大切なキモチ

感じるままに、日々思ったことを書いていこうと思います。

☆休日☆

2005-11-29 | シアワセ
最近、休日になると近所を自転車でサイクリングに出かけることが多い。

特に多摩川のサイクリングロードは視界が建物で遮られることがなくて
開放感いっぱいの癒しの場所になってる。

今日も近所に紅葉しているはっぱを探しに出かけたついでに
多摩川まで出てのんびりと自転車をこぎながらゆったりとした気分にひたれた。

忙しい毎日を過ごしていると、ゆっくりと呼吸することがなくなっていくような気がする。
でも、自然に心が落ち着く所に行くと深呼吸している。
表情も穏やかになっている。
時間を忘れてゆっくりできるひととき。

本当にしあわせだなあ。

帰りにいつもは通らない道を通って帰ってきたら、
あまり見かけない赤く紅葉している葉っぱが落ちていて、
きれいだなあって拾ったら
そのまわりに小さくてコロコロしたどんぐりの実がたくさん落ちていた。

こんな所にどんぐりの木があったなんて気付かなかったなあって
なんだか得をしてしまった気がした。ホクホクした気持ちで帰ってきた。

近所の学校に立派な銀杏並木道がある。
最近はそこを通ることが朝の楽しみになっている。
用水路の上に蓋がされた道を自転車をこいでガタガタと音を立てながらなだらかなカーブを曲がっていくと
真っ青な冬の澄んだ空とあざやかな黄色のイチョウが見えてきて
きたぞきたぞ~っとワクワクしてくる。目に飛び込んでくるとふわ~って心が軽やかになって景色が変わってもしばし残像を楽しんでいる。


満員電車は嫌いだけど、電車に乗って多摩川を渡る橋を過ぎるとき
川面が逆光の朝陽に反射して、氷が張ったようにキラキラと輝いている。
なんてあったかくてきれいなんだろうって思う。
都心に向かっていく毎日の中でそんなシアワセな気持ちにさせてくれる自然に感謝。


今日はあたたかくてサイクリング日和な一日でした♪
明日からの仕事を頑張るぞーっと思わせてくれた休日を過ごせたことに感謝です。

「高齢者の特徴」 

2005-11-27 | 仕事に関連すること
職場で介護研修があった。
PTのセンター長が主催。

簡単な高齢者体験が一番面白かった。
*立ち上がり→椅子から普段どおりに立ち上がって座ってみる。
 ①筋力低下の方→自分が一番ゆっくりだと思うスピードを動作開始から
  立ち上がりきるまで一定に保ちながら行ない、座るときも同じスピードで行なう。
 ②膝・股関節・体が曲がっている方→円背をつくって立ってみる。
  →立ち上がった後、歩いてみる。足が上に挙がりにくい。小股になってしまう。上肢を前後にふれない。⇒言葉かけや
   介助の仕方を配慮。(「大きく」→「前に」など。両手引き介助の際、肘固定で、体全体で重心移動を誘導していく。)

 <①②から>
 ⇒体幹を腰から深く前傾させて、頭部をより前下へ出さないと立てない。
 ⇒お尻が上げる時、座る時に一番パワー(スピード)がいることが分かる。

 ③片麻痺がある方→左手首・肘を曲げて、左肩を挙上し後ろに引いて、
  お腹の左側を縮めてお尻の左側を後ろに引き、左膝を外側に倒した状態をつくる。
  かつ、力こぶを作る時のように左上肢にぐっと力を入れている状態を保つ。

 ⇒非麻痺側の右上肢をバンザイしてみたりいろいろな方向に動かしてみる。スムーズに動くだろうか?遠くのものを細かく
  動かすことの難しさ⇒作業時の環境面の考慮。楽に食事ができるように配膳時に配慮する。

 ⇒立ち上がりの動作の中でどこに、どの方向で、どのくらいの力の助けがあればその人が一番立ちやすいか。

 *立ち上がる時に後ろにひっくり返る人⇒体幹前傾が不足。転倒恐怖がある人(頭を下に持っていけない)

