大切なキモチ

感じるままに、日々思ったことを書いていこうと思います。

畑☆苗植え

2009-02-28 | 仕事に関連すること
先週から始まった、冬季だけ2階のホテルに滞在して、
午前中1階のデイをご利用される、
内地から来た右片麻痺のご利用者さんからの畑の指導。

木曜日に苗の植え付けを行い、
金曜日に支柱付けと脇芽とりを教わった。

ゴーヤーとへちま、オクラの苗ポットと、にんじんの種まき。




苗ポットに水をたっぷりかけて、
畑にどこに苗を植えるか目印をつけて、
穴を掘ったところに、
苗ポットからそっと土付きのまま苗をだして入れ、土をかぶせて軽く押さえる。

その後、水をたっぷりやる。

にんじんの種も、2から3粒ずつ目印の浅い溝に蒔き、土をかぶせて終わり。

オクラは深めに土をかけても大丈夫。


支柱つけは、根を傷つけない場所に挿していき、
きゅうりだけは、横にも二段に支柱をつけた。

トマトは上に向かって伸びるけど、きゅうりは横からも出るからとのこと。

その後、トマトの脇芽とりを教わった。

本芽は摘まないよう、まず本芽を探し(ほとんど一番上あたりに花がついているからわかる)、
他の芽(茎と茎の間から出ている芽)を摘みとっていく。

葉っぱは光合成に必要なので、とらないよう気をつけながら、
本芽に養分がいくよう、脇芽だけを摘んでいく。
これを1週間に1度は行なうことと言われた。

トマトもきゅうりもナスもね☆

初心者にとっては教えてくれる人がいると、
何もかもが新鮮で面白い。

日に日に成長が分かるし、
根付かないのも分かる。

あとは土とお天道様と水と肥料と愛情☆

土いじりをしていると、時間があっという間に経つ。
畑仕事をしたいという人の気持ちが分かるなあ。

今後が楽しみ。

オクラの余った苗を
「ただ今、オクラの苗あります。」と掲げて宣伝。
昨日、二人のご利用者さんが、プランターに植えかえた。

早速、ご利用者さんの名前を書いたカードをプランターにおくと、笑っていた。

楽しみだなあ。

畑仕事をされてきたご利用者さんがほとんど。
関節炎を持っているご利用者さんも多い。

だからもう畑仕事はできないよとか、
さんざんやったからもういいよとか、
言われる方も多いけど、
好きな方はどんどん呼びかけると動かれる。

環境の工夫、
呼びかけや宣伝の工夫、
その人にあった高さや道具、
不安や希望に合った支援の仕方、
いろいろと考えることは沢山ある。

それでも、リアルタイムに跳ね返ってくる反応が次へとつながり面白い。

自分を成長させてくれる機会を与えてくれる利用者さん達に感謝。

奥様より、ゆれる気持ちを感じて。

2009-02-28 | 仕事に関連すること
昨日の夕方から、ご利用者さんの家へ相談員と一緒にお邪魔した。

担当者会議。

キーパーソンの奥さんと、ケアマネ、福祉用具業者ともう一つのデイの職員。

ご利用者Aさんは、多発性脳梗塞で認知症も進行している方。
去年一度ご自宅のベッドから転落して圧迫骨折をされたあとから、
身体機能も徐々に低下し、嚥下機能、認知機能も落ちてきていた。
現在は合わない普通型車椅子で、足を投げ出されて仙骨座りをとっておられるが、

腰痛もあり、デイでは、臥床時間が多くなってきている。

OTの立場からは、Aさんに合う安楽姿勢が取れるティルトタイプの車椅子を
以前から提案していたが、
奥様は楽な姿勢を取らせることで、
身体機能を低下させてしまうという恐れの思いが強く、
またもう一つ利用されているデイ(PTとOTが関わっている)からは必要性がないと言われていたため、
ティルト型の車椅子やベッドマットレスなどの福祉用具に関してはできるだけ導入しないスタンスを持っておられる方だった。

