大切なキモチ

感じるままに、日々思ったことを書いていこうと思います。

人間関係模様

2006-02-28 | 仕事に関連すること
明日で、今の職場も最後だ。
今日、何人かで夕ご飯をイタリアンレストランで一緒に食べた。

私の知らなかった職場での人間関係が少し分かった。
自分のテリトリーを侵されること、
意見の対立etc.
上への提案もどうせ受け入れられないからとあきらめモードに入っている。

ちょっと悪口(愚痴?)を言いながらも
人間相手の仕事を選んだ方達だけあって、
各人の良いところも悪い所もよく見ている。

その語りを聞いている中で感じたこと。
多分、私がこの人たちと一緒にケアワーカーという同じ仕事をやっていなかったら
こんなにも込み入った話をするような関係になれていなかったのではないかなと。

(立場や職種が違うと分かり合えない部分が出てくるのは当然のことだけど。。。)

現場の一番最先端でてきぱきと効率を考えながら仕事をこなしている3年目ぐらいの
ケアワーカーの方達の意見は鋭く、的を得ていることが多い。

しかし、その方達が現場で動いていて感じた信号や意見を
現場より少し離れた所にいる上の人には届かないことが多い。
現場としてはこうすればもっと効率よくまわっていけるのに・・・
ほんの小さなことかもしれないけれど、
その小さなことの積み重ねが現場をよりよくなっていく階段というもの。

お互い理解しようと思わなければ、どうしても温度差が生じてしまう。

どうしたらお互いが歩みよれるのか。

利用者さんのこと、現場スタッフのことを考えれば現場で動いている人たちの
意見に耳を傾けられてこそよりよい職場や施設になっていくのではないかと思うのに。
もったいない、と私は思う。

上には上の仕事がたくさん山積みになっているということは分かるけれど、
意見としてそれをいったん受けとめることはとても大切なことではないか。

私の知らなかった人間模様を少し分かった。

自分がケアワーカーではなくなっても
この1年で学んだことやケアワーカーとしての立場で感じた気持ち、
現場の意見の重要性を忘れずに仕事をしていきたいと思う。

思い出にひたる。

2006-02-26 | シアワセ
今『マチュピチュ晴嵐』と『行きたい!マチュピチュ―77回目のマチュピチュ
』という本を読んでいる。

その為、自分がマチュピチュに行った時を思い返して、
また写真をみてみた。
やっぱりいいなぁー。

この前の休みの日にネットを立ち上げていたら、
マチュピチュでお世話になったペルー人のガイドさん2人から続けて
メッセンジャーでメッセージが入った。
ネット上で少しやりとりを楽しんだけれど、
やはり電話をしなくてもよくて、また会話のやりとりができ、
写真を郵送で送らなくても見られる利点を感じた。

もちろん手紙はその人の文字や想いが詰まっていて大好きだけど、
遠い国だと届いたのだろうかという不確かさもあるし、
どうしても疎遠になって行きがちである。
その点、ネットで気軽にかしこまらなくてもつながっていられるのはいいなと思う。

話をもとに戻して、
マチュピチュは卒業式前に卒業旅行で選んだ国だった為
写真を見ていたら、ついでに学校の卒業式の写真まで見てしまった。

お世話になった先生方とクラスの友達の笑顔を見ていると
本当に幸せな気分になった。
団結力の合ったクラスに入れたことを本当に誇りに思うし、また人に恵まれたなと心から思った。

自分が仕事で困難にぶつかったら
この4年間のアルバムと卒業式の写真を見返して頑張ろうと思った。

でも、4月からまたお世話になった先生が母校から去ってしまう。
去年、担任だった先生が他の学校に移られ、
大御所で人望も厚かった先生も体調をくずされて辞められ、
そして、また一人先生がいなくなってしまう。。。
本当にさみしい。