 *立ち上がる時に椅子が後ろに動く人⇒椅子をつっかえ棒にしてその力で立っている。癖になる。

 *聴力・理解力の低下
  レクリエーションなどの司会を行う際、だらだら切らずに話すのではなく、
  文節ごとに意識的に半呼吸入れながら話していく。
  外国語を理解しようとしている時を思い浮かべてみる。
  耳が遠い方に対して:鼓膜機能ではなく中の器管が低下している為、大きな声で話すのではなく、
  同じトーンで低めに話す。(初めは普通の声でゆっくり低めのトーンで話してみて、
  徐々に大きな声で問いかけてみる。大きな声を出すと必然的に声のトーンが高くなってしまう為
  聞き取りづらくなってしまう。大きな声でもトーンを一定に低めであればOK)

『新しい介護』の資料も使われていて、実習の時結構読んでいたはずなのに、
改めて利用者さんを例に出して考えてみると、資料の内容が分かりやすく
ストンと自分の中に落ちていくものがあった。
現場と勉強の並行が一番知識と技術が結びつくなあと感じた勉強会だった。

病気だって分かっていても・・・

2005-11-27 | 仕事に関連すること
左片麻痺の特徴のひとつでもある「性格変容」。
典型的に症状が出ている利用者Aさんがいる。
加えて制御が自分でできない為、誰に対してもどんな場面でも
自分の感じたことをそのまま相手に投げかけてしまう。
和を重んじる日本の風土の中では、そういう行為は嫌われる。

誰でも非難されたり攻撃的な言葉を投げつけれて良い気をする人はいない。

Aさんは、病前は読書などして過ごされるような寡黙で穏やかな方だった。
でも、現在のご様子からはそういう姿が想像できない。
あまりも、激しい口調で他者が傷つくようなことを言いすぎてしまうから、
そちらの印象が強くなってしまう。会話していてもいつスイッチが切り替わるだろうと・・・。

脳の病気のせい。
それは頭で分かっていても言葉を投げつけられるとそれに自分の気持ちが反応してしまう。
あきらかに社会的交流の範疇じゃない、だから病気のせいなんだって分かっていても
やはり傷ついてしまったり、ムカついてしまったりする。
それが本心。言葉として感情は表には出さないけど、多分その時は多少なりとも表情が
こわばっていたりと外に出ているだろうな。

ケアワーカーの方達は病気のせいだということは知識として言われないと分からない。
性格としてとらえてしまう傾向にある。
心構えとして病気という前提で接するのとそうでないのとでは大きく違うと思う。
けれど・・・コワイというのは誰でも感じているのだろうなって思う。

難しい。人間対人間の中で、病気だと分かっていても、
言葉対言葉の交流の中であればやっぱりそこで感情の流れが生まれてくるから、
それがAさんの性格だとは思わないけど、やっぱり苦手だなって思ってしまう。
それってなんか、葛藤。

でもAさん、相手に厳しいことを言ってしまった後に
自分で一言フォローの言葉を入れることが多い。
(あまりにもはじめの言葉が強烈だからフォローの言葉は相手に届いてないのだけれど)
だから、自分でも制御がきかないことを感じて分かっているのだと思う。

