ごじゃ満開

いすみ市内外の隠れた情報と
ちょっとしたエッセイ。

復旧作業開始

2011-09-29 07:26:22 | Weblog
今月初旬に故障し
修理に出していた
ケータイが返ってきた。

っつうか、
同型新品がきた。

「こんな旧モデル、どーせメモリーがパーだし、直す手間考えたら在庫処分したほうがいいんじゃない!?」
(メーカー談?)

んなことだろ。

ま、
使い慣れた機種で
新品なんだから
文句言うまい。

だが、
全てのメモリーが
パー。

約700件分の
電話帳の復旧には
困難を要す。



ここでお願い。

私のケータイメアドを
ご存知の方、
あなたのお名前と
電話番号を書き添えて
私のケータイに
送信してください。

私の電話番号だけを
ご存知の方、
私のケータイに
「ドコゾのナニガシだ!」
と名乗ってから
電話を切ってください。
ただし、
「おれ、おっだお!」
などというのは
ご遠慮下さい。

ちなみに、
私のケータイは
auです。



これからは
バックアップ体制を
整えておきます。

お手数おかけしますが
宜しくお願い致します。

うるう年

2011-09-28 18:14:35 | Weblog
祭りで日焼けした
肩や背中が
むずがゆく
皮がパラパラ落ちて
おっかに
「外で脱いで!」
などと怒られるような
今日この頃、
皆さんいかが
お過ごしでしょうか。

まめっぱです。

さてさて、
そんな祭りの余韻
覚めやらぬこの時期に
来年の話しも
なんなんですが、
その、
来年9月の
カレンダーを
見てみると、
秋分の日が
“9月22日(土)”
となっている。

「へ?ハッピーサタデー?いや、そんなもんない、なんで?」

[秋分の日]→[検索]で
wikipediaで
調べてみた。

『秋分の日は毎年9月23日ごろ。(中略)天文計算上、1979年は9月24日で、1980年から2011年までは毎年9月23日で変わらず、その後2012年から2044年までは閏年に限り9月22日、平年は9月23日と計算される。次に9月24日が秋分となるのは2103年となり(22世紀もこの年1度だけ)21世紀中には生じない(ただし、9月24日が振替休日の年もある)。』

と、ある。

来年以降、
当面は、
うるう年の秋分の日は
9月22日となる。

となると、
そのうるう年の来年、
祭りの日は
どうなるのか?

観光協会発行の
カレンダー、
9月のページには
標記されていない。

未定なのか?

例年通り
9/23を
初日にするのか?
それとも、
暦どおりの秋分の日を
初日とするのか?

来年の秋分の日、
9/22は
土曜日。

開催を
9/22・23
とすれば、
土日開催となって
担ぎ手も観光客も
人手が見込まれる。

来年は
そうしたほうが
いいとは思うが。

上記、
『1979年は9月24日』
とあるが、
当時は
どうしてたんだろ?

その当時、
俺は小4。

その頃はまだ
ダボシャツ着てて、
イタズラで
顔に金粉付けて、
村廻りだけが楽しみな
アホなガキだったのは
覚えてはいるが、
そのほかは
あまり覚えていない。

これらの件に関して
ご存知の方、
コメントいただけたら
ありがたいです。

~マチまで、あと36?日~

祭 ~あとがき~

2011-09-27 13:00:35 | 例大祭
今年、
マチやった誰もが言う、

「いいマチだったね」

という言葉。

昨年のコトがあったから
なおさら。

俺が思うに、
みんながみんな、

「いいマチんすっべんにか!」

という気持ちが
あったから、
結果、
そう言えるんだ、
そうなったんだ、と。



また来年も
いいマチやっべんによ!

