大切なキモチ

感じるままに、日々思ったことを書いていこうと思います。

誰かのために。

2008-06-30 | その他
昨日、ある本を検索していた中で偶然出会ったブログに、
「一生やり続けたいと思えるものに出会うには?」というテーマで以下の文章が書かれていた。

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「…略…
実は、何年経っても変わらず同じことを続けられる人は
自分のやりたいことを見つけた人ではありません。

自分が他の誰かのためにできることを見つけた人です。」

そして、コメントをした人の文章が引用され・・・↓
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目的を行動のモチベーションにまで高めるためには
個人の持っている能力に拠るところが大きいような……。
目的を継続のエネルギーとするためにやっていることとかあったりするのでしょうか?
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それに対しての返答が書かれていた。↓

「僕にとって目的を継続するエネルギーとなっているのは、
自分のやっていることが多くの人の役に立っていると思えるものを増やすことです。
増やすといっても、何かを新しく始めるってことばかりではありません。
今の自分のやっていることがどういう理由で誰の役に立っているのかを
想像力を働かせて考えることが一番の方法だと思っています。」

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私は、作業療法を知らない人に、簡潔に分かりやすくイメージを伝えて説明することは未だできない。
けれど、作業療法の考え方や哲学が大好きだ。

だから、一生仕事の基本にしたいと思っている。

上の文章でまず、「誰かのためにできることをみつけた人」という所で留まり、
自分が退職していろいろ考えてきた中で、
再確認できたことの一つとリンクする部分があって、
その言葉が素直に自分の中に入ってきた。

そして、その後のモチベーション~という部分で、
そのブログの中で言われている一生やり続けたいと思えるものというテーマとは少しずれるかもしれないけれど、
私の頭の中では、ご利用者さんのことを思い浮かべていた。

私のやり続けたいことは、作業療法に関わることで、
その作業療法の中で出会う方達は、大半が人生の後半を生きている高齢者の方達。

上述の文章を読んだとき、
ご利用者さん達のご希望や思いから行動化へとつなげていく過程や、
目的に向けて行動を継続するエネルギーを維持していくためのヒントが書かれていると思った。

つまり、「誰かのため」に自分ができることがあると思えること。
ご本人さんがそう実感できる何かがあるかないか。

友人のために、家族のために、町内会の皆さんのために、職員のために………etc.

自分に置きかえて考えてみても、自分一人のためだったら行動しないことなんて沢山ある。
病気になって心身が今までと同じようにいかなくなったらどうだろうか?
病気そのものに対しても何に対しても、自分だけのことに意識が向いてしまう状態だったらやっぱり気力が萎えるだろうし、続かないだろうな。

でも、友達が喜んでくれるかもとか、役に立てるならとか、
自分がやってみることで誰かのためになるんだって思える時にはエネルギーがわいてくるのじゃないかって思う。

私が尊敬しているOTから聴く話の中に出てくる方達は、
私はお会いしたこともないのに、どんな生活をしていて、どんな方なのか、
話を聴き終わった時点で、頭の中でなんとなくその人物像や家族との関係がイメージ化されている。
それはそのOTがその人全体をきちんと捉えられているからだと感じる。


普段の生活の中で、私たちは何のためにその「作業」をしているのだろう。

自分のためだけにおこなっていることはどのくらいあって、
誰かのためにおこなっていることはどのくらいあるのだろう。

誰かのためっていっても、自ら進んで行うことから人から言われてやることまで様々。

心身ともに健康で、日々忙しくて、家族や人に囲まれた環境にいる時には、
仕方なくやっていたことや、煩わしく思ったり、面倒くさく思っていたことなんて沢山あるだろうし。


以前にも書いたことがあるけど、
実習で、ある作業療法士の方から言われた言葉、
「ご利用者さんに、『ありがとう』と言える場面はとても大切だ」と。

デイに来ている方達は心身どこかに不自由を抱えている。
だから、介助してもらってありがとうと人に言うことは多くあっても、人からありがとうと言われるようなことは減っていると。

「ありがとう」って、誰かのやりとりの中でしか生まれない言葉の一つ。

よい言葉だなあって思う。


どんな些細なことでも、誰かのためにできることがあるって
もしかしたら生きる希望を失っている時こそ必要なことかな。

人それぞれだけど、
社会の中で生きてきて、
人とのつながりの中生きてこられた人ならば、
話を聴きながら誰かのためにその人が望むことから
一緒に取り組めていけたらいいなと思う。

