介護する側とされる側、それぞれ20人ずつがスタジオに集まり
テーマに対して意見交換をする様子をTVでやっていた。
その中で、誰の意見もいいなと思った。
それぞれ毎日を生きていく支援する側の意見、支援を受ける側の意見、
聞いていて感じて、考えているからこそ出てくる意見だと思った。
何も感じなくなってしまったら出てこないような意見。
大事なのは感じること、そして考えること。
他者と意見をぶつけ合うこと。
どちらかが気持ちを溜め込んで我慢しているような関係であったら
それは支援でなくなるかなと思う。
障害者側の主体性、自主性。
言葉で書けばなんだか堅苦しく感じるけど
でも、介助を必要とする側が生活している場で
こうしたいと思っているのにそれを聴こうとしないで
意見してしまったりするのはやっぱりおかしい。
自分が当事者だったらどうか、と考えたら
やっぱり自分の思いを手助けしてくれる介助者でないと雇う意味がない。
人対人である限り、お互いがどんな人か知っていく過程もとても大事だし、
いきなりいろいろ勝手に何かされてしまうことはとても嫌だし、
友達同士だったりすればでそんなことはありえない。
プロとしてその人とのかかわりを保っていくには
もちろんその人の生活を豊かに広げていくこととやりたいことを支援していくことに重きが置かれるけど、こちらが誘導して何かをしていくのではないという事。
人間生きていれば必ず気持ちがあると思う。
だからそれをどう読みとって支援していけるかが支援の方向性を決める際には大切なんだということをもう一度自分の中で整理しておきたいと思った。
自分の気持ちが強くなって対象者の方の気持ちが見えなくなりそうになったときが一番危険だという事を。誰の為の支援なのか。支援って言うのは誰の為に行うのか、そんな原点がゆがまないように、寄り添っていけるような支援をしていきたい。
今、早期○○、根拠のある○○などいろいろ言われているけど、たった1ヶ月やそこらで対象者の方と簡単に信頼関係が成り立つとは私は思えない。
だから、長い期間をかけて少しずつ信頼していただけるように対象者の方の意見に耳を傾けていけるような、そういった心がけを忘れてしまうような専門職だけにはなりたくない。
テーマに対して意見交換をする様子をTVでやっていた。
その中で、誰の意見もいいなと思った。
それぞれ毎日を生きていく支援する側の意見、支援を受ける側の意見、
聞いていて感じて、考えているからこそ出てくる意見だと思った。
何も感じなくなってしまったら出てこないような意見。
大事なのは感じること、そして考えること。
他者と意見をぶつけ合うこと。
どちらかが気持ちを溜め込んで我慢しているような関係であったら
それは支援でなくなるかなと思う。
障害者側の主体性、自主性。
言葉で書けばなんだか堅苦しく感じるけど
でも、介助を必要とする側が生活している場で
こうしたいと思っているのにそれを聴こうとしないで
意見してしまったりするのはやっぱりおかしい。
自分が当事者だったらどうか、と考えたら
やっぱり自分の思いを手助けしてくれる介助者でないと雇う意味がない。
人対人である限り、お互いがどんな人か知っていく過程もとても大事だし、
いきなりいろいろ勝手に何かされてしまうことはとても嫌だし、
友達同士だったりすればでそんなことはありえない。
プロとしてその人とのかかわりを保っていくには
もちろんその人の生活を豊かに広げていくこととやりたいことを支援していくことに重きが置かれるけど、こちらが誘導して何かをしていくのではないという事。
人間生きていれば必ず気持ちがあると思う。
だからそれをどう読みとって支援していけるかが支援の方向性を決める際には大切なんだということをもう一度自分の中で整理しておきたいと思った。