圧迫骨折後に普通型車椅子をレンタルするときでさえ、
導入まで持っていくのにケアマネさんがかなり時間をかけたと聞いた。

今までは、相談員から奥さんからの要望や意向を又聞きで聞いていた。
だから、Aさんの状態と奥さんの要望や希望とがとてもかけ離れている印象を思っていた。

昨日、初めて奥様にお会いして、お話を聞いて、
実際に現場を見ること、キーパーソンと話をすることの重要性を感じることができた。

Aさんのためになることを一生懸命に考えている気持ちがひしひしと感じられた。

今後も心身機能ともに落ちていくこともわかっていらした。
でも、今まで緊張感のある仕事に従事されてきたAさんのこと、
内地で生まれ育ち、仕事をされてきたAさんが、
沖縄の宴の雰囲気を好まないこと(文化の違い)など、
それまでのAさんの人生を振り返りながら、
だからこうしてあげたいという気持ち、
Aさんへの感謝の気持ちが、今のAさんへの奥さんの介護のパワーにつながっているのだと感じた。

ベッド周りの使い方、
車椅子に関しても、
病気に関しても
専門家からみたら、こうした方がいいと思うことも
家族の強い思いの前では、あせてしまうように感じた。

自分がそこまで真剣な同じテンションになっていないと、
ハッとさせられた。
もし同じ強い思いを向けていれば、
奥様にきちんと伝えられるのではないかと。

必要な情報や提案はする。
でも、同じように伝えたとしても
聞き入れられる状態かそうでない時かで、
受け止め方が変わってくるんだってことも、
奥様から感じさせていただいた。

Aさんがよくなること、
あきらめていない。

当たり前だ。
大切な家族なんだから。

一時期リハ病院に入院して短期集中で身体機能が向上したことがあった。
奥様が機能訓練を継続して欲しいという要望が強いこと、
期待が強かったのも、
それがもとになっているのだと、昨日のお話の中で知った。

本当は支援する側があきらめてはいけないのに、
私はデイに来ているときのAさんだけで、
(デイが設定した環境の中でみられるAさんの行動は、ほんの一面でしかないはずなのに)
Aさんに対する接し方を決めていたなかっただろうか。


誰のためのサービスか。
何のためのサービスか。

クライエントは誰なのか。
Aさんでもあり、奥さんでもあると思った。

自分が関われるサービスはどこなのか、
まず取り組んでいく所はどこなのか。

昨日の担当者会議で奥さんとお話できたことで、
新たに考えるきっかけを頂き、
介護をする家族の常に揺れ動く気持ちをヒシヒシと感じた。

Aさんにとってよいことをしたい気持ち、
それが環境設定の面において、Aさんにとって苦痛になっているかもしれないという矛盾、混乱。

送迎の職員が、奥さんに言った言葉やアドバイスをとてもよく覚えておられることを会話の中から感じた。

言った職員は、そこまで受け止められていると考えないで、言っているかもしれない。

「今までは、父さんが元気になってから、元気になってからと思ってきたけど、
この前、○○さん(職員)から、『それは違うよ、行きたいと思うところ、
見せてあげたい所に今連れて行ったりやってあげて。
そしたらそこからAさんが元気になるのではないかと思います』と言われたの。
それから考えてみて、そうだなと思ったの。だから今できることから、
父さんが好きだった海や、刺身が食べられる食堂とかに連れて行ってあげたいなと思って、
車椅子を乗せられる車を買うことに決めたのよ。」
奥さんからこう聞いた。

奥さんの考え方を変えた、職員の一言。
これを言った職員は、このことを知っているのだろうか。
自然に言ったことだったから奥さんの心に届いたのかもしれない。

もしかしたら奥様は逆の方へ受け止めていたかもしれない。

それはわからない。
だから、言ったことに責任を持てるように、伝えること。

基本に立ち戻って、相手がどんな心境にあるのか、
知らないうちは言葉を選びながら話そうと思った。


その方を思う心と気持ちがあれば、いつか必ず伝わる。

大事なこと考えるきっかけと、初心に戻るきっかけを頂いた。

奥様、ありがとうございました。

暑い…☆

2009-02-27 | シアワセ
ここ数日、暑い日が続いている。

今日は送迎時に、あまりにも日差しが強くて、クーラーをいれた。
昼休みに車で橋を渡っていたら、
今日は潮が引く時間帯にあたり、
車を路駐して、海に入って海草をとっている人が多くいた。


半分海人の職員さんが、昼休みを利用して「カーミヌヒージ(亀のひげ)」と呼ばれている海草を採ってきた。
食感は生で食べたらシャキシャキしていた。ゆでて食べるらしい。