脳の病気は複雑で見えづらいから、高次脳機能障害をもった人の家族や周囲の人たちは戸惑いやいろんな気持ちを抱いて悩んでしまうだろうなと改めて思った。

『単騎、千里を走る』

2005-11-19 | シアワセ
高倉健さん主演の映画 
来年1月28日ロードショー
みたいなあって思った

さっき、NHKでその60日間の撮影記録番組をやっていて知った

映し出されたあまりにもきれいな風景をみながら
健さんが撮影の中で感じたキモチ「人を思う」ということを聞きながら
自分が幸せに感じるところが分かった気がした

ペルーに行った時も雄大な自然の中でずっとこのままいたいと思い
新潟に行った時も毎日移り行く景色を見て
心地よさとシアワセとパワーをもらった自分がいた


そこの中では必ず人とのやりとりがあった
人を思いやれる気持ちが自然におこってくる環境があった
そんなところで暮らせたら「生きている」実感がするのだろうなと思った

環境が人をつくるということ
自然の前では人はちっぽけなものでしかないこと

きらびやかでなくていいから
ただ日々の変わらない日常の中の些細なことに
誰かと一緒に感動できるような毎日がいいなあって思う

せかせかしていない所
自分が謙虚でいられる所

自然が生きている所に暮らす人々は
人を思いやり、日常を生きているのだと思う

自然がない所に暮らす人々は
心が枯れている人が多い
自然があるから生きていけることを
忘れてしまっていて
人間だけでせかせかと競走をして心が貧弱になっている
それに気付かない人もいる

自分が原点だと思った学校に入る前のあの気持ちをまた思い出した

驕らず謙虚に生きていくということ
ニュートラルに心を保つこと

小さな感動探しをまたやりたいな

もっともっと自分の素の気持ち確かめていこうって感じさせてくれる番組だった


本音の部分

2005-11-16 | 仕事に関連すること
昨日職場のPTと評価について語っていたら
話がいろいろなところに及んだ。

その中で、「PT的な視点」だったり「OT的な視点」だったりの話が
ちらほら出てきたんだけど、「治療アプローチ」について話していたとき、

「本当はね、筋トレとか一生懸命やんなくてもいいと思ってる。僕が利用者さんの立場だったら、
自主トレとか極力したくないな。楽に生活できた方がいいもん。
例えば、外に出たいけど歩けなかったら、
きついとおもいながら頑張ってトレーニングするんじゃなくて
電動車いすを使って外出できたら良いと思うし・・・。
やっぱり自分が何をしたいかがはっきりしてたら、いつもは立ちにくくても
外に行って見たいものがあれば立とうとするだろうし、立てるようにって自然に頑張れると思うし。」
と言われた。目標はその方が決めるもの、それをサポートしていくのが1つの役割。

普段のセンターのリハビリ(=PTによる機能訓練)の時間だけを見ていると
身体を動かすことを中心としたいわゆるトレーニングが多いし、
利用者さんもそれがリハビリだと思っている。
そのPTがどんなことを考えて個別をされているのかとかあまりみえていなかったけど、
ふとした話の中で、聞けた本音が自分と共感できて嬉しかった。

治療ということアプローチ方法、自分の苦手な身体面に対して
おそるおそるの部分があったので、(在宅生活において維持を目標にしている方が多いと思われるが)
いつも機能的な訓練を担当しているPTから
そういうある意味「楽な」方法や代償方法という視点の方を
強く持っていることが分かってちょっぴり嬉しかった。

そして、活動の分析に加えて重心と骨盤、頭部の位置関係や
四肢と体幹の動きに対する関係、上肢下肢の重みの考慮など
自分が今まで気付いているようで意識していなかった部分を食事やレクの時に少し見ていってみようと気になった。

その方の活動姿勢と環境を見てちょっと問題がありそうと感じた時、
楽にできる方法を提示した方が良いのか、それとも少し頑張ってもらって普通より少し大変と感じるレベルの方法を提示した方がよいのか迷う時がある。

評価方法だっていろいろなやり方があるし本当に難しいなあって思う。
今の自分の能力でできることからしか支援できないけど、
やっていかなければ、いつまでも今のままだし、
見ないよりは見た時の方が、見た時より触ってみたときの方がより情報が入ってくる。
毎日が分からないことだらけで、いっぱいいっぱいな時が多い。

でも、自分が頑張れることがあるのって本当はシアワセだなって思う。

『私は私らしい障害児の親でいい』

2005-11-13 | その他
今、児玉真美さんの著書を読んでいる。
タイトルのように障害児の母親であるけれど、
ありのままに感じたことを書かれている文面にいろいろ考えさせられ、
またその率直な感じたことに触れて元気になる。