「誰かのために行うこと」というのは、
結果としては一種の「役割のこと」なのかな。

今まで言葉を深く考えずに使ってきた節があるけれど、
本当はその言葉の意味を掘り下げて考えて理解して使う必要があるのだろうなと反省。


学生時代には学校で専門用語を習った。
でも、その時点で用語が表す実際のことや現場のこと、病を抱えて生きている人たち自身のことは知らなかった。

実習に出た。
はじめはその現象と専門用語がつながらなかったことも実習で少しずつ知っていった。

卒業して仕事を始めた。
現場では同業種よりケアワーカーさんやご家族と接する方が圧倒的に多くなった。
その環境の中で教わったことは、専門用語を知り理解していることは必要なことだけど、必須でないということ。
ワーカーさん達は頻繁に専門用語を使わないけど、
ご利用者さん達と一番身近に接しているので
その人を見たままの現象を具体的な言葉で表現し捉えることが上手だ。

ただその見たままの事柄が問題点となる場合に、
なぜその事象が起きてくるのかという原因と考えられる知識量に関しては、
人によって違いの格差が大きい職種だと感じる。

そして、専門用語による他職種間の弊害も感じた。
知識や意識の違い。
勉強会をやってみるとよく分かる。
あるテーマに関して取り上げることになったとき、
自分が改めて勉強して発見したことを言いたくなってしまったりするが、
もしかしたらそれは、他職種が多い場合はその人たちにとっては今更とりあげなくても知ってるよというものかもしれない。
それぞれの職種毎に教わってきている基礎部分が違うことを理解していることが大事だと感じることがあった。

なんかうまくまとまらないけど、
考えること、学ぶことは無限にあるなあとまた思えた♪

ワイワイ♪

2008-06-30 | シアワセ
お昼過ぎから専門学校時代の友達の新居へ遊びに行った。

1ヶ月ほど前に友達から布ぞうりを夏に向けて作りたいので教えてというオーダーをもらったので、
どうせならと、その友達のお家でだんなさま含めて5人で創作会を☆

お邪魔してからティータイムになり、話をしていたら時間が過ぎ去り、
少し遅めに布ぞうりを開始。

布を切るところからはじめたけど、
実は布を切るのが一番面倒で、面白くない。

結構時間もかかるし、手も痛くなってきたりする。

でも、さすが、皆さま。
チョキチョキ、ジョキジョキ、、、
かなり集中しながら作業を行っていました。

だんだんお腹がすいてきて、
集中力も切れてきて、
きりの良いところで夕ご飯に☆

友達がメインの餃子をだんな様と一緒に作っておいてくれたので、
私と友達は食べるだけ♪

お腹いっぱいになりました☆

ありがたいです。

リンゴ入りやバナナ入りの餃子もあり、これが意外にとても美味しくて、
皮が余ったときには良いなあと思った。

そんなこんなで、時間がきてしまい、
布ぞうりの作り方を一通り伝えることができずに終わってしまったけど・・・。


素敵なお家で、皆で何か作ったりすることって、
久しぶりだったし楽しかったな☆

ホント、お休みの日におじゃましました。
どうもありがとう☆☆☆

映画&勉強会☆

2008-06-28 | シアワセ
今日もまだ観ていない10枚ほどのDVDから2本の映画をみた。

1本目は『家族』という邦画。
寅さんの山田監督が脚本監督をしていて、メンバーもだいたい寅さん出演の人たち。

ストーリーは長崎の島に住んでる家族が、新幹線や電車を乗り継ぎながら北海道の開拓村へ行くまでのことを描いた作品。
家族のことを描いている他に、
大阪万博の頃の日本各地の景色や生活がよく分かって、
ある意味貴重な映画だなと思った。


2本目は、『存在の耐えられない軽さ』。
男と女の間の愛情と欲望と友情と…。

三角関係で、ごちゃごちゃしているだけの映画かと思って見始めたけど、
単純でもなく、男女間の事とか、普通に周りでもあるよなぁって、
それぞれの登場人物の気持ちが分かるなって思って、結構好きな映画だった。