潮の満ち引きは、今でもすごいなぁって思う。
一日の中で潮の高さがこんなに変動するなんて知らなかった。

景色が変わるから飽きない。

暑くなった途端に、苗の成長や、
ヤモリの鳥のような鳴声、朝から晩までブ~ンと蚊が飛ぶようになって、
気候ってすごいなぁって思った。

でも2月でこの暑さは、やっぱり珊瑚礁を考えると心配だな。

満天の星空の下で。

2009-02-24 | シアワセ
今日は帰りのミーティングでワジワジすることがあった。

でも、その後の会議で復活して、気持ちがたちなおった。

会議が終わり、外に出たら、久しぶりに星がきれいに見えていた。
一緒に駐車場に向かっていた職員さんが、
「星見に行くか~」って☆

隣の島へ車を走らせて、街灯がない海岸沿いへ。

車を降りてから座って、波の音を聞きながら、
満天の星空を見上げて過ごした。

その後、一緒に行った職員さんの最近の身の上話を聞いていたら
いろいろ大変なことを抱えている立場だけど、
最近はそれをはきだす機会があまりなかったんだなぁと思った。

だから表面上は変わらなくても、どこか受け入れられないことがうまれていたのだなと理解できた。

今日の最高気温は26.6度とのことで、昼間は暑かった。

その分、夜風が心地よくて、星空の下でゆんたくする時間が幸せだった。


帰り道、前の職場の職員さんからメールがあった。
最後に「また一緒に働いてみたいです」っていう一文が書かれていて、とても嬉しかった。

私らしく、がんばろうって思えた☆

ありがとう☆

感動の夕べ☆

2009-02-22 | 沖縄のこと
今夜は前々から楽しみにしていた
現代版組踊「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」の卒業公演の日♪


勝連城主であった歴史上の人物「阿麻和利」の物語を、
地元の中高生総勢100人が、週2回の稽古を経て、繰り広げる組踊の舞台☆

10年目の節目を迎えたこの舞台。
歴史上においては阿麻和利は悪者として取り扱われているそうだが、
なぞの部分も多く、この公演の脚本においては、
肝高い勝連城の主として描かれている。

(組踊とは沖縄版ミュージカルのようなもの。)

この舞台だけで、エイサーや琉球舞踊、棒術、琉球民謡などの伝統芸能と、
かつ方言や琉球王朝の時代の歴史背景まで分かってしまう、
とても盛り沢山で見応えがあるものと感じた。

肝高とは、心豊か、気高い、品位のあるなどを意味して、
勝連地域では、肝高っ子(きむたかっこ)という言葉がよく聞かれたり、使われている。

卒業公演はきむたかホールで行なわれた。
↓写真の奥にみえるのが、きむたかホール。周りにのぼりが立てられていた。


沖縄に来てからこの劇のことを聞いていて、
前評判はとてもよいと聞いていたので、かなり期待していった。

舞台の横に位置する生演奏のきむたかバンドのメンバーも中高生。
とても伸びやかに舞台の音響すべてを担っていたけど、
歌も演奏も身体を揺らし、リズムをとりながら楽しそうに
舞台の進行と一体となりながらすばらしい演奏を披露していてくれた。

台本は一切見ないで、役者さん達を見ながら演じて奏でていた。
すべて頭に、身体に入り込んでいるからこそできるんだなあって、
主役ではないけど、一緒に演じているバンドのメンバーがとても格好良かった。

見る前は歴史が分からなければ、どうなのかなって思っていたけど、
そんな心配はいらなかった。

方言での台詞もあったけど、
分かるような演出になっていた。

歌も踊りも台詞も
一人ひとりの表情を見ていると皆身体全身であらわして、生き生きしていた。

今夜の公演で卒業って思うと
とても感慨深いシーンが何度もあった。

自分の力を舞台で出し切れる場があること、
自分達で工夫しながら一つのものに、
一生懸命取り組めることがあること、
中学生と高校生が一緒になって一つのものを作り上げていく場があること、
うらやましいなあって、
格好良いなあって、
心が動いた。

音楽も歌も素敵だったけど、
たぶん一番心を揺さぶられたのは、
それを演じる一人ひとりの肝高い志と誇りが感じられる舞台で、
本当に皆が生き生き演じていたことが伝わってくる距離感だったからかもしれない。

