今日の夕方ミーティングの時に、創作活動で認知症を抱えるご利用者(Aさん)が布ぞうりを作る時のサポートの1つとして、
簡易的な作り方手順を書いた物を作ってみたので、次回様子を見て欲しいと伝えた。
ミーティング終了後に一人の介護職員さんが、
「Aさん字を読んで理解できますかねぇ?わたし、以前Aさんが好きな本の資料を印刷してお渡ししたんですけど、
その本のあらすじを聞いたら、少しとんちんかんなことをおっしゃって、理解してないのかなぁ?あやしいなぁって思ったんです。
だからそれ以来本に関しては触れないようにしているんです。」
と話された。
そこで、普段Aさんとの「その場において」の会話ではとんちんかんなやりとりはないこと、
でも同じ話は何度か聞かれるという確かめと、
創作時に「次はこうして下さい」と口頭説明をした時には
指示通りに問題なく進められることをお話して、
Aさんがアルツハイマー型認知症ということ、
記憶力が低下しているがゆえに、本の内容を理解していても
完璧に思い出すことが難しかったりするのだと思う等を伝えると、
「え~!そうなんですか~?認知症だと思わなかったです。なるほどぉ、そうか。だからかぁ。何かつながりました!」
と言われていた。
この介護職員さんは、まだ入職して半年もたっていないこともあり、
介護の専門的な知識も経験としても知らないことの方が大部分をしめている。
だから1ヶ月前に利用者さんに関するアンケートを書いて頂いた時の
ご利用者さんの状態を説明する形容の仕方を見ても、
素人よりの見方だと分かる感情的・主観的な部分が文章に強く出ていた。
でもその分、接してみて変だなぁとか、おかしいと思う違和感を感じるのが敏感でもあり、
それに対してなぜ?と思い、その理由のヒントを知ると、
どんどん吸収して、ご利用者さんの側に立って見られるようになるというのを教えてくれた。
何の情報もなくただご利用者さんと関係をとろうと近付き接した時、
一般的にみたら「ちょっとおかしい」と感じ、自分が思っていた人とは違うようなそぶりがみられた…。
知識も経験もないその介護職員さんには、その言動の背景になる理由がわからない為理解できない。
だからそのことには触れないようにしよう、その人にはあまり近付かないようにしよう、って思ってしまう。
私も知らないことは怖い。
だから知らない疾患の人や初めてお会いするご利用者さんだと、かなり緊張してしまう。
自分からはあまり近付かないようにしようかなとか、近付こうかな等といつも葛藤をしている。
でも疾患について調べて、いろんなことを相手に聞いていく過程で相手と関係ができ、
少しずつ知識も入り理解できるようになる。
そうやって知っていくと楽しくなる。
お会いするのが嬉しくなる。
私が今のデイに来たときには、介護職の経験が長かったり、介護福祉士の勉強をしてきた職員さん達と接してきたから、
ある程度の事は知っていて当たり前になっていた。
今日、Aさんについて介護職員さんがお話して下さったことで、
改めていろんな介護職員さんがいて、
感情だけではなく、ご利用者さんの立場でみていけるよう正しい知識を
勉強会や普段の仕事の中で、一緒に共有していくことが本当に大事なんだなぁということを感じた。
話してみないと分からないなぁと思った。
今までも現場で時々、(ある決まった)介護士さんの、ご利用者さんに対する言動の中で、
プロじゃないなぁと思ってしまうような場面をみかけることがあった。
私にしてみれば、何でそういう言動ができるのだろうと逆に不思議だった。
でもその介護士さん達だって、それ以外の場面においては、
ご利用者さんのことを思い、良く知っていたり、考えたりされていた。
だから余計不思議に思った。
でも多分、病気からそのご利用者さんをみて理解する部分で、医学的な知識が足りなかったからじゃないかなぁと今になって思う。
それに関して、少しでも医療知識を学んだリハ職として、知識の共有の機会を無駄に過ごてきてしまったなぁと感じる。
今後大切なことは、そういう場面に遭遇したら、
自分も調べて勉強しながらワーカーさん達と知識を共有していけたらいいなと思った。
簡易的な作り方手順を書いた物を作ってみたので、次回様子を見て欲しいと伝えた。
ミーティング終了後に一人の介護職員さんが、
「Aさん字を読んで理解できますかねぇ?わたし、以前Aさんが好きな本の資料を印刷してお渡ししたんですけど、