夕方からホームセンターへ行き、
そのあと、リハ専門の時の同級生が、定期的に集まっているプチ勉強会に参加させてもらった。

久しぶりに会って皆から元気をもらったな。
私も自分のペースで自分なりに頑張りたいと思った。

皆にありがとう、会えたことに感謝です。

一日の始まり☆音風景

2008-06-28 | シアワセ
朝、目覚ましがなり、布団から手を伸ばす。

しばらくそのままでいると、
台所からピピってご飯の炊ける電子音が聞こえてきて、
それを合図に起き上がる。

部屋のルーバー窓をクルクル10cm程開けて、
隣の部屋のカーテンと窓を開けると、いろんな音が聞こえてくる。
今日は風がヒンヤリしているなと体感しながら、
雲行をみて、外界の音に耳を傾けてみる。

毎朝7時過ぎに聞こえてくる向かいのビルのシャッターを開ける音、

チュンチュンという鳥のさえずり、

カァカァという烏の鳴き声、

コツコツコツと足早に歩いていくヒールの音、

少し遠くの建築現場で資材を運んでいる音、

ゴミを出しにいって立ち話をしているのかなと思われる大人の話し声、
赤ちゃんの泣き声etc.

いつもは聞こえていても意識していない生活の中の音。

実は朝の始まりにいつも聞いてはいる音。

意識して聞いてみると、初めて聞いた音ではないことに気付かされて驚く。

聞き慣れた音からその風景を想像できる生活の中の音風景。

忙しかった時には意識できなかった音。

でも耳から音はきちんと聞いていた。

人間の感覚器や脳ってすごいなぁ。


休みの日の朝にこそ、五感を研ぎ澄ましてスタートしてみると、
頭がスッキリして良いなと感じた。


私の生活の音風景は、小さい頃と今とでは環境が変わっているから違っているけど、
でも朝に小鳥のさえずりを聞いて、昔生まれ育った家から見えていた風景を思い出したりって、
生活の中で似たような音を聞くことで、記憶を想起するヒントになるんだなぁとも感じた。

だから認知症が進んだ方でも、視覚と聴覚、嗅覚、味覚など、
その方が生活の中で体感してきた環境と近い環境の中で、
その方にとってリンクされる感覚刺激があれば、
生活の記憶が想起されることもあるのではないかと思った。


大学の社会調査実習ではじめて、音風景というものを知り、
聞こえる音と見る風景がつながることに面白いなぁと意識したことを思い出した朝だった♪

『読む力・聴く力』

2008-06-27 | その他
図書館から借りた数冊の本を今並行して読んでいるが、そのうちの一冊が表題の本。

まだ読み途中ではあるけど…。

この本は、臨床心理学者である河合隼雄氏、ノンフィクション作家である立花隆氏、詩人である谷川俊太郎氏三名が、
読むこと、聴くことが、どれだけ人間の生き方や社会のあり方に関わる深い体験になっているか、
その意味を問い直そうというテーマでの講演や対談の内容を記録した本のようだ。

はじめにの部分で、谷川氏が言っていて面白いなぁと思った部分以下に抜粋する(勝手に引用抜粋して良いのかな?)、
「…目で読むものがもっぱらアタマに入ってくるとすれば、
耳で聞くことはアタマよりもむしろカラダに入ってきます。…略…
だが、読むという動詞は目で読むことだけを意味していません。
私がやっている詩の朗読も読むうちに入りますが、
目で読むのと違って声に出して読むのは、それを聞く相手を必要とします。…略…
まだ文字がなかった昔、読むにあたる言葉はあったでしょうか。
雲行きを読んだり、獲物の足跡を読んだり、占いの結果を読んだりするのは、
それぞれの言葉があったのではないかと想像しますが、
今でも人は文字を読むだけでなく、人の表情を読んだり、
詩の空白の行間を読んだり、
景気の行方を読んだり、
言葉にし難いものを読んでいます。
読むという言葉ははっきり言葉で整理できるものだけを対象とせず、
いわゆるノンヴァーバルなものをとらえる広がりを持っていると言えます。