ティーパチパチ(拍手)しすぎて、終わった後手がジーンってしていた。

本当に中高生とは思えない素敵な舞台だった☆

終わってからロビーで写真を撮り、
外に出たら、前の芝生の広場で再度役者さん達が歌って踊っていた。
やっぱりかっこいい♪

たぶん実際の勝連城でやったら、
こんな感じになるんだろうなーって思いながら
いつか是非勝連城の野外で見たいなと思った。


絶対また観に行くぞー☆
私も参加したーい☆
一緒に踊りたーい♪
そんな気持ちにさせてくれた舞台だった♪
やっぱり琉球舞踊か太鼓か三線か習いたいな☆

家に帰ってきてから思った。
感動して心が動くような素敵な舞台を見ると、
なんかきれいになるような気がするって。

気分が高まって心が浄化されるからかな。
心も身体も、舞台の興奮の余韻に浸っているからかな。

まだ舞台を観終わった後の余韻に浸っている♪
感動をありがとう☆

沿道から☆

2009-02-22 | 沖縄のこと
今日は沖縄マラソンの日☆

アパートの前の道路がコースになっていたので、
朝からワクワク♪

交通規制がされて片側車線になっていた。

放送車が通り、選手が走ってきた☆
はじめはベランダから見ていたけど、


やっぱり近くから応援しようと思って
下に降りていった。

誰か知っている人が出ていればまた違った楽しみがあるんだろうけど、
今回は沿道の人多々ちと一緒に拍手で応援☆


初めは速い選手達がまばらに通り過ぎていったけど、
あとから途切れなく走者が通り過ぎていくようになり、
目で追っていると目がまわりそうになった。


はじめは男性が多かったけど、
あとから女性も沢山見かけるようになった。

時々仮装している人たちが通って楽しませてくれた。

スパイダーマン、筋肉マン、ゴーヤー、亀・・・etc.

走る姿を見るのっていいな~☆
やっぱり私もいつか那覇マラソンにでてみたいなあ。

沖縄マラソンは基地の中を通れるからまた面白そうだけど、
でも那覇マラソンは沿道の人が途切れなくて頑張れるって聞いたから、
フルマラソンなら那覇の方に参加してみたいな。

今は多分10kmもきついような気がする。。。

4月初めにある地元のマラソン大会にエントリーするかな☆


集い☆

2009-02-22 | 沖縄のこと
昨日は、公民館で地域医療に貢献されてきた先生の引退を、区民が感謝の気持ちをこめて開催した会に、お邪魔させていただいた。

沖縄(私が住んでいる地域は特になのかもしれない)では、
ことあるごとに盛大な会が催されている印象がある。
沢山の人が集まって、舞台では出し物が出されて、お祝いする。

沖縄の人たちにとっては普通のことでも、
私ははじめてそういう会に参加したので、会場についたら少し圧倒された。

昨日は300人以上の方たちが参加していた。

公民館といっても、小劇場のように立派な建物。
300人も収容できて、しかも舞台が設置されていて、
小さな体育館を彷彿させられる建物だった。

自治会館だったり公民館だったり呼び方は違えど、
きちっと地域の中で確かな活動の場の中心にすえられている沖縄の公民館の機能。
自治会や婦人会、老人会など地域でのつながり。
それがすごいなと思う。

7時から9時半までの会に区民の方が、
長年地域医療に貢献されてきた先生を囲んで、
琉球舞踊や棒術やライブや沢山の芸を披露されていた。

長寿会や婦人会が中心になってのことだったかと思うけど、
こんな会の開催がこの地域ではお祝いのたびにある。

日本全国田舎に行けば、こういうのって当たり前なのだろうか。

母親の田舎の祖父の葬儀の時に、近所の人たちがそれこそ何百人と参列に来ていて、
地域の密な一面を感じた。

でもそんなお祝いごとを、米寿だ何だと盛大にお祝いしていただろうか。

地域の習慣というものが、時にわずらわしかったりする人もいるかもしれないけど、
人々の中で暮らしていくということを、
沖縄の伝統が濃い今の地域にきてから感じる機会が多くなった。

家族で支えあって、親戚で支えあって、地域で支えあっているからこそ、
人とのつながりが密にならざるを得ないのかなと。

沖縄に来る前は、本とかで読んで知ってはいても
この家族社会の強さを想像し得なかったから、
同じ職場に家族がいることや何かしら仕事で親戚のつながりが多いことなどに、
どこか違和感を感じていたこともあったけど、
こちらにきてから沖縄の社会を体験することで、納得できるようになった。