その本のあらすじを聞いたら、少しとんちんかんなことをおっしゃって、理解してないのかなぁ?あやしいなぁって思ったんです。
だからそれ以来本に関しては触れないようにしているんです。」
と話された。
そこで、普段Aさんとの「その場において」の会話ではとんちんかんなやりとりはないこと、
でも同じ話は何度か聞かれるという確かめと、
創作時に「次はこうして下さい」と口頭説明をした時には
指示通りに問題なく進められることをお話して、
Aさんがアルツハイマー型認知症ということ、
記憶力が低下しているがゆえに、本の内容を理解していても
完璧に思い出すことが難しかったりするのだと思う等を伝えると、
「え~!そうなんですか~?認知症だと思わなかったです。なるほどぉ、そうか。だからかぁ。何かつながりました!」
と言われていた。
この介護職員さんは、まだ入職して半年もたっていないこともあり、
介護の専門的な知識も経験としても知らないことの方が大部分をしめている。
だから1ヶ月前に利用者さんに関するアンケートを書いて頂いた時の
ご利用者さんの状態を説明する形容の仕方を見ても、
素人よりの見方だと分かる感情的・主観的な部分が文章に強く出ていた。
でもその分、接してみて変だなぁとか、おかしいと思う違和感を感じるのが敏感でもあり、
それに対してなぜ?と思い、その理由のヒントを知ると、
どんどん吸収して、ご利用者さんの側に立って見られるようになるというのを教えてくれた。
何の情報もなくただご利用者さんと関係をとろうと近付き接した時、
一般的にみたら「ちょっとおかしい」と感じ、自分が思っていた人とは違うようなそぶりがみられた…。
知識も経験もないその介護職員さんには、その言動の背景になる理由がわからない為理解できない。
だからそのことには触れないようにしよう、その人にはあまり近付かないようにしよう、って思ってしまう。
私も知らないことは怖い。
だから知らない疾患の人や初めてお会いするご利用者さんだと、かなり緊張してしまう。
自分からはあまり近付かないようにしようかなとか、近付こうかな等といつも葛藤をしている。
でも疾患について調べて、いろんなことを相手に聞いていく過程で相手と関係ができ、
少しずつ知識も入り理解できるようになる。
そうやって知っていくと楽しくなる。
お会いするのが嬉しくなる。
私が今のデイに来たときには、介護職の経験が長かったり、介護福祉士の勉強をしてきた職員さん達と接してきたから、
ある程度の事は知っていて当たり前になっていた。
今日、Aさんについて介護職員さんがお話して下さったことで、
改めていろんな介護職員さんがいて、
感情だけではなく、ご利用者さんの立場でみていけるよう正しい知識を
勉強会や普段の仕事の中で、一緒に共有していくことが本当に大事なんだなぁということを感じた。
話してみないと分からないなぁと思った。
今までも現場で時々、(ある決まった)介護士さんの、ご利用者さんに対する言動の中で、
プロじゃないなぁと思ってしまうような場面をみかけることがあった。
私にしてみれば、何でそういう言動ができるのだろうと逆に不思議だった。
でもその介護士さん達だって、それ以外の場面においては、
ご利用者さんのことを思い、良く知っていたり、考えたりされていた。
だから余計不思議に思った。
でも多分、病気からそのご利用者さんをみて理解する部分で、医学的な知識が足りなかったからじゃないかなぁと今になって思う。
それに関して、少しでも医療知識を学んだリハ職として、知識の共有の機会を無駄に過ごてきてしまったなぁと感じる。
今後大切なことは、そういう場面に遭遇したら、
自分も調べて勉強しながらワーカーさん達と知識を共有していけたらいいなと思った。
今日は9月に結婚した友達のお家へ、友達と3人で遊びに出かけた。
嫁いだ先は、シクラメン栽培農家のお家で今が一番の忙しい時期。
ビニールハウスには沢山の色とりどりのシクラメンが華やかに並べられていた。
300円から何千円までの様々なシクラメン。
私は300円のミニシクラメンを二鉢買った☆本当に1つ1つが色も形も違うから見れば見るほど迷ってしまう。
(1鉢1鉢違う様は人間のよう…。)
こんなにじっくりとシクラメンをみられたのは友達のおかげ。
そして、お昼は皆で豚汁を作る予定だったので、材料を畑に掘りに行った☆
一輪車の荷車を友達が押し鎌を持って、畑にGO―!