聴くという言葉も同じように、たとえば、沈黙を聞いたり、
松籟(しょうらい)を聞いたり、香を聞いたり、
人間の意識下に訴えるものを自分にインプットする働きを表現します。
…略…
読む、聴くを私たちはともすると知性の働きとしてとらえがちですが、目も耳も私たちのカラダの一部です。
外に開かれた感覚器官であるのは確かですが、
それらがカラダの内部に根を下ろしていることを忘れるわけにはいきません。
夜に見た夢を読むことで意識下のあるものに気づく、
音楽のある一節にふるえるような懐かしさを感じる、カラダはときにアタマよりも賢いことがあります。…」とある。

今手元に国語辞典がないから調べられないけど、
平仮名で書かれている場合や「よむ」と音で聞いた場合には、いろんな意味が取れると思うけど、
「読む」という漢字を見た時に私が、はじめにイメージするのは、「文字を読むこと」になる。

だからこの本を借りた時に、題名を見て勝手に、(文字を)読む力について書かれているものだと決めつけていた。

でも、はじめにの部分で上述したような谷川氏の言葉に、
日本語の豊かさと深さと広がりを感じ、
人間の生活の中で生まれてきた様々な読むということに対して面白いなぁと思うと同時に、
日本文化の中で人間関係を築いていく上でもとても大事なことだと思った。


対人の仕事である作業療法の中では、沢山の読むことや聴く場面がある。

そのクライエントの人生史だったり希望だったり、気持ちを聴いていくなかで、表現や沈黙や行動から読み取ったり…。



河合氏の話の中で目に止まった所は、
知識としてローマの歴史を読んで「わかった」と思ったり、
人の略歴が紹介される時に、その略歴の間にあった沢山のできごとを読もうとせずに
「わかった」というのは、大間違いで、すごい怖いことではないかと言っていて、
本当にわかるためには、すごく「読み」ということが必要になって、
その「読み」は言葉の後ろ、背後を読まねばならないと言っている部分だった。


安易に分かったと思わないよう気を付けたいと思った。

分かったと思ってしまうことで、それ以上あれこれ読み取ろうとしたり考えようとしなくなる、
自分にとってその思考停止におとしめてしまうことが怖いと思った。

その言葉の後ろに本当の気持ちが隠れていそうだなってこと、
仕事だけでなく、悩み事を抱えている時には友達同士でもあるなと思う。

気持ちを汲み取ること、聴いて読んでいくってこと、関係性や状況によっても変わってくるし、むずかしいなぁって思う。

でも、それが人と関係性を作っていく基本だと思うから、
聴いたり読んだりする力をつけていきたいなぁと思う。

『サン・ジャックへの道』

2008-06-27 | その他
映画をみた。

遺産相続の為に仲の悪い兄弟三人が一緒に、
フランスからスペインまで歩く巡礼の旅をしていくストーリー。

予告編の中でのあるナレーションの言葉。
「…まっすぐ続く一本道を歩き続ける旅は、人生そのもの。
生きていくうえで本当に必要なものなど、そう多くはないんだと教えてくれる……」

ん~ストーリーはあるんだけど、次はどうなるんだろうとかいうものではないから
見終ったあとに残るのは、誰でも経験しているだろう人との心のやりとりだったり、
年齢や人種を越えた日常的な中での絆であったり、友情であったり、
当たり前で見過ごされそうな、でも大切なことだよなって思えるものが、自然に描かれていると思った。

だから決して爽快感を感じたり、ワクワクドキドキするような映画ではない。

本来非日常であるはずの旅の中で、人が忙しい日常においていつの間にか見えなくなってしまっている、でも大切だと感じているだろうことを描いているのかなと思った。

「Life is wonderful」

2008-06-27 | シアワセ
今日は高校の時の友達と新宿で会うことになったので、
早めに出かけて紀伊国屋にいった。

いつも時間があるときには、一番上の階から順番に、
いろんなジャンルの本を見ながら降りてくるのだけど、
今日は時間がなかったのでリハビリテーションの棚に直行。

買いたいと思う本が結構あった。

まず目に止まったのが、『大西成明写真集 ロマンティック・リハビリテーション』という本で、
帯には「リハビリテーション20の物語 夢みる力のフォトドキュメント」とあった。
中をパラパラめくってみると、写真とともに文章が書かれていて、一般人向けとしても良い本だなぁと思った。
一冊持っておいて時々パラパラ見たいなぁと思った。

次は、『考える作業療法-活動能力障害に対して』で、
今までにありそうでなかった活動に焦点を当てることを明示していることもあり、
OTとして考える一つの切口として、とても参考になりそうだなぁと思った。

