大切なキモチ

感じるままに、日々思ったことを書いていこうと思います。

余命

2009-03-28 | その他
死にたくないのに、人が自分の死を自覚する時って、どんな状況なの。

この先まだまだ生きると思っていたのに、
急に余命を突き付けられた時、
どんな心情におちいるの。

それを宣告する医者達は、どんな思いで言っているの。

残された家族はどんな気持ちになるの。

長年病気をわずらってきての余命宣告と、
まだまだ生きると思っている状況でのあと○ヶ月ですという死の宣告とでは、
本人も周りの家族も、受ける気持ちはぜんぜん違う。

聞かされない方が良かったのか、
聞けた方が良かったのか、そんなことは気持ちが揺れる状況によって変化する。


自分ができることは何だろう。
自分に求められることはなんだろう。

はっきりした答えはでないかもしれないけど、
まずは本人が望むことを聴きたい。

今この時間にも世界では、亡くなっている人がいると思う。

一人ひとりの命の重み。

生まれてきて、死んでいく人生の営み。

いろんなことを考えていると、さいごに行き着くところは、
大切な人たちと会話できて、笑いあえて、
「行ってきます」「ただいま」って言える
あたり前の普通の生活を続けられることが、
やっぱり自分にとっては、幸せを感じられる原点だなって思える。

それぞれの立場があって、
それぞれの家庭があって、
それぞれの人生がある。

生かされているって考えるのか、
生きているって考えるのか。。。
どちらでも良いけど、
命があるってことは、
いろんなことを感じられて、経験できて、人と接することができる。

嫌なことも逃げたくなるような試練も、
日常の些細なストレスも、
悩んだり、死にたくなるような出来事も人生にはあると思うけど、
でも、生きていればやり直せるし、関われる。


人には皆寿命があるけど、
その寿命の期限を言い渡されてしまった時、
自分の大切な人があと数ヶ月で亡くなること知らされた時、
動揺して、葛藤して、
死を迎えるときまでの間、何かしたいと思っても
自分は何もできずに終わってしまうのではないかなって思う。

結局、何もできないというのを自分自身で受け入れれば、
結果、何かできることにつながるかもしれない。


今自分にできそうなこと
*手紙を書く。
*会いに行く。
*電話をする。


残された時間は短いかもしれないけど、
できる限り、存在を感じられる関わりをしたい。

冷静にふるまおうとする自分と、
崩れ落ちそうになる自分とが交互に出てきて、
本当は大切な人が死ぬことなんて考えたくない。

でもできることから一つずつやっていこう。

一人じゃないからできる。
一人じゃないから心が萎えない。
皆で考えるから支えられる。


伝えてくれてありがとう。

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