初めて里芋ほりを体験☆
まず鎌で土の上に顔をだしている立派な茎を切り倒し、
その後茎の周りの土にザクザクとスコップを入れ、
土ごと里芋を掘り起こすという手順で里芋をほった。
里芋が土の中から出てきた時には感激!
茎の下の基幹にくっついている沢山の里芋。それを丁寧にパキッパキッと離していって収穫成功☆
その他にも大根、白菜の収穫も楽しませてもらった☆
「どの大根抜こうかなぁ~」
「よいしょー」
「収穫成功♪」
「今度は白菜に挑戦」「てんとう虫がいる♪」
今日はお天気が良くて、本当に大地の恵に感謝。
透き通った青空に土の色と野菜の緑色が本当にきれいだった。
幸せな一時☆
↓収穫した立派なお野菜たちを一輪車で運ぶ☆
収穫後は、お家まで戻り、昼食の準備。
今日は外でのご飯作り♪
里芋を洗う人、火を起こす人、人参やゴボウを切る人、炒めて煮て味付けをする人…。
それぞれの行程が自然の中で楽しかった。
↓このおなべで作ります♪
火を起こし豚汁を作り、さつま芋をふかして、焼き芋をして♪
「グツグツ」
友達のお義母さんが今朝お赤飯を炊いておいて下さって、それに加えて大根の煮つけやコロッケ、キンピラにカブの酢漬け、ぬかづけなどがテーブルに並んだ。
空の下で、皆でおしゃべりをしながらそれらのご馳走を食べられる幸せ☆
あ~本当に幸せだぁって思った。
おてんとさまに感謝☆自分達で食べるものを作れるって素敵なことだと改めて思った。
デザートは柿、リンゴに、庭になっているミカンをもいで食べた。
う゛~なんて贅沢な時間だろう。
おなかがいっぱいになって、少ししてからユズを取りに行った。
木の上にたわわになっているユズを、脚立にあがりハサミで切ったり、竹の棒で枝を折って取ったり。
ユズのとても良い香りに包まれた時間だった。
しいたけも生えていた☆
そのあとは友達の家にあがって、ゆっくり話をして帰ってきた。
「ふるさと宅急便」のような沢山のお土産を紙袋いっぱいに頂いた☆
白菜、大根、柿、ユズ、さつま芋、里芋、じゃが芋、ふかし芋、お赤飯、そしてかわいいシクラメン☆
有難いなぁ。
嬉しいなぁ。
一人暮らしをしていると、どうしても窓を開けて開放的にはなれないし、
都会だと窓を開けても見えるのは前の建物だけ。
だから今日みたいに人がワイワイしながら開放感あふれる自然の中で、
一緒にご飯を食べられるって、素朴だけど生きる営みの中で、これ以上の幸せってないなぁって感じた。
ありがとう☆
素敵な一日&休日でした☆
感謝、感謝。
嫁いだ先は、シクラメン栽培農家のお家で今が一番の忙しい時期。
ビニールハウスには沢山の色とりどりのシクラメンが華やかに並べられていた。
300円から何千円までの様々なシクラメン。
私は300円のミニシクラメンを二鉢買った☆本当に1つ1つが色も形も違うから見れば見るほど迷ってしまう。
(1鉢1鉢違う様は人間のよう…。)
こんなにじっくりとシクラメンをみられたのは友達のおかげ。
そして、お昼は皆で豚汁を作る予定だったので、材料を畑に掘りに行った☆
一輪車の荷車を友達が押し鎌を持って、畑にGO―!
初めて里芋ほりを体験☆
まず鎌で土の上に顔をだしている立派な茎を切り倒し、
その後茎の周りの土にザクザクとスコップを入れ、
土ごと里芋を掘り起こすという手順で里芋をほった。
里芋が土の中から出てきた時には感激!