『作業療法のとらえかた2』も、参考になりそうな項目が多そうだったので、
今度学校の図書館に行った時に、ゆっくり読んでみたいと思った。

あとは触診の時に参考になりそうだと思ったのが、『触診機能解剖カラーアトラス(上・下)』。


それにしても何故ゆえに医療系の図書は普通に高いのだろう…。
買いたいと思って裏返すと7000円とか…、買うのを躊躇してしまうわ…。


友達と18時に合流。
19時にもう一人の友達と合流して居酒屋へ。
まだ出来たばかりのお店だったこともあり、店員さん達が慣れておらず…。

何故か厨房で漏電があり、停電…。

3時間程の間に4、5回は真っ暗闇を経験するはめになり…。

それに対しての店側の対応にはもう少し配慮があってもと思ったけど…

暗闇の中、話をする時に相手の顔が見えないと、話しにくいんだなぁと感じる経験ができたことはよかったかな。


今日友達から教わったこと。
人それぞれの価値観の違いを認めた上で議論していくこと。

その場に集まった人達が皆、人は皆違う価値観だったり考え方を持っているってことを
前提としてきちんと捉えている人達と話をしていると、良い場の雰囲気になるなぁと感じた。

今まで頭では分かっていたことだけど、今日友達に言われたことで、違いを認めるってそういうことなのかと、実感できる瞬間があった。

友達にしてみたらドラマの解説だったかもしれないけど、
私の中では今日のシチュエーションで友達が言ってくれたことで
ストンと入ってきたので、友達に感謝。


自分の中のモラル基準を越えた価値観を持っている人達の考え方に対して、
理解できないと、つい無意識に自分の価値観を相手に求めようとしてしまうことがあるけど、
今日友達から言われて、相手の意見を聴こうとしてみると、冷静に見られる自分がいた。
だからその発見に嬉しくて、自分の価値観の狭さと、また枠組みを作っていたことに気が付くことができた。

2ヶ月ぶりくらいに会って話して、みな人生いろいろあるけど、
それでも、Life is wonderfulと思える楽しい時間だった☆

ありがとう☆

今日こられなかった友達と一緒に、また4人で会いたい☆


『二人日和』

2008-06-26 | その他
今夜は邦画『二人日和』というDVDを見た。

ストーリーは単純で、テンポもゆっくりとしているので、
一見早送りしたくなりそうな映画だけど、
老夫婦の人生と生活における絆を丁寧に描いた作品で、
その行間から感じ考えさせられることの多い映画だった。

生きる楽しみや希望というのは、人によって様々あると思うけど、
この映画の中では、「手品」が、
病にかかった妻と支える夫を、生き直そうという気持ちになるきっかけのスパイスと感じとれた。

もともとケアリングクラウンやホスピタルクラウンに興味があったけど、
この映画の中で、思わず引き込まれたり、
笑わせられたり、驚いたり、疑問に思う、
そんな手品の威力を見て、人を笑顔にするきっかけの引き出しを沢山もっているといいなぁと感じた。

また、医療を必要とする人の生活の中でできる支援とは?ということや、
進行性の方に対してどう関わっていけるのだろうとか、
自分ができることは何だろう等考えることが多かった。

平凡な当たり前の生活の中にある、大切なものを改めて見つめられ、再確認できる映画だった。

お花が☆

2008-06-24 | その他
長崎から帰宅したら、ゴーヤーがお花をつけていた☆


しかも、鉢を窓枠に置いていたので、
ツルが天井まで延びていて、カーテン枠に巻き付いていた…。

そろそろ外に出しちゃうべきかなぁ。

外に植え変えたゴーヤーは成長が遅いから今から出したらどうなるかちょっと心配。

長崎学会3日目☆

2008-06-23 | 勉強
学会3日目は、雨が軽く降ったりやんだりで、夕方からは晴れ間がみえた。

9時から開始。
1)ワークショップ:ビラティスメソッドの紹介
2)ワークショップ:作業をみつめなおす;作業科学の視点
に参加して3日間の学会終了☆

お昼ご飯はお寿司屋さんに入り、あら煮定食を頼んだ。

味付けはやや濃い目であったけど美味しかった☆

午後からは一度荷物を宿に預かって頂き、観光に出かけた。

出島~グラバー邸~大浦天主堂~浜町アーケードを通り、夕食へ。

出島の側溝:江戸時代の出島では、道の両側に雨水を流すために瓦を敷いた側溝が設けられていたそうです。


途中市電に『第42回日本作業療法学会』の宣伝をつけた市電を発見!