歴史、文化の違いを感じた一つだった。


さて、昨日は医介輔(いかいほ)を引退された先生を囲んで感謝する集いだった。
沖縄に来て、初めて知った医介輔制度。

へき地や離島の医師不足を補うために、
戦後沖縄・奄美だけに認められた特別医療制度。

その制度の背景には、
沖縄戦により県内の医師が六十数人まで激減したという背景があった。

医介輔は米国政府により、医療助手だった人などを対象に試験が実施され、
へき地・離島の医療を支えるために認められた医療制度。

医介輔の先生は、内科、外科、小児科、産婦人科などすべての診療科目を診なければならなかった。

試験に合格したのは県内で96人いたそうだが、
特別制度のため、新たに医介輔の資格を持つことはできず、
どんどん医介輔の先生がいなくなっていったそう。

先生が、沖縄で最後の医介輔だった。

復帰後の医療を約六十年間支えてこられた先生は、87歳。
「患者に対する優しさが医の原点」と語る先生は、優しい雰囲気を持った方だ。

昨日の会では、引退された先生の生い立ちから現在までを、
エピソードを交えながら聞く事ができた。

電灯がない時代、台風のときも往診に出かけていった話をきき、
デイを利用しているご利用者さん達からもよく先生の話を聴いていただけに、
地域での医療を支えてこられたのだと心から敬服してしまった。

会が終わり、外に出て皆さんが一人ひとり先生と握手しながら感謝の挨拶をされていたことも印象的だった。


ロビーに約六十年ずっと使って来られた年季の入った診療かばんが展示されていた。




知らなかった医介輔というへき地・離島医療の制度を沖縄に来て知った。
知った矢先に、先生が引退された。
とても残念だとおもったけど、
引退されてから先生が好きな畑に向かう姿を、
送迎時に何回かお見かけしてから、
やっとのんびり暮らせるようになった今がいいのかもしれないなあと勝手に想像を膨らませて思った。

先生が引退されたことで、新聞記事やTVを通じて
医介輔という制度を今まで以上に知ることになり、
先生のエピソードも沢山耳にすることができた。

都会とは違う特別な地域医療のことを、
戦後沖縄を含めて知ることができる環境に改めて気付かされ、
沖縄に来たことに、どこかご縁を感じて、感謝。


イッペーと夕刊にまつわるエトセトラ♪

2009-02-22 | 沖縄のこと
ここ最近、送迎時に色鮮やかな花がまた沢山見られ始めてきた。

ブーゲンビリアやハイビスカスをはじめ、
原色の赤、ピンク、オレンジ、白、ムラサキ、黄色など、
車で走っていると、とても目をひく。

そのなかでも、最近良く目にするのが、「いっぺー」という花木。

街路樹だったり、家の庭に咲いている。
3m~5m程の木で、葉っぱがない印象。
だから花が際立って見えるのかな。

私がよく見るのは鮮やかな黄色の花。
お花が大きいので沢山咲いていると見事。

南米ブラジルの方の原産だとか何とか。

本当は3月下旬から4月くらいまで咲く花のよう。
温暖化のえいきょうだろうか。
今年はこの時期は、雨の時期なのに、全然雨が降らないと言っていたし、
生態系大丈夫だろうか。


でも、もうしばらく目を楽しませてくれるそうなイッペーさんだろうな☆



このイッペーの写真はご利用者さん宅のもの。
この集落にご利用者さんを送っていった日のこと。

ご利用者さん宅の前に停車したときに、
バックミラー越しに、肩からかばんをさげた70代くらいの女性が歩いてくるのが見えた。

「夕刊配りの人だよ」とご利用者さん。

え~~~っっっ?!