茎の下の基幹にくっついている沢山の里芋。それを丁寧にパキッパキッと離していって収穫成功☆
その他にも大根、白菜の収穫も楽しませてもらった☆
「どの大根抜こうかなぁ~」
「よいしょー」
「収穫成功♪」
「今度は白菜に挑戦」「てんとう虫がいる♪」
今日はお天気が良くて、本当に大地の恵に感謝。
透き通った青空に土の色と野菜の緑色が本当にきれいだった。
幸せな一時☆
↓収穫した立派なお野菜たちを一輪車で運ぶ☆
収穫後は、お家まで戻り、昼食の準備。
今日は外でのご飯作り♪
里芋を洗う人、火を起こす人、人参やゴボウを切る人、炒めて煮て味付けをする人…。
それぞれの行程が自然の中で楽しかった。
↓このおなべで作ります♪
火を起こし豚汁を作り、さつま芋をふかして、焼き芋をして♪
「グツグツ」
友達のお義母さんが今朝お赤飯を炊いておいて下さって、それに加えて大根の煮つけやコロッケ、キンピラにカブの酢漬け、ぬかづけなどがテーブルに並んだ。
空の下で、皆でおしゃべりをしながらそれらのご馳走を食べられる幸せ☆
あ~本当に幸せだぁって思った。
おてんとさまに感謝☆自分達で食べるものを作れるって素敵なことだと改めて思った。
デザートは柿、リンゴに、庭になっているミカンをもいで食べた。
う゛~なんて贅沢な時間だろう。
おなかがいっぱいになって、少ししてからユズを取りに行った。
木の上にたわわになっているユズを、脚立にあがりハサミで切ったり、竹の棒で枝を折って取ったり。
ユズのとても良い香りに包まれた時間だった。
しいたけも生えていた☆
そのあとは友達の家にあがって、ゆっくり話をして帰ってきた。
「ふるさと宅急便」のような沢山のお土産を紙袋いっぱいに頂いた☆
白菜、大根、柿、ユズ、さつま芋、里芋、じゃが芋、ふかし芋、お赤飯、そしてかわいいシクラメン☆
有難いなぁ。
嬉しいなぁ。
一人暮らしをしていると、どうしても窓を開けて開放的にはなれないし、
都会だと窓を開けても見えるのは前の建物だけ。
だから今日みたいに人がワイワイしながら開放感あふれる自然の中で、
一緒にご飯を食べられるって、素朴だけど生きる営みの中で、これ以上の幸せってないなぁって感じた。
ありがとう☆
素敵な一日&休日でした☆
感謝、感謝。
ものごとをゆっくりと深く考えたい時、
単純なこと、だけどだからこそ底無し沼のように、
どこまでも答えがみつからないことをただただ掘り下げて考えたい時がある。
ものごとを自分なりに吟味して砕きながら考えを深めていく、
そんな時間が好きだ。
そのきっかけになるものが、読書。
この前図書館に行った時に、5,6年ぶりに灰谷健次郎さんの『天の瞳』を借りた。
専門学校を受験する前に読んで心があたたまったので買って集めていた本だ。
でも4冊までは買っていたがいつ次が出版されるか分からないで忘れていた。
私が買わなくなってから4冊出ていた。
久しぶりに手に取った灰谷さんの本。
変わらず自分と重ねたりして考えさせられ、じわ~っとくる小説だ。
その中の一節。
「…確か八歳の子が書いた詩です。
きんぎょばち
きんぎょばちに
入っているきんぎょを
よこからみると大きくみえる
上からみると小さくみえた
どこから見たら
ほんとのきんぎょに見えるだろう
…事実がいつも真実とは限らない。そう考えようとする態度が人には必要で、それは人間の知性の一部です。
大きくみえた金魚を、これがほんとうの金魚だ、
と認識して固定してしまうと、逆に、ほんとうのことに近付く道が閉ざされてしまう。
…大きくみえたのも事実なら、小さく見えたのも事実…
見える金魚は一匹で同じものです。相異なる事実が二つ存在するのはどういうことかと考えることによって、真実にたどりついていく…」
「事実が真実とは限らない」ってこと、言われればそうだなぁって思う。
でも、今までは気にしてなかった。
広い視野と深く掘り下げて考えること、
大事に心がけていきたい。
単純なこと、だけどだからこそ底無し沼のように、
どこまでも答えがみつからないことをただただ掘り下げて考えたい時がある。
ものごとを自分なりに吟味して砕きながら考えを深めていく、
そんな時間が好きだ。
そのきっかけになるものが、読書。
この前図書館に行った時に、5,6年ぶりに灰谷健次郎さんの『天の瞳』を借りた。
専門学校を受験する前に読んで心があたたまったので買って集めていた本だ。
でも4冊までは買っていたがいつ次が出版されるか分からないで忘れていた。
