大切なキモチ

感じるままに、日々思ったことを書いていこうと思います。

HCR2005

2005-09-28 | 勉強
HCRに行ってきた。
去年は実習でいかれなかったから
今年はとても楽しみにしていたのに、
一昨日くらいから風邪を引いて今朝も身体がだるく頭が痛かった。

行こうか迷ったけど、行って駄目そうだったら帰ってこようと思い
とりあえず出かけることにした。

薬が効いていたせいか、見ている間は大丈夫だった。

福祉機器も販売している時は実際のお客さんを想定して
結構興味を持ってみていたけど、
あまり積極的に関わらなくなってしまったら
そんなに大きく変わっているものもないなあという印象がした。
年一回の大イベントだけあってこれをみたい!というしっかりとした目的意識を持っていかないと、
なんとなくだら~っと終わってしまうなあという感想をもった。

せっかくの機器展だったのに
なんだか収穫を得られないまま帰ってきてしまって残念。

でもやっぱりいろんな機器に触れることができて
実際見ることができるっていう機会は本当に貴重だなあと実感した。

久しぶりに前の職場の人と会うことができて良い気分転換になった。
住宅改修とか福祉用具の販売に携わるのってすごく興味深いことなんだなあって
自分の興味はそっちなのかなあって改めて感じた。

ぜいたく感。

2005-09-25 | シアワセ
木造アパート4畳半に住む。
朝は圧力鍋で玄米ご飯を炊き、
おかずを一品作る。
拾ってきた机と椅子に腰掛けて
できたての朝ごはんを頂く。

外見上けっしてあこがれる生活ではない。

でも、その質素な生活の中には
特上のぜいたく感があるのだと感じた。

自分の時間をゆったりと大事に生きているという実感。

質素という生活の中には
生きるという実感が多く感じられる。

丁寧に、物事と向き合える時間がある。
自分に必要最低限のモノと食べ物があって
だからものの本質と対峙できる時間に自然となる。

これをやらなくちゃとか
何時までに行かなくちゃとか
そんな状況からは程遠い。
忙しい時間の中での過ごし方には
たくさんの物ごとを見過ごしているはずだから
あっという間に過ぎていくわりには充実感はない。

でも、無意味にみえるような
まわりの飾りモノを全てはいで素のモノとのゆったりとした対峙の時間は
本当に シアワセな時間。
少しのことに感動して
小さなことを発見できる
心が生きてるとき。

自分が謙虚に生きている時が本当は一番幸せで強いとき。

背伸びして世の中できらびやかでスポットライトが当たるような世界には
憧れはあるけど
自分が心から「幸せだなあ~」って思える世界じゃないと思う。

好きな緑色の自然が沢山ある中で
風とか太陽の光、匂いや音をからだでいっぱいに感じながら過ごす世界の方が
何倍も幸せに感じられる。

自分がほっとできる空間は
幸せだと感じられる空間は
これからどう創っていこうかな

ADLとcare

2005-09-19 | 仕事に関連すること
職場において、OT業務よりもケアワーカーとして人数に数えられているのであれば
どうせやるなら、とことんケアというものを極めてみたいと思った。

学生の時に、「ADL」の訓練を行なう時に
なぜケアや実際に行なったことがないことに対して
「指導」ができるのだろうかと思ったことがある。

料理をほとんどやったことがないセラピストが
患者さんの料理訓練・指導をしていた。
そのとき私はそのセラピストはもともと料理ができる人なのだと思った。
でも普段は自分はやらないしできないと言われた。
それを聞いて、他者に対してなぜ指導訓練ができるのだろうと正直びっくりした。