普段から通りに歩いている人の姿をあまり見ない環境において、
のんびり歩いてくる女性の姿、しかも年配の方だし、、、。
新聞配達って言われても、ぴんと来ないし。

で、少し待ってみることに☆
そしたら、本当に新聞配達の人だった(当たり前か。。。)

ご利用者さんの家のお勝手口に置いて、また歩いていかれた・・・。

何時間かけてまわるのだろう?
重くないのかな~。
暑い日も歩くんだろうな・・・etc.
なんかいろんな疑問が頭をよぎった。

この数日間、新聞配達のこのことを忘れていたのだけど、
昨日職員さんのお家にあがったときのこと。
夕刊がテーブルの上に置かれていて、
「いつから夕刊が廃止になるんだろうねえ」という話題になった。
それで数日前の新聞配達の件を伝えると、
ここら辺でも歩いて配達しているよーとのことだった。
普通だったのか。。。

そして、もうひとつ納得いくことに、夕刊の薄さの発見だった。
テーブルの上に置かれていた夕刊を、
私はてっきり夕刊の一面紙だけをとっておいていたのかと思っていた。

でも、聞いたところそれが通常の夕刊の枚数とのこと。
2,3枚しかない薄さ。
え~?!
また衝撃がっ。
その2枚か3枚の新聞のために歩いて配達してるのぉ?

だから、年配の方が歩いてまわっても、
そんなに重くないのかなって合点。

今はネットの時代だし、近々夕刊が廃止になるそう。
それを聞いて、はじめはそれが普通だよなあって思ったけど、
あの新聞配達の人たちの収入がなくなるんだなあって思うと、
ちょっと心配と思った、一こまだった。

交流会☆

2009-02-21 | シアワセ
金曜日の夜、会社の中で建物も離れていて交流の少ないケアマネさん達との交流会があった。

サバサバ、あねご肌のNs.ケアマネさんや
商人の家で生まれて人に対するONとOFFの使い分けを自然にしてしまうというケアマネさんなど、
個性的で素敵な人たちとの交流会だった。

笑ったりしんみりしたり、なんか感情が揺れ動いた3時間だったな☆

人生の先輩方との交流は、いろんな面で勉強になる。

楽しいひとときだったな♪

園芸&クルージング☆

2009-02-20 | 仕事に関連すること
今日は、午前中の30分間、
ご利用者さんからのご指名を受け、
デイの畑での園芸のやり方を伝授していただくことになった。

今日はとりあえず、植えた苗の中で
背が高めの苗に、風で倒れないように
仮の支柱を立てて、紐でつけるところまで。

苗の幹がどの位太くなるかなど予測した上で、
支柱の方はしっかりと結び、
苗の方は余裕を持たせて結ぶ方法を教わった。

仕事の中でご利用者さんから教えていただける機会を持てるなんて、ありがたいことだ。

今現在、畑に植えてある苗は、
ナス、トマト、ミニトマト、きゅうり。

水やりと、苗の成長をみて、また伝授をしてくださるそう。

ゴーヤーとへちまも植える予定で、
あと今植えてある葉野菜類を収穫し終わったらまた別の野菜を植える予定とのこと。

楽しみ☆


午後は、1ヶ月前から満潮の時間を調べて予定していた、初のクルージングの日だった。

昨日から天気予報とにらめっこ。
今朝も波の様子、風の様子を見ていたけど、
お昼から風が強まってきて波も立ってきたので
本日は残念だったけどご利用者さんにはその旨説明をして、
次回ということにしていただいた。

職員は下見がてら行くことにして、
船に乗って、時間や揺れなどを体験しながら1時間強のクルージングタイム。

本日は南東の風で風速5~6m、満潮になるにつれてうねりが高くなるとのことだったので、
様子をみていたら、やはりその通り。
行き先は津堅島☆

方向的に行きは向かい風となったこととゆっくり走ったこともあり、45分ほどかかった。
帰りは追い風になり、太陽も出てきて20分ほどで到着。

波の高さが本日は2m。
ご利用者さん達が乗れるのは、1.5mまでかなとのこと。
朝の新聞でチェックすることになった。

課題としては、やはり予想していた乗り降りの問題。
岸壁から船への乗り降りの際、
時間を読み間違うと、行きと帰りの高低差が大変なことになってしまう。

予防の方たちで身体的に特に問題がない方なら大丈夫だが、
今の所車椅子で希望のある方をスムーズに乗せられる体制が整っていないので、
そこらへんをクリアできるようにしていきたいなと思う。

風を受けるって結構体力を消耗するので、
今日は下船後、ちょっと疲れた。
曇りでもまぶしいので、次回はサングラスを忘れないようにしよう。


新しいプログラムを発展して続けられるよういろいろ考えていきたいなと思う。