私が買わなくなってから4冊出ていた。
久しぶりに手に取った灰谷さんの本。
変わらず自分と重ねたりして考えさせられ、じわ~っとくる小説だ。
その中の一節。
「…確か八歳の子が書いた詩です。
きんぎょばち
きんぎょばちに
入っているきんぎょを
よこからみると大きくみえる
上からみると小さくみえた
どこから見たら
ほんとのきんぎょに見えるだろう
…事実がいつも真実とは限らない。そう考えようとする態度が人には必要で、それは人間の知性の一部です。
大きくみえた金魚を、これがほんとうの金魚だ、
と認識して固定してしまうと、逆に、ほんとうのことに近付く道が閉ざされてしまう。
…大きくみえたのも事実なら、小さく見えたのも事実…
見える金魚は一匹で同じものです。相異なる事実が二つ存在するのはどういうことかと考えることによって、真実にたどりついていく…」
「事実が真実とは限らない」ってこと、言われればそうだなぁって思う。
でも、今までは気にしてなかった。
広い視野と深く掘り下げて考えること、
大事に心がけていきたい。
今日のお昼休みに裏の図書館に行く途中、
私の歩く前を猫がゆっくり歩いていた。
ネコが私にお尻を向けていたこともあって
しっぽとお尻しか見えなかった。
レッサーパンダのようなしっぽが歩くたびにふさふさとゆれていてかわいらしかった。
それを眺めていたら、なぜか急に、
人間にも尾てい骨があるから退化しなかったらあったんだよなぁと思い、
頭の中は自分のお尻にふさふさとしたしっぽが付いている所の想像でいっぱいになった。
前から歩いてくる人も皆しっぽをつけていたらって想像してしまい
天気が良かったこともあり、なんかクスって笑って楽しくなった。
しっぽを自分で動かせたら物を取ったりできるんだよなぁ・・・。
後ろに転んでも、しっぽがクッションになってくれそうだなぁ・・・。
椅子に座る時は邪魔じゃないのかなぁ・・・。
ズボンはどんな形になるんだ・・・?etc.
人間が人間じゃないような・・・でも、もともとはあったし・・・。
なんかしっぽ一つでおもしろい妄想の世界に入ってしまった。
私の歩く前を猫がゆっくり歩いていた。
ネコが私にお尻を向けていたこともあって
しっぽとお尻しか見えなかった。
レッサーパンダのようなしっぽが歩くたびにふさふさとゆれていてかわいらしかった。
それを眺めていたら、なぜか急に、
人間にも尾てい骨があるから退化しなかったらあったんだよなぁと思い、
頭の中は自分のお尻にふさふさとしたしっぽが付いている所の想像でいっぱいになった。
前から歩いてくる人も皆しっぽをつけていたらって想像してしまい
天気が良かったこともあり、なんかクスって笑って楽しくなった。
しっぽを自分で動かせたら物を取ったりできるんだよなぁ・・・。
後ろに転んでも、しっぽがクッションになってくれそうだなぁ・・・。
椅子に座る時は邪魔じゃないのかなぁ・・・。
ズボンはどんな形になるんだ・・・?etc.
人間が人間じゃないような・・・でも、もともとはあったし・・・。
なんかしっぽ一つでおもしろい妄想の世界に入ってしまった。
仕事終了後、月島にもんじゃを食べに行った☆
友達4人で会った。
あれだけのもんじゃ屋さんがあって、それぞれにお客さんが入っているのがすごいなぁって思う。
月島路地ビールというのがあって頼んでみたら、地ビールの味☆
飲み口が甘くて軽い感じで私は好きなビールだった。
もんじゃを4種、デザートにアイスを食べて、巻き物であんこ巻をみんなで頼み食べた♪
あんこ巻きは皮が牛ひのような食感で、中にあんこを包んで焼くもの。
みんなでワイワイしながら食べたもんじゃ焼き。
何年かぶりのもんじゃは楽しく、美味しかったな♪
友達4人で会った。
あれだけのもんじゃ屋さんがあって、それぞれにお客さんが入っているのがすごいなぁって思う。
月島路地ビールというのがあって頼んでみたら、地ビールの味☆
飲み口が甘くて軽い感じで私は好きなビールだった。
もんじゃを4種、デザートにアイスを食べて、巻き物であんこ巻をみんなで頼み食べた♪
あんこ巻きは皮が牛ひのような食感で、中にあんこを包んで焼くもの。
みんなでワイワイしながら食べたもんじゃ焼き。
何年かぶりのもんじゃは楽しく、美味しかったな♪
鎌田寛氏の『旅、あきらめない』を読み始めた。
私がOTを目指し学校に在学中、何かのきっかけで「ベルテンポ」という障害がある人もない人も関係なく旅行できる旅行会社があることを知りすごく興味を持った。