***************************************************************
・・・身のまわり数十センチの所に高い壁を築き、
まるでその中で見聞きするものだけが万古普遍の常識であると信じて暮らし、
「こうあるべき」で自分を縛り、他人を縛ってしまうのは、あまりにも悲しい。
世の中には、きっともっといろんな価値観がある。
本当に大切なのは、ひとりひとりが生き生きと自分らしいこと。
誰がなんと言おうと、自分がまず自分を大切にしてやること。
なにができるとかできないとか、そんなケチくさい次元で自分を貶めることはやめて、
世界中でたった一人しかいない自分を、まず自分で大切にしてやること。
自分を縛っている人は、きっと他人も縛りたくなる。・・・
*****************************************************************

ここだけ引用すると、なんか切れっ端みたいでいろいろなとられ方がするかなあと思ったけど、
自分におきかえてもそうだし、人を支援する際にもとても大切なことで
心に留めておきたいことだなあと感じたのでまだ読み途中だけど、引用して載せてみました。

Promises

2005-11-13 | その他
専門学校の2年、3年の時の文化祭で
イスラエル・パレスチナのドキュメンタリー映画『プロミス』を
クラスの有志5人で企画し自主上映会を行なった。

4年時は実習だった為文化祭には参加しなかったが、
卒業してからも何か在校生と語り合える場を作っていければと
引き続き仕事の合間をぬって集まる場を設け計画を進めてきた。

今年は「広河隆一さんの写真をお借りして展示する」ことにした。
ただ、在校生の文化祭委員の方達と直接会ってお話しすることができなかった為いろいろあったが、昨日、今日と無事開催することができた。
関わってくださった先生方、文化祭実行委員の皆様、
そして、教室の前準備、机の配置、荷物運びetc.
少しずついろんなかかわり方で手伝ってくださった後輩の皆様、本当にありがとう。
皆様の関わりがあったからこそ時間のない中で段取り良くすすめることができたのではないかなと思う。

在校生の飲食店関連の参加がほとんどであったのに対してやはりパレスチナの写真展ということで
かなり異色扱いだったが、予想に反してたくさんの方達に見に来ていただけた。
そして、2/3の方がアンケートを書いてくださった。
見た方々の心に少しでも「何か」を残せたのではないかなという結果をアンケートから読み取ることができた。

今年は私は準備にほとんど関われなかったのだが、
そういう参加の仕方でも認めてくれた4人のみんなに心から感謝です。

やっぱり、みんなそれぞれに自分の時間や仕事の時間があって、
その合間をぬっていろいろ準備を進めてきた経緯がある。

「できることをそれぞれに」をみんなが認めてくれてやってきたのだと思う。
4年間一緒に学んできた仲間だからこそ、無理ない参加の仕方ができたのだと思う。ありがとう。

今後はどうなるんだろう。
来年もできたら何かの形で文化祭という場で形にしていけたらいいなあって思う。

どんな形になるかはわからないけど、
無理なく、できることから、みんなで場を共有していけたら嬉しい。

デイで「検査」をするということの意味・・・

2005-11-12 | 仕事に関連すること
今度脳梗塞で左片麻痺になった方のケースカンファレンスがある。
その際にOTとして担当ケアワーカーさんに申し送りがある。

いつもの様子観察や接してきたことからだけでも言えるけど、
覚醒レベルや注意力と生活との関連を考えた時
ふと机上の検査もしてみようかなと思った。

でも、検査をして注意力の転導性とか全般的にやはり問題があるという結果になったからといって、その方の生活と結びつけてどうしていけばいいかを考えられなかったら、その検査はただの負担でしかなくなってしまう。

デイでの過ごし方をより豊かに、また家での生活において家族の負担や御本人にとって過ごしやすいようにつなげていく材料にできなかったら
その机上検査は意味がない。

デイは「治療」を要する病院ではない。
在宅生活の一場面。
それを考えたら、デイにおいて机上の検査はしていくべきか迷う。

基本的に必要ないと思ってはいるけれど、
早期退院されてリハの必要性が高い方に対しては
症状が変わっていくのを経時的に追う材料の1つとなるとも思う。

デイで検査をすることはどうなのだろう。。。

着(る)物

2005-11-10 | 仕事に関連すること
高齢の方で普段着が着物という方はいる近所で見かけると思う。
デイにもそういう方が最近通ってくるようになった。

でも一番最初だけ着物で来て、あとは和風のズボンをはいて来られるようになった。
今日のんびりお話をする時間があった為聞いてみたら、
「ここに着物で着ちゃいけないって言われた」とのこと。
「え?!」一瞬絶句。
そんなこと私は知らなかったし、
そんな決まりって???っていう感じを受けた。