~マチまで、あと362日~

祭⑨

2011-09-27 12:59:55 | 例大祭
お宮直前で
一旦神輿を置く。

単なる休憩ではない。

確かに
疲れてはいるが、
まだまだ
しまいたくはない。

この時間を、
この2日間を、
この一年間を、
惜しむかのように
ただただ
じっとしている。



(若)「まめっぱさん、唄える?」
(俺)「なんとか(声)出るようにはなったよ」

すると、
祭典長補佐が、

(補)「じゃ、前でやってください」

こんな声でよければと
こころよく引受けた。

(補)「やっどぉ~!」



甚句。

唄い手6人。

担ぎ手ら、
変わり手なくとも
うんならかす。

唄いながら
目頭が
熱くなってきた。



なかなか
鳥居を
くぐろうとはしない。

押す、
引く、
抑える、
ぐずる。

俺の喉も
イッパイになってきた。



あーだこーだと
やりながら、
神輿は
やっとこさ
鳥居をくぐった。



木遣。

唄い手4人。

鳥居から
お社までの参道を
じわりじわりと
押していく。

25日午前4時頃。

ふと
上を見上げた。

まだ星が輝いてた。



即興で、

祭り騒ぎも
 夜露と消えて
星もキレイな
 宮の森



また自分勝手に
感極まって
空を見上げた。



ここでも
まだまだ
押す、
引く、
抑える、
ぐずる。

なにげに、
だんだん
楽しくもなってきた。



神輿、
お社の着いた。

「やれやれやれぇっ!」
「っしゃぁ~!」
「すぉ~りゃ!」
「っふぅりゃ!」

お社の周りを
3つ廻り、
みんなでたかって
神輿を
高々と投げ上げた。

投げ上げた。

投げ上げた。



神輿がばらされ、
お社に納められた。



終わった。



氏子総代、
祭典長以下、挨拶。

役員の目には
涙。

涙。

涙。

去年とは違う
涙。

(これ書いてて、思い出してまた涙)



氏子、解散。



・・・かと思いきや、
子供ら数名が、

「朝日見に行きたい」

って
そいやがった。

当たり前のように
その中に
たかっぱもいた。

(俺)「ばかたれ!」

確かに、
東の空は
ほのぼのと
しはじめたが、

(俺)「日が昇るまで、まだ1時間以上あっど」

とさとすと、

(た)「じゃ、海岸で遊んでる」
(俺)「・・・・・」

付き合うことにした。



風も強く、
少々肌寒いが、
子供らには
そんなもん
関係ないようだ。



♪(シクラメンのかほり)
疲れを知らない
子供の様に~

まさに
そのとおりである。

水平線の上には雲。

日の出の時間も
まだまだ。

(俺)「っしゃあねぇな、これもマチか」



雲の上から
御来光が見えた。

(俺)「ほら、おめぇら、並んでお天道様に顔向けろ!」



素直ないい子らだ。



こんな時間にも
かかわらず、
おっかが迎えにきた。

いいおっかだ。

~終わった~

祭⑧

2011-09-27 12:53:11 | 例大祭
商店街の
自由渡御を終えると、
いつも休憩所として
使わせてもらってる
店舗で、
感謝の意味を込めて
そのお店の前で
子供らが唄で締める。

