う害虫」
とある。

「んっ?害虫?」

実害は
あまり無いそうだが、
大量発生すると
ヤバイらしい。

とりあえず
早速駆除と
手を出したら

「ピョン!」

と飛んでっちまった。

“Geisha”は
簡単にはつかまらない、
ってコト?

なんて
考えてたら
左手の指が
熱く感じるのに気付いた。

4本目のタバコが
短くなってた。




ただ単に

2009-07-27 22:55:43 | Weblog
あっつった。

朝のニュースの
天気予報、
『曇り』
って言ってたのに、
日中
現場で
燦々SUN。

午前中は
通り雨のあと
すぐさま
ピーカンで
ムシムシ。
午後から
西日が
ガンガン。

熱中症とか
日射病とか
言いたくないが、
『頭ん日がへぇる』
っつうのは
こーゆーこった、
って、
改めて感じたな。



っだもんっ、
今夜は
生。

写真は
御宿のZERO。

マイダーツ
持ってったけど、
触らずじまい。

呑んで
しゃべって
笑って
お勘定。

………
夏だね。
夏らしいね。

っさ、
明日も
ガンガン
働こ。

生、
やっぱ
ウマいもんね。


ばたばた

2009-07-26 23:19:10 | Weblog
日曜日、
午前中、
この
あっちぃ~なか
仕事してた。

午後、
長い休憩したあと、
日頃
お世話になっている
お宅への
オツカイモノ
(暑中見舞い)
があったので
茂原へ行ってきた。

コトはついでと、
茂原七夕まつり
にも繰り出した。

榎木町をぶらり。

今日は最終日。

人手はソコソコも、
七夕飾りの
ちょいと
寂しいこと。

「よさこい」
も見ないできたので、
正味、
単なる
「夜店祭り」
を堪能しただけ。

なんだか
くたびれに行ったようなもんだな。



車、
エアコン
ガンガンかけて
帰ってきた。

発泡酒呑んで
寝る。

っで、

2009-07-25 21:02:05 | Weblog
カインズです。

必要なモノの
買い物を済んで、
外へ出たら
ドナルドが
くつろいでいた(写真)。

実は、
この写真を撮る寸前、
「彼」の左隣に
いかにも農家であろう
ホッカムリした
お婆ちゃんが
チョコンと
座ってた。

ちょっと
面白い光景だったので
試しに、

「スミマセン、写真撮らせてもらってイイですか?」

って聞こうと思ったら、
聞こうと思ったらぁ、
タイミング悪くぅ、
50歳前後であろう
小柄な
娘らしき女性が
マックの店内から
出てきてぇ
お婆ちゃんにぃ

「お待ちどうさま」

って、
手を引いちゃったんよ。

お婆ちゃんが立ったら
ナント、
その小柄な女性よりも
小さかった。

腰を
90°に曲げて歩く
お婆ちゃん。
全高二尺五寸。

けっこう
カワイく見えた。
(^_^)

テケテケ歩く姿を見ると
若い頃は
チャキチャキ
歩いてたのかな、
なんて
想像してしまった。

今日の
そんなこと
思い出しながら

のほほォ~んと
一杯
やってます。


Around 85

2009-07-25 15:03:40 | Weblog
仕事の打合せで
茂原市東郷へ
行ってきた。

打合せを終え、
ついでの用事で
カインズに行くため
東郷から
本小轡(ほんこぐつわ)
へぬけようとしたら

【掩体壕700m→】

って看板が出てた。

「掩体壕」
ってのは、
だいたいなんだか
知ってはいたが、
近くでマジマジと
見た事はなかったので、
せっかくだからと
ちょっと
寄ってみた。

っで、
写真がそれ。
後方から
撮ってみた。

近くで見ると
ちょっと大きい。
中も
テニスコート
1面分はあろうか。

説明書きによると

「戦時中で基地造成の人手が不足していたため当時の長生中学校や茂原農学校の生徒、周辺の人達等を動員して急いで造った。」

と、ある。

「当時の長生中学校や茂原農学校」
ってことは、
現在の
長生高校と
茂原樟陽高校
(うち、旧茂原農業高校)。

「~の生徒」
ってことは、
普通に
計算すると
現在
85歳前後。

うち、
学徒出陣などで
出兵された方々も
おられるでしょうから、
当時、
この築造に
携わった方々が
現在、
どれだけご存命か・・・

終戦記念日を前にして
ちょっと
お話しを
聞きたくなってきた。



今後、
当時の事を知る
「語部」
が少なくなってくるのは
寂しくも
少し
「怖い」
ことでは
なかろうか。

そんなことを
思いながら
2匹の蚊に
喰われながらも

『パシャッ』

カインズへ
向かった。