やっぱり対象者のニーズに合わせて
「作業」分析をして、身体機能や高次脳機能などと合わせて
その作業を導入していくというのがOTができることなのだろう。

でも、やっぱり自分ができないことやったことがないことに対しては
自信を持てないし、ましてや他人に教えることなんてこわくてできないなあと思う。

ケアという領域だってそう。
自分が介護をしたことがないのに
ケアワーカーさんたちに指導ができるのだろうか。
リハという視点とケアという視点は違う。
だから、一般的な運動力学的な観点からみたトランスの仕方や寝返り動作の仕方などはできるかもしれないけど、
普段個別リハに入ってみていなければ
その対象者の方に対するケアの指導も何もできないのではないかと思う。

時間で業務をまわしていくケアの方法であれば
ケアワーカーの方達の方がうまい。そして基本は知っている。
リハ職がケアに入ってできるかといったら???ではないか。
もちろんその業務が本職ではないからその必要はないのかもしれないけど、
でも、目指しているところは、その人にとってのあたり前の生活という点では同じなのではないのだろうか。

対象者が障害をもって生きていく時に
動きやすい体の動かし方や生活しやすい方法を教えていくことが得意なのはリハ職、
実際の日常生活において身のまわりのことを助けていくのはケア職、
受けてきた教育も知識も違うけど、似ている部分、共通部分は多い。

私の中でまだ整理がついていないけれど、日常生活場面において
一般的にはリハ職がケアに関して知らないことも指導する立場にあるのは何でなのだろうって思った。身体的・精神的な評価に基づいてその人のできること難しいことを判断できるからだろうか・・・。

今後もケアをやりながらリハの視点をみがきつつ
このことについても考えていこうと思う。

シーティング研修最終日

2005-09-19 | 勉強
あっという間の3日間。
とても有意義な時間を過ごせた。

アットホームな感じで、
でも内容はしっかりしていて、
評価からシーティングの実際までの基礎を学べたと思う。

PTの人と仲良くなって、その人が帰りがけに
「OTの方がシーティングに興味のある人が多いですよね」
と言われた。確かに今回の参加者もOTの方が多かった。

身体的にはPTの方が強いからどちらかといえば
シーティングはPTの分野のような気がしていたけど、
なぜなんだろうと思った。

病院ではPTは車椅子は病室からリハ室までの運搬用という頭が強いから
PTは座位姿勢・シーティングというより、歩行の方に目が向いてしまうのだと。
なるほど・・・言われて見ればそうかもしれない。

OTの方が作業活動や生活の場面で車椅子を椅子として
使用している方に多く触れる機会があるから
あれ?姿勢が崩れているなあと思うことが多くなるような気がする。

老健などに行けばOT/PTはあまり関係なくなってくるのだろうけど。

やっぱり、医療から生活に近づけば近づくほど
車椅子の運搬性から椅子としての機能の役割が大きくなって
必要性も高まってくるのだろうと思った。

だから、もし椅子に座るのではなく
車椅子を椅子代わりに座る方に対しては
きちんとしたシーティングをしていくことが重要なのだと
今回の研修で感じた。

身体からみてその方にあった車椅子を用意していくこと。
骨盤、頭、重心の位置、支持基底面、褥創の危険性etc.
いろいろなキーワードを頭に入れて、
今回の研修で学んだことを実際の臨床場面でいかせるよう
できるだけ行なっていきたいと思った。

シーティング研修2日目

2005-09-19 | 勉強
今日は朝9:15~18:30まで5コマの講義。
さすがに座位姿勢の保持は辛かった。
でも、ずーっと座位をとらざるをえない
利用者さんたちの辛い気持ちが少し理解できたような。。。

今日の講義も今後につながる興味深い話ばかりだった。

夜、懇親会があって参加。
講師の先生方ともお話してとても楽しかった。

最後はA病院のOTの方と電車が一緒になり
途中までお話して帰ってきた。
とても温和ででも広い視点を持った方で
もっといろんなことをお話できたらよかったなあと思った。

今日もとても有意義な講義を聞けてよかった。
明日で最後だけど、また研修でいろんな方とお会いしたいと思った。

シーティング研修(基礎課程)