以前、
俺が若衆の会長を
請けてたときに
提案させてもらった。

以後、
定着したようだ。



木戸泉前
六社の別れ。

既に、
この祭りの
名物とも化した
人気の場面。

キレイです。

でも、
寂しいです。



その後、
帰路。

途中、
瀧口神社、
熊野神社、
大山神社と
寄らせてもらい
ご馳走になる。

それに伴って
併せる神輿が
一社ずつ減っていく。

最後は
日在の南北境で
大山神社との
送り送られ。

義理の
寄せ合いなのか、
根性の
叩き合いなのか。

互いの神輿が
何度も何度も
併せる。

みんなの気持ちが

「この辺でいっぺや」

となり、
双方は別れる。

~つづく~

祭⑦

2011-09-27 12:52:06 | 例大祭
商店街渡御。

俺は
唄えないので
神輿の後方につく。

いいお天気で
上半身日焼け。

その肩にのしかかる
守棒。

肩ヒリヒリ。

神輿の前では
子供らが唄う。

まだまだ元気。

その元気さに
癒されたのが
救い。



うんどーば、
大別れ式会場。

途中、
急に神輿が降ろされ、
走り出す。

「あんだおあんだお!」

担ぎ手が少ない。

変わり手が少ない。

でも、
やるしかない。

みんな元気良く、
「そらやっ!」
「っしゅぅりゃっ!」
「っふぅりゃっ!」

俺は、
「っしゅ…っしゅ…」

・・・汽車ぽっぽ。

後ろのキリ棒、
4~5人でまわす。

けっこうキツイ。

3つ廻って
たいしてぐずらず
納めて投げ上げた。

この人数で
そんなに
やらんない。

でもみんな、
上手にキレイに
やろうと思ってる。

それでいい。



さ、
オーラス。

各社が神輿を
高々と上げ、
別れを惜しむ。

最後に
うんどーば中央で
併せていたのが
小佐部と若山の
熊野神社。

台風12・15号の影響で
紀州の熊野三山
(全国約3000ある熊野神社の総本社)
が、
甚大な被害を受けた。

それもあって
併せていたのかは
不明だが、
最後、
熊野神社2社と
大原八幡神社、
玉前神社の4社が
併せた。

なにげに、
自然災害被災4社の
揃い踏みとなった。

これ以上、
不幸な災害に
遭わないようにと
別れ唄を唄いながら
祈った。

「ん?」

唄ってる。

ガラガラながらも
唄えてる。

「お!?」

油断はならぬ。

温存しとこう。

~つづく~

祭⑥

2011-09-27 12:49:02 | 例大祭
村廻り。

「ほらやっさ」
「ふりゃぁっさ」

元気なかけ声。

休憩中は
皆が楽しそうに
呑んで喋る。

一杯やりながら
唄の輪もできる。

喋ることも
できない俺。

精神的疲労度も増し、
ストレスもピークに近い。

休憩中やることは
アイス食ったり
マッサージしたりと、
喉のケア。



この日も
昼食は玉前神社で。

大山神社も
来てくれてる。

個人所有の
手作り神輿が
子供らと共に
境内を舞う。


このあと
日月神社と
長者の
臼井神社と合流し、
特養老施設へ
慰問に行った。


臼井神社と別れ、
我々は連なり
大原八幡神社へ
参集するため
日在から南町まで
長いロード。

農協の直売所で
一旦休憩も、
時間がないとのことで
すぐさま出発。

付いて行くのが
やっと。

病み上がりの体に
スタミナのキャパが
小さかったのか…

担ぎ手が少ないのに
申し訳ない…



大原八幡神社では
千葉チャンも
取材に来てた。

南北日在の
若衆と子供らが
ひとかたまりで
なにやらやってた。

(千)「じゃ、みんなで『大原はだか祭り、最高!』って言ってください!」
(日)「っせ~のぉっ『大原はだか祭り、最高ォ~!』っよぉ~!」

・・・最高だろうよ。

ホントに
最高なんだから。

~つづく~

祭⑤

2011-09-27 12:47:10 | 例大祭
9月24日。

朝、
目覚めたら
声が出ない。

まったく出ない。

元々、
嗄れやすい
声帯。

カラオケとかで
吉川晃司や
久保田利伸らの
歌なんかを
連発でやっちゃうと
もうダメ。

前日、
そんなに
やらかしたつもりは
ないのだが・・・

(お)「喋れるの?」
(俺)「(-_-)・・・」
(お)「唄えんの?」
(俺)「(-_-)・・・」
(お)「マチやれんの?」
(俺)「(-_-;)《いいから喋らせんな!!》」
(お)「ダメじゃん!」
(俺)「(T_T)・・・・」