学校に行っても知らない先生やほとんど話したことのない先生ばかりになると
自分の母校だけれど母校じゃなくなってしまったような気がしてくる。

残念だな。。。

仕方ないけれど。

もうすぐ出会いと別れの季節になる。

私も3月から異動。

昨日から利用者さんたちに別れの挨拶をしている。
月木コースの皆様…博識の方が多く、いろんなお話をしていただいた。
         思いやり、ユーモア、気遣い、優しさなど人として
         大切なことを学んだ。私を一人の人として知ろうと
         してくれた方が多かった。成長を見守って下さり、
         はっきり言ってくださる方もいらした。
火金コースの皆様…90歳代の方も多い中、気持ちが若く、明るく、元気なイメージ
         の方が多かった。身体的にはどこかしら不自由さをお持ちにも
         かかわらず、ゲームになると白熱したり、言いたいことを
         はっきりとぶつけるなどエネルギッシュな方達に、元気を頂いた。
水土コースの皆様…穏やかで皆さんで何かをする時にとてもまとまりのある
         方達だった。誰かがぬきんでるのではなく、傷つけるの
         ではなく、根がしっかりされ優しい方達が多かった。
それぞれに特徴があって、思い入れもまた違い、
差別しているわけではないけれど、自分の性格に合ったコースの皆様とは特に別れは寂しいなと思う。

人前で話すこと大の苦手で避けてきた私だったが、
仕事上、レクの司会をやる機会が多くあり、
慣れざるを得なかった。
今でも慣れたとは言えないが、利用者の皆様が不平文句を言わずに
見守ってくださったことで、私も少しずつできるようになったのかなと感じている。
本当にありがたいと思う。

4月から半年程はレクの司会当番の前日は休まる気持ちがしなかった。
何を話そう・・・楽しんでもらえるにはどうしたらいいかな。。。
見えない人がいるからこのゲームは駄目だな。。。
聴覚が厳しい方がいるから視覚的に楽しめるお話しをしよう。。。
時間配分はどうしようかな。
どのくらいかかるだろう。。。

ある程度流れを考えていても
どういう展開になるかは
当日の利用者様の反応によって変わって来る。
だから、おもしろいといえる面もあるが、
臨機応変が苦手な私にとっては、もし早く終わってしまったらどうしよう
という不安や恐怖感も常にあった。

だから、利用者さんからいろんなお話や反応を引き出せた日はすごく嬉しくて楽しかった。
本当に、利用者さんありきの職業だなと感じた11ヶ月だった。

心にとまった文章

2006-02-22 | その他
「 自分が考えることは、文字や言葉にすることで、
 最初の思考からは少し離れたものになります。
  本来感じるべきことを、そういった使い勝手に少
 し難のある道具を使いながら探りあうのが、人間同
 士のコミュニケーションなのでしょう。」

これは、ある法務教官の言葉。
自分を表し、人とつながる主な手段として私たちに与えられているのが、
この、言葉という不自由な道具なのだと言う。
 だから、相手と向き合った時に、そこには巨大な誤解ゾーンが横たわっている。
互いによく知らないとき、誤解ゾーンは大きく、だんだん気心が知れてくると、
誤解ゾーンは縮まってくるものの、依然として、言葉による食い違いはなくならない。

以前紹介した山田ズーニーさんの本の中に書かれている一節。

普段から思っていたことを文章に端的に表されていてまさにそうだと感じた文章です。

人を知り、職を知り、自分を発揮する

2006-02-21 | 仕事に関連すること
今の職場に入る前は、
専門職で作業療法士という枠組みの中で勉強してきたことで、
本当の意味で他職種の方々のことを知らなかった。

ケアワーカーとして1年近く働いてきたことで、
大事なことは、「一緒の方向を向いて働く」という当たり前のことだと思った。

施設の中で「リハ部」「作業療法科」など
専門職だけでくくられたら、
養成校の時だけでもかなり狭まれているのに、
よけいに視野が狭くなり
自分達だけのテリトリーの中で仕事をし、
他職種とは交われなくなっていく。