小田急電鉄出身の社長、看護師、理学療法士の三名でやってる小さな会社。
でも私が障害のある身になった時には迷わず頼みたいなと思う雰囲気が感じられた。
私も病院ではなく、施設でもなく、在宅でもなく
非日常かもしれないけど、だからこそ失敗しても大丈夫かもしれない、旅先で一歩踏み出せるかもしれない、
障害がない自分だって旅に出て元気になれるんだから
日常病と闘っている方達だって元気になれると思い、
そのきっかけづくりとしての支援にたずさわれたらいいなと思った。
だから今でも「旅」に関して、興味がわく。
鎌田先生は諏訪中央病院院長を退いた後、チェルノブイリやイラクへの医療支援を続け、2005年よりバリアフリーツアー支援のボランティアを行っている。
私もいつかボランティアでそのツアーに参加してみたいと思う。
その鎌田先生が、本の中で、命は三つのつながりで守られていると言っている所があった。
―以下引用―
「人と人」
「人と自然」
「体と心」
そのうちの一つ。「人と自然」のつながり。
自然の中に入るとホッとして、副交換神経が刺激されてリンパ球がふえて、免疫力が上がる。生きる力が増すのだ。
だから、旅をして、自然の中へ入っていき、ホッとしたり、夕日に感動したりするのが大事なのだ。―引用終わり―
命がつながりで守られていると考えたこともなかった。
でも考えてみると、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなってお葬式に出たとき、
大勢の人が参列して下さっている中で、あの時確かに人と人とのつながりを感じている自分がいた。
自然の中ではいつも癒されて元気になることができるし、
体も心もつながっていて、どちらも元気でないと、健康でいられなくなる。
あたりまえのこと。
でも、だから大切なことだって感じる。
知らない土地に訪れた時、そこに住む人と交流があったり、自然の中に身をおけると、心がリセットされる。
一つ一つが新鮮で、好奇心が刺激されて楽しくなる。
だから旅が好き。
同じような障害があっても、旅に行ける人もいれば、行けない人もいる。
旅に行きたいと思っているご利用者さんの背中を自信を持って押せるよう知識と経験をつんでいきたいなと思う。
将来の夢の一つ。
高齢者や障害者の方達、一人一人にあった旅行支援をしていきたい☆
私がOTを目指し学校に在学中、何かのきっかけで「ベルテンポ」という障害がある人もない人も関係なく旅行できる旅行会社があることを知りすごく興味を持った。
小田急電鉄出身の社長、看護師、理学療法士の三名でやってる小さな会社。
でも私が障害のある身になった時には迷わず頼みたいなと思う雰囲気が感じられた。
私も病院ではなく、施設でもなく、在宅でもなく
非日常かもしれないけど、だからこそ失敗しても大丈夫かもしれない、旅先で一歩踏み出せるかもしれない、
障害がない自分だって旅に出て元気になれるんだから
日常病と闘っている方達だって元気になれると思い、
そのきっかけづくりとしての支援にたずさわれたらいいなと思った。
だから今でも「旅」に関して、興味がわく。
鎌田先生は諏訪中央病院院長を退いた後、チェルノブイリやイラクへの医療支援を続け、2005年よりバリアフリーツアー支援のボランティアを行っている。
私もいつかボランティアでそのツアーに参加してみたいと思う。
その鎌田先生が、本の中で、命は三つのつながりで守られていると言っている所があった。
―以下引用―
「人と人」
「人と自然」
「体と心」
そのうちの一つ。「人と自然」のつながり。
自然の中に入るとホッとして、副交換神経が刺激されてリンパ球がふえて、免疫力が上がる。生きる力が増すのだ。
だから、旅をして、自然の中へ入っていき、ホッとしたり、夕日に感動したりするのが大事なのだ。―引用終わり―
命がつながりで守られていると考えたこともなかった。
でも考えてみると、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなってお葬式に出たとき、
大勢の人が参列して下さっている中で、あの時確かに人と人とのつながりを感じている自分がいた。
自然の中ではいつも癒されて元気になることができるし、
体も心もつながっていて、どちらも元気でないと、健康でいられなくなる。
あたりまえのこと。