市電の最終地点


途中観光ガイドのおじいちゃんが声をかけてきて、行き方を教えてくれたり、
スカイロードを使ってみたり、

(この坂道を徒歩で登っていくのはちょっと・・・と思うほどの急勾配。)

グラバー園の頂上あたりからみると、民家の中に建っていることがよく分かり、
向こうの景色をみると急勾配のところに家が建ち並んでいることも見える。


グラバー園の中のグラバー邸


紫陽花がきれいだった


グラバー園内のハートストーンを探し、
まずは小さいハート


次に大きなハート

手をかざして祈ると願いがかなうらしい☆

グラバー園の出口までくると、
坂の町長崎ならではの段差昇降リフトを発見。でも、実はこれは車いすを回転するときにはキャスターが脱輪しないように細心の注意が必要と聞いていたので、幅をのぞいてみたら確かに狭かった。。。


そして、貸し出し用の車いすも発見。関東にある普通型車いすとは違う電動タイプのものがきちんと用意されていることに、お~と思った。



その後パイアイスを食べたり(手前がパイアイスで奥がカステラアイス)、


長崎の海や山の景色を眺めたりして観光を満喫できた♪


カステラ神社♪


夜は居酒屋さんに入り、郷土料理も頼んでみた。


素敵な言葉が書かれた居酒屋さんだった。


長崎駅前:向こう側の斜面の勾配に建っている家々をみるとどんな町なのかが見て取れる。


長崎駅前広場:ベンチがあって皆くつろげるスペースになっている。



長崎空港内のトイレの扉がステンドグラスになっていてとても素敵だった♪
さすが異国情緒あふれる町、長崎だな~♪


この飛行機にのって帰ります




ある町を訪れた時に、町並みだったり、歴史だったり
そこに住む人達と交流があったり、
少しでもその町独自の文化や日常生活が感じられた時に、
楽しいな~と感じ、旅をしていることを実感する。

今回は少ししか歩けなかったけど、長崎市内で、市電とバス、坂道での交通手段の工夫(坂道にリフトの設置や貸出し車椅子の種類の違い等)など、
安く移動しやすくなっている長崎の町に愛着を感じた♪

一見整備されたように見える歩道や大通りから一歩中に入った道は、決して歩きやすいものではなく
バリアはあるし、坂道も限りなくある。

でもそこに住まう人々ならではの工夫や助け合いの中で、
不便かもしれないけどなんとかなっているのではないかなと想像した。

長崎の町の中ではやはり市電は、市民や観光客の大切な足になっていると思ったけど、
なんといっても100円で始発から終点まで行けるのは有りがたいし、
足として使おうとも思うだろうなと。

値上がりしないでもやっていけているのは、
宣伝費でまかなえているとの話を聞いた。

市電は統一されたデザインではなく、いろんな会社の宣伝電車になって走っている。
だから見ているだけでも楽しい♪



出島やシーボルト、グラバー、天主堂、原爆、カステラ、チャンポン…etc.

ガイドブックをみても特別ひかれるものがなかった長崎の町に実際訪れてみて感じたことは、
海や山に囲まれた、そね自然の中で、異国文化との融合してきた歴史もあり、
大々的に観光地化されていない部分においても、長崎という町の特色が自然に感じられる素敵な町だと思った。
多分それは、町を歩いていると日常を感じられつつ、所々に観光や歴史や文化がちりばめられているからなのかもしれない。

町の中で自分が見たことやなんでだろうって疑問に感じたことが積み重なってくると、
これはもしかしたらこうだからなのかもしれないとか、推測できたりする。

市内の主要道路で軽自動車が多く走っているなあと思っていて、
そのあと、山の手の方にあがって行った時に、道の狭さや坂道から、軽自動車の方が移動しやすいのかもしれないなとかつながったり…。


今回の旅の主目的は観光ではなかったから深くは分からないけど、
長崎に訪れられ町を知れたことが、町を再発見することにつながり本当に良かったなと思えた。