こわい事だ。

住み分けしている。

専門職として意識される部分になると、
どこか変にプライドがあったり、
他の職種と比較して上下を意識してしまう部分があったりしないだろうか。

アイデンティティのあいまいさ。

チームアプローチというけれど、
住み分けがされ、相互交流のない病院では
お互いが歩み寄っていかなければ
時間の制約、業務内容の違い、仕事量のこなし方の違い、
教育課程の違いなど、様々な相違点を超えてのチームアプローチは難しいと思われる。

でも、その前に、一人の人間として他職種に興味を持っているのだろうか?

同じ施設で働いているのに、
職種の違いだけで見ようとすると
システムがしっかりしていないと、どうしても対立がおきる。

同じ職種同士で対立する時は、○○さんが・・・と個別的な問題点があがるのに、
他職種同士では、「介護さん」とか「リハビリ」とかであがってくる。

この1年間で、人対人で付き合ってお互いを良く知っていくと、
仕事の面でもコミュニケーションが取りやすくなるということを学んだ。

仕事となるとまず、その人の職種は何か?から入ってしまうけれど、
まずはその人がどんな人なのかを知っていこうとすることも
遠回りなようだが、実は作業療法を理解してもらい
一緒にやっていくための近道なのかもしれないと最近は感じている。

仕事をきちんとしていくなかでも
「仕事」でっかちにはなりたくないなと思う。
まずは、目の前の一人の「人」ありきだなと・・・。
 
 職種ではなく、その人ありき、
 検査ではなく、その人ありき。

言葉のサラダ?観念奔逸?連合弛緩?

2006-02-19 | その他
「ちょっとすいませ~ん!」

大声で人の間をかき分けて電車の車両を移動してきた一人の男性。

なぜか、私が座っていた端の席に一番近いドアのところで止まった。
そこには先客がいたのだが、男性が近づいてきた途端、ササっと離れて移動していった・・・。

彼は、一人で大声で何かを訴えたり、話したり、目に入った看板を読み上げたと思ったらそこから単語がバーっと出てきたり。
そのあと、少し間があって「そう。○○さんにおこられる~!」「どうしよう?」など、
彼の方を見なければ、まるで電話で誰かと話しているよう。

彼の話を聞いていると、よく知っているなあという名称を続けざまに連続して言ったり、時々くすっと思わず笑ってしまうことを発言している。

駅にとまる度に車掌さんのように「○○で~す。」と叫んでいるかと思うと、
乗って来た人に「ここは○○(駅名)ですかー?」と聞いたりしている。
乗って来た人は初めは普通に「そうですよ。」や「はい。」などと答えている。
それだけ彼が、自然に質問するからだ。
しかし、ドアが閉まり彼が一人で大声で話し始めると、遠巻きで様子を伺うようになる。

電車で時々、そんな人に出くわす。
彼らが何か暴力をふるうとかではないのを知っているから普段は何とも思わないけれど、
今日の彼は、声も大きかったが、咳をするにも全てを吐き出すように
全身でゴホンとしていたので、さすがに席を立とうかと思った。

こんな所で風邪をうつされてはたまらない。

社会生活にはルールがある。
けれど、彼らにはそのルールを学習するのが難しいことが多い。

だから、小さい頃から社会で適応して生きていけるように
最低限のルールを身につける訓練をしたりしてきた経験があると思う。

けれど、やっぱり障害を持っているからといって、
あまりにもルールを逸脱した行為を、プライバシーエリアなんてない程すぐ側でやられると良い気持ちはしない。

ふと思った。
おそらく、彼の成長に関わってきた家族や周りの人たちは
彼が初めて言葉を発した時、初めて電車に乗れた時、
ただそのことだけに特化して、正常発達の子どもを持った親よりも喜びを感じたのだろうなと。