でも、だから大切なことだって感じる。
知らない土地に訪れた時、そこに住む人と交流があったり、自然の中に身をおけると、心がリセットされる。
一つ一つが新鮮で、好奇心が刺激されて楽しくなる。
だから旅が好き。
同じような障害があっても、旅に行ける人もいれば、行けない人もいる。
旅に行きたいと思っているご利用者さんの背中を自信を持って押せるよう知識と経験をつんでいきたいなと思う。
将来の夢の一つ。
高齢者や障害者の方達、一人一人にあった旅行支援をしていきたい☆
ご利用者さん達と話していると、そっか~そんな風に感じているんだぁと
素直にというか呑気にただ思ってしまう時がある。
今日のおやつの後、Aさんと一緒にのんびり外を眺めていた時の一会話。
私:「Aさん、今日は暖かくて天気もよくて良いですね~。」
Aさん:「そうだよ。これからだんだん日が長くなるからね!」
私:「………。(これからますます日が短くなっていくんですよ~)」
今朝お会いしたBさんとの会話の中で…。
私:「Bさんおはようございます。髪の毛伸びましたね~。」
Bさん:「最近美容院に行ってないからね。」
私:「長いのも良くお似合いですよ。」
Bさん:「でもこれからだんだん暑くなるでしょぅ?髪の毛切りに行かなくちゃっ。」
私:「………。」
AさんもBさんも「会話」のやりとりにおいては、
冗談も言い合ったりしてポンポンとキャッチボールができる方達なのである。
だから時々こういった「あれっ?」という場面に出くわさないと、
デイだけでは特に認知面が低下しているという印象があまりない。
だから時々今日のように会話の中で、こういう季節感の中で生きているんだと実感させられる。
立ち止まって考えるきっかけになる。
家族など周りのヘルプがないと、確かに生きてはいけない方達だと再認識する。
でもデイにおいては、移動の介助であったり、誘導の声かけや準備をするだけで
あとは当人達が楽しんで行えていたりする。
テストでは○○の低下だったり○○障害だったりって出てくるけど、
やっぱりそれが生活の中で支障が出てきて、問題になってはじめて認知症と診断されるのだと思った。
環境によって問題になったりならなかったりするっていうことがデイの中だけで見ても分かるなぁって思う。
季節感がないからといっても、外に出れば寒いから上着をはおるし、行事で一般常識的なことを聞くと良く知っていて答えて下さったりする。
いかにキーワードをみつけ、引き出していけるか、
表現できる場を作っていけるかだなぁ☆
素直にというか呑気にただ思ってしまう時がある。
今日のおやつの後、Aさんと一緒にのんびり外を眺めていた時の一会話。
私:「Aさん、今日は暖かくて天気もよくて良いですね~。」
Aさん:「そうだよ。これからだんだん日が長くなるからね!」
私:「………。(これからますます日が短くなっていくんですよ~)」
今朝お会いしたBさんとの会話の中で…。
私:「Bさんおはようございます。髪の毛伸びましたね~。」
Bさん:「最近美容院に行ってないからね。」
私:「長いのも良くお似合いですよ。」
Bさん:「でもこれからだんだん暑くなるでしょぅ?髪の毛切りに行かなくちゃっ。」
私:「………。」
AさんもBさんも「会話」のやりとりにおいては、
冗談も言い合ったりしてポンポンとキャッチボールができる方達なのである。
だから時々こういった「あれっ?」という場面に出くわさないと、
デイだけでは特に認知面が低下しているという印象があまりない。
だから時々今日のように会話の中で、こういう季節感の中で生きているんだと実感させられる。
立ち止まって考えるきっかけになる。
家族など周りのヘルプがないと、確かに生きてはいけない方達だと再認識する。
でもデイにおいては、移動の介助であったり、誘導の声かけや準備をするだけで
あとは当人達が楽しんで行えていたりする。
テストでは○○の低下だったり○○障害だったりって出てくるけど、
やっぱりそれが生活の中で支障が出てきて、問題になってはじめて認知症と診断されるのだと思った。
環境によって問題になったりならなかったりするっていうことがデイの中だけで見ても分かるなぁって思う。
季節感がないからといっても、外に出れば寒いから上着をはおるし、行事で一般常識的なことを聞くと良く知っていて答えて下さったりする。
いかにキーワードをみつけ、引き出していけるか、
表現できる場を作っていけるかだなぁ☆