確かに着物は動きにくいというのは分かるけど、
だから転ぶ危険性も高くなるというのも予測がつくけど、

デモ・・・
なんかそれっておかしくないでしょうか・・・。

その人が何十年間と生きてきた日常のスタイルを
デイに来る日のために変えなきゃいけないって。
洋服はもってないから、着物の生地をほどいて縫ってもらったって。
もう着物は要らなくなるから、誰かにあげようかしらって。

リハビリをしに来ているはずでしょう?
リハビリって意味は広いけど、
でもその方らしく、日常生活を送れるように支援していく為じゃないの?

やっぱり変だ、と私は思う。
その方の生活スタイルをデイ側の都合で変えてしまうように働きかけるのって絶対おかしいでしょ。

なんか???がいっぱいついてしまった一件でした。

いろいろ

2005-11-06 | その他
OTは利用者さんの夢とかやりたいこととか
希望を持ち続けて、実現に向けてお手伝いする過程で
関わっていける職種のはず。

対象者の話を聞くっていうことすごく大事でいろんな職種の方でもそれぞれに
話を聞こうとする。でも、利用者さんの人生を振り返って
その方の価値観や大事にしてきたもの、こだわりとか
そういうことをとりあげてそれを支援していくことに重きをおく職種は
やっぱりOTなんじゃないかなあって思う。

医療とか福祉とかそんな枠組みに囚われないで
見過ごされそうなその方の人生観をきちっととらえていこうとする職種。
そんなことよりまず医療面とかもっと大事だと思われる情報収集があるでしょう?っていわれそうだけど、まずその人ありきだからこそと私は思う。

地域に出たらOTもPTも関係なくリハ職として捉えられがちだけど、
根本的に教育課程が違っていると
見た目は同じことをやっていたとしても
目標として考えていることが違うんだなあって感じることが多い。

やっぱりPTは身体的なこと、徒手療法的な部分において強いなあと感じる。
でも精神科的なこと、心理的なことにおいてPTは関与しない人が多いと感じる。

介護保険上のサービスでもEBMとか言われ始めているけど、
そんなことだけに乗っからないことで人間だからこそ大切な部分って本当はたくさんあると思う。

その方が障害を気にせず、不自由かもしれないけど違和感のない日常生活を再び送っていけるようにサポートしていく職種。

寄り添って見守っていければ良いなあって思うけど
なんだか、現場にいると時間と業務のにらめっこ。
働く側がこんなに余裕がなくて、利用者さんは満足感を感じてくれるのだろうか。

なんだか考えがふわふわしているけど、
同期の友達と話しているとみんな同じ様なことで悩んでたりする。
自分ができなさ過ぎて・・・技術が追いつかないよ・・・
自分のこれからを考えると不安・・・
職場に入る前に説明されていたことと違う・・・
それってかなり不満・・・
最近仕事楽しいって感じない、ストレスばっかり感じてる・・・
辞めようかな・・・

それって教育のカリキュラムがおかしいのじゃないかなっとも感じる。
なんでそんなことがおきるんだろう
欧米ではOTの職域は確立されているのだろうか・・・

でも、一年目に通る道・壁なのかもしれない。
最近は必要だと感じたことからやっていこうと思う。

5年目に自分がどうなっていたいか。
いろいろな研修会に行って、素敵だなあって思えるセラピストの方とお会いしていきたいなあって思う。

今日もシーティングシンポジウムに行ってきた。刺激をもらった。情報をもらった。これを今後どう現場でいかしていけるか試行錯誤していきたい。