朝のお宮。

話しかけてくる人に
笑顔でうなずいたり
首をかしげたり。

(若)「えぇっ!?まめっぱさん、もう(声)出ないの?」
(俺)「(*^_^*)」
(若)「甚句・木遣、ダメじゃないっすか!?」
(俺)「(*^_^*)」

多少、
しゃがれた声ならば
味があって
いいのだが、
これほどまで
声が出ないと、
唄どころか
かけ声も出せず
力が入らん。



失意にて
不本意な2日目の
スタートである。

~つづく~

祭④

2011-09-26 17:20:16 | 例大祭
歓喜の汐ふみを終え、
一路、
商店街へ。

我々玉前神社は
着替える場所がない。

ずぶ濡れのまま
神輿を運ぶ。

こっからがまた
長い。

やっとこさ
指定の場所に到着。



商店街渡御。

子供らが唄う。

大人が簡単には
割り込めないほど
ガンガン唄う。

それ見て
嬉しくなって、
目頭が・・・。



大原小グラウンド、
通称“うんどーば”
大別れ式会場。

玉前神社の神輿は
ゆっくりゆっくりと
大人だけで
唄い踊りながら
大外を半周。

やっと唄える。

そして、
走る。

走る。

走る。

3つ廻って
ぐずらずに
すんなり納め、
高々と神輿を
投げ上げる。

観客に一番近い
ポジション。

拍手が沸く。

もう、
簡単に
涙がでるように
なってしまった。

年とったのか・・・?



神輿を置き、
しばし待つ。



花火の合図と共に
神輿を上げ、
出口付近へ
神輿を寄せる。



去年、
このあとに
あの落雷。

今年は
「人工衛星!?」
なんて心配も。



大原八幡神社と
玉前神社が
出口両サイドで構え、
十六社を送り出す。

昨年、
迷惑かけたことの
お詫びとお礼だ。

十六社が抜けた後、
大原八幡神社と
玉前神社が
ゆっくりと寄り添い
神輿を併せる。

神輿を高々と上げ、


わ~けもんど~も
わ~か~れ~が~
つ~ら~い~・・・

拍手も起こった。


お~お~て~
わ~か~れ~が~よ~
な~け~りゃ~よ~い~

絆の深まる
ひとときだった。



空を見上げてみた。

両社の守棒の間から
“W”の文字を
くっきりと描いた
カシオペアが見えた。



星が
にじんで見えた。

~つづく~

祭③

2011-09-26 17:17:37 | 例大祭
祈願祭会場である
大原漁港荷捌所、
通称“販売所”。

そこへ着くまで
唄い踊る。

隣り併せた神輿との
唄バトルとも化す。

販売所前。

子供らを避けさせ
肩に入れてた神輿が
降ろされる。

「よォ~いとォ、やァ~っさァ、ふりゃァ!」

走り出した。

リズムもいい。

気持ちいい。

販売所の周りを
キッチリと3周。

販売所へ入り、
神輿を投げ上げる。

当然、
俺も入る。

キレイだ。

バランスもいい。

高さもいい。

気持ちいい。

ここでも
涙ぐんでしまい、
神輿を置いた瞬間、
目の前にいた先輩に

(俺)「○○さぁ~ん!わ~んっ!」

抱きついてしまった。

(先)「・・・あ、うん、いいんじゃない?」



これといって
何のわだかまりも
ないのだが、
何かが吹っ切れた。

手甲や腹巻らを外し、
汐ふみフォームに。

やる気マンマン。



二矢ならぬ
三矢放流の儀が
執り行われた。

五穀豊穣で一矢、
大漁・航海安全で一矢、
そして
被災地復興で
東北へ向けて一矢。

それぞれの
思いをのせて
3本の矢が放たれた。



汐ふみ会場へ。

今年は
うんならかさず、
提げて会場まで運ぶ。

海水浴場駐車場を
通り抜け、
砂浜に入ると
既に数基の神輿が
肩に入れて並んでた。

我々も同様に並ぶ。

「外から見てぇ~!」



全基が並んだ。

花火の合図で
一斉に全基の神輿が
高々と上がる。

三陸へ向いている
大原海水浴場の
海岸線。

ほらやっさ!
ほらぁ~さ
ふりゃぁ~っさ!
っらぁ~っさ!

復興を祈願し、
氏子達が叫ぶ。

歓喜。

(…これだお~っ!)

っで、
また涙。

~つづく~