2005-09-17 | 勉強
今日から3日間、シーティングの研修会に参加予定。
初日は総論と評価の実際など4コマの講義。

久しぶりの座学で、朝から夕方まで座っているのは結構辛い。
でも、いろいろ学べたことが多かった。

実際の評価の時はPTの方と組めたので、
いろいろと触診とか動かし方とか教えてもらった。

半年ほど人の身体を評価目的で触っていないと
触り方とか持ち方とかを忘れるなあと思った。

もっと、意識して行こう。

「身体をみて、それに合った福祉用具を選定していくこと」
初めに車椅子ありきではないということ、
初めから車椅子に座っていただくのではないということ、
まず除重力に近い状態で評価して、端座位、そして車椅子の選定へ。

今、関わっている利用者さんを思い出しながら
具体的にやっていけたらいいなあと思った。

あと2日間、がんばろう。

選挙投票

2005-09-16 | その他
選挙投票の仕方について
もう少しどうにかならないかなあと思う。

足が悪くて出かけられなくなった方達にだって
選挙権はあるのに、投票できない。

12日の日、選挙について利用者さんとお話していたら、
欠かさず選挙投票に行っていたのに、
今回は一緒に連れて行ってくれる方がいないくて
行けなかったって言われた。

これって、なんだか悲しい。

送迎バスの中でそんな話をしていたら
同乗していた皆さん行けなかったって。

何か方法はないのだろうか。

病院実習の時には希望者は
設置された部屋の中で投票用紙に書いて投票できていた気がするなあ。

ケアワーカーについて。

2005-09-16 | 仕事に関連すること
学校で他職種との連携について机上では習った。
いわゆるチームワークで動くという事。
でも、それが現場でどうはたらいているかということは
職場によっても違う。

ケアワーカーという職種について
私は、身の回りのお世話をする人、介護する人という職種としてとらえていた。

実習でももちろんケアワーカーさん達に出会ったし、
話もした。そして見学もさせていただいた。

でも、入職してからずっと現在までケアワーカーとしても
現場で動いていたら、なんて勘違いや思い違いをしていたんだろうと
ケアワーカーの方達に失礼だと思った。
いつの間にか下に見ていたことに気が付いた。
一緒に働きながらいろいろなことを教えてもらって
すごいなあということをたくさん感じた。

利用者さんたちの好きなこと、笑うつぼ、人間関係、
コミュニケーションのとり方もしかり、
排泄、食事、移動、リハ、レク、創作活動の介助などなど
時間の流れの中で、全体をみながらてきぱきと愛情をこめて
仕事をさばいていく彼らから教えてもらうことばかりだった。

今でも教わることの方が多い。
彼らはすごいって心から思う。

施設の流れを作ってまわしているのはケアワーカーで、
彼らがいなかったら絶対に施設はやっていけないし施設でなくなる。
なのに、常勤枠が少なく非常勤ばかりなのが現状だ。
なにか変だと感じる。いいんだろうか、そんな世の中で?と思ってしまう。

医療知識などはないけれど
それでもケアはできる。とても大切なこと。
対人間で、素直にその人の人間性と対している分
優しくて純粋、そして主観的に一生懸命に利用者さんに接していると感じる。
人によってその表現の仕方は違うけど、それがまたいいなあって。

そして現場をまわしているケアワーカーだからこそ
セラピストがそこに入った場合、身近にお互い連携しながら
現場で動く介護職の方達と情報を交換し合ったり、お願いしたり
信頼関係が必要なのだなあと思っている。
その為には、現場がどういう流れで動いているのかを知る必要もあるし、
どんな所でセラピストが関わっていけるかを見極めていかなければならないと思う。
ケアワーカーという仕事の大切さと仕事内容の多面性について
5ヶ月間を通じて感じた。