「すいません」「ありがとう」など最低のことは身につけられる。
でも、あまりにも複雑な社会の中でルールを守りながら生きていくというのは、簡単なことではないのだなと思わされた。

彼らの障害に対する社会の理解度は低いと思われるし・・・。

「状況判断力」、普段私達はあたり前にこの能力を使っている。
けれども時々今日みたいな場面に出くわすと、それがあたり前に使える力ではなく、
でかけるときには、無意識のうちに脳をフル回転させており、他者と関係をとったり、迷惑をかけないようにしながらルールを守っていきているのだなと感じた。

小さな子どもほど、状況判断力が身に付いていない。
多方向に注意を向ける力が未熟だ。
だから、友達と話しながら歩いていると周りに注意がいかなくなりぶつかったりする。

感覚過多の社会の中では、ものすごいスピードで危険を察知したり、
今はこれをしちゃいけないなどの判断を要し、
取捨選択しながら生きていく為の能力が必要なのだなと感じた。

爪もみ☆

2006-02-19 | その他
最近、毎日心がけて試しているのが、この「爪もみ」。
東洋医学の経絡などを基にしながら、データをとり根拠を示すという西洋医学の思想も取り入れて、確立されている療法。

免疫力を自律神経の交感神経と副交感神経とのバランスをリンパ球などの数でデータをとり、効果を証明している。

方法は、自律神経が集中している爪の生え際(薬指以外)を「痛気持ちよい」ほどの強さで10秒ずつもんでいくだけ。

習慣になるまでつい忘れてしまうけれど、
歩いている時や電車の中、入浴中など
道具が要らないので手軽にできる。

初めはパーキンソンの症状緩和にもなるということで興味を持ったのだが
私も冷え性、アトピーなどがあるので続けてみようと思っている。

すぐに効果を期待してしまう西洋医学が好きな人には駄目だと思うけれど、
東洋医学に興味がある人なら良いのではないでしょうか☆

詳しくは本を読むのが一番だと思う(私は図書館で借りました☆)。

創始者は福田稔Dr.と安保徹Dr. 「福田ー安保理論」と呼ばれています。

参考に
http://www.bbbn.jp/~aoyama-y/parkinson/tume.htm
http://www.karadaya3.com/kenkou.html 

現職者研修 -老年期-

2006-02-18 | 勉強
1日目の今日の講義の中に、就職活動の時に見学に行きたかった所の一つでもあった
桜新町クリニックの院長の長谷川先生の講義があった。

後半、これまで実践されてきた地域での具体的なその方その方の人生を楽しむ事例のお話を聞いているとき
病院じゃなくて地域を選択してよかったと心から思える瞬間があった。

私が病院より地域に魅力を感じる理由の一つにも通じることだが、
病院は主体性と言っても、やはりどうしても治療者と患者という関係が出来上がってしまうことは否定できない。
患者側は「病院」の中で、心理的にも身体的にも「患者」にさせられてしまう。

でも、自分の家は違う。
「その人の家」だ。
家にお邪魔する時から、「治療者」は姿薄れ、その方が希望することに対して支援する「協業者」としての役割にかわる。

だから在宅が好き。
その人が住んできた家には、その人らしさが堂々と、そこかしこに詰まっている。

その人にとってあたり前がたくさんある。
その人にとって安心できる場所だ。

だから、顔つきが病院とは違う。
家族がその人に接する態度も病院とは違って見える。

環境が変わるということの意味の大きさ。
良い方にも悪い方にもベクトルは向く。

作業療法は、生活を支援することを得意とする。。。
その人と家族が、「笑顔」と「あたり前」を取り戻せるように。

それは、自分に当てはめて考えたら「病院」でないことは明らかなんだけど、
まだまだ作業療法士の認知度が世間の中で低いこと、
自分達の中でもアイデンティティが確立されていないこともあって
作業療法士は地域で活躍しているより病院が多いんだろうなと感じる。


雰囲気作り

2006-02-18 | その他
今の職場には、ムードメーカーの人がいる。
常勤ケアワーカーの2人。

二人とも非常勤の人たちと違って事務的な仕事もたくさん抱えているのに、
サービス中は全体を見守りながら、どこかの活動が手薄な場合は
全体のバランスを見ながら臨機応変にフォローに入る。

もちろん自分の番の仕事もこなしながら。

それなのにどこか余裕があるんだ。
だから、ぎすぎすした感じじゃなくて、安心感を感じる。

なくてはならない存在。

それは職員間だけではなく、おそらく利用者さんたちからもそう見られているだろうな。


目で表現ができて、表情全体が生きている
心で、心から利用者さんたちと笑っている

優しいんだなあ

だから、新しく入ってきた方達も人間関係でやめるということがみられず
人が長く定着できる職場になるのだろうな。

良い雰囲気を作っていける人たちがいる。
心の底からすごいと思う。
周りの人たちを引っ張っていける力がある。
良い影響を与える人が、上に立っているっていいよなあ。


実習の時の話しだが、3週間の評価実習時の失敗が
8週間のインターン実習の時にもずっとトラウマとなってひきずっていた。

しかし、実習地が変われば対応も様々で、インターン実習の1期目、
指導者は対面した時から終了する時まで一貫して学生に対して、
話しやすい雰囲気を常に自然に作ろうとしてくださっていた。

教えることはきちんと押さえながら、利用者さんたちと同じ様に学生一人一人を知ろうと、向かいあおうとしてくれた。


もし学生さんが来た時には、良い雰囲気を作って緊張感を和らげていける人になるぞーと思っていたけど、
今の私にはまだまだその域には達せないだろうな。
そう分かったら、今までに出会った、周りを和やかにすることができる人たちの能力を改めてすごいなと感じてしまった。

学生の時は実習を引き受けることなんて嫌だと思っていたけど、
自分が臨床に出てみて、実習中に教わったことをことある毎に思い出すと、
みんなそうやって先輩方に育ててきてもらったから今の自分がいることに気が付く。

3年経って実習指導ができるようになったとしても
自分の未熟さは変わらないと思うだろう。
けれど、そこは臨床の場。ただ利用者さんと接することで、
学生さんが何かを感じて考えてもらえるような場にはなると思うから、
最低でも、学生さんが失敗しても縮こまってしまうような雰囲気にだけはしないように心がけたいなと思う。

言いづらいこと

2006-02-18 | その他
昔から苦手とすることがある。

相手を注意することややって欲しくないことを相手に言うこと。

仕事の中では言わなければならない場面は避けて通れないだろうけど、
私生活の中では、自分が黙っていれば、何も波風も立たないし言わないでいてもそれで通る。

自分がそういう言い方をされたら傷つくだろうなーと思うと、
注意すべきことでも飲み込んでしまったりする。

こういう言い方をしたら傷付かないかなあと頭の中でシュミレーションしたりしていると、もういいやってなってしまう。

さらっと自分の思っていることを相手に言えて、
注意もきちんとできる人をみるとうらやましい。

真似しようとするけれど、言いにくいことを言おうと思えば思うほど、
自分がそう感じてしまった時点で
自分の後ろ向きな気持ちに負けて空回りしてしまう。

ネガティブな気持ちを抱いた時にすぐに上向きになれないのが自分の欠点。

気持ちの切替が素早くできるようになりたい。
自分の気持ちをある程度コントロールできるようになりたい。

決めつけすぎるのかな。
思い込みすぎるのかな。

こういうふうになりたいと思っていても
相手とお互いを知ろうとしていなければ
いやなところばかりが目に付くだろうな。
注意云々の前に、関係と言う部分で根本的な部分でつまづいているのだろうな。

難しいな。

相手にあわすのではなく、自分が雰囲気を作っていく立場だったり、
引っ張っていかなければならない時がいずれかは来るだろう。