でも、セラピストとして入った自分の立場と役割は
どこに行こうとしているのだろう・・・。
何をここで求められているのだろう。
ケアワーカーとして雇われたのではない。
けど、今はケアワーカーとしての人員の一人に入れられている。
ケアワーカーが片手間にはできない大切な仕事って思うからこそ
いつまでケアワーカーをやらなければならないのだろうというジレンマがある。
私は何のためにセラピストとしての研修をしに来たのだろう。
なぜ一日中セラピストとしての満足感を得られないような場にいるのだろう。
ケアワーカーとしてなら楽しいのに、
自分は本来セラピストだってことをふと思ったり
考えたりすると嫌になってくる。
職種にこだわりすぎているのだろうか。
まだ新人だからどこか焦っている自分がいて
不安から病院に勤めた同期の友達と専門性という部分で
比較してしまうのだろうなあ。

施設のリハビリテーションって・・・。

2005-09-15 | 仕事に関連すること
「デイケア=通所リハビリテーション」
「デイサービス=通所介護サービス」
だと思っていた、ただ漠然と。

デイサービスにリハビリのセラピストがいたら
どういうようにその中で、役割を果たすのだろう。

初めからリハビリ目的でできた施設ではない場合、
ケア目的で、特にDr.の診断や処方が要らない方が通う
一つの施設の中で、理学療法士や作業療法士が入る場合
施設全体がリハ施設になるように思う。

「リハビリ」っていう言葉からはイコール「機能訓練」が
イメージされることがほとんだと思う。

でも、それは本来は一部分でしかないように思う。
何のために運動機能を向上させるのかって考えたら、
やっぱり生活が楽にできるように、あたり前のような日々が送れるように、
ということではないかって思う。
だから、リハの時間だけ集中的に身体を動かすことももちろんリハビリだけど、
いわゆる施設の中でできるだけ自分の足で移動していただいたり
着脱していただいたり、食べていただいたりって、
そういう身の回りのことを一つずつ見守りながら行っていただくことが
施設全体におけるリハビリなのではないかなあって思う。

セラピストがそのときどう関わるかは、
施設全体がリハという意識を持てるように
利用者さんが過ごす時間すべてにおいて関われるのだと思う。

一人だけできていたってそれは施設全体のケアの質が上がるわけではないし、
誰か助言ができる役割の人たちがいたほうがよいのだろうなあ。

リハビリっていう言葉に利用者さんたちはどんなイメージをもっているんだろう。
すごく、聞いてみたい。


話すと言うこと。

2005-09-12 | 仕事に関連すること
「話す」ということは、
誰が誰に向かって話すかによって
また、人数によって、
グループメンバーによって、
場によって、変わってくる。

私が複数人の中で話を聞いて進めていかなければならない時、
一方で耳の遠い人がいて、
一方で理解が難しい人がいたりすると、
つい、1対1で話を聴いてしまう時間が長くなってしまう。
そうすると、他のメンバーの集中力や注意力がそれてしまったりする。

 難しいなあと思う。

今日、利用者の方々からのアンケートの回答から
「スタッフによって対応の仕方が違う。えこひいき。」というのをみつけた。

そう、実習の時、1対1で話すことも必要だけど、
そのテーブルみんなで話したりしている時に
コミュニケーションが難しい人も入っていられるように
スタッフが媒介になることが一つの役割だというのを教わったことを思い出した。

みんなの前では緊張してしまうひともいる
そういう人への考慮をしたい
話したくない人もいるということ
話の内容によって話したくないときもある
話さないことも一つの選択肢だから
話さなくても参加していていいですよという保障

皆の前で話すことがとっても苦手だったけど、
半年前に比べたら
登校拒否の心境だったのに慣れてきている自分がいる。

聞いてくれる皆様も私に慣れて下さったのもあると思うけど、
せっかく耳を傾けて下さる機会があるのだから
少しでも情報を届けて、心が感動したり、楽しいっていう気持ちになっていただきたいなあって思う。
それにはやっぱり日々皆様の意見に耳を傾けていく姿勢でいないとなあ。

伝えたいという気持ち
否定のない場作り
ふれあいのあるコミュニケーションの場を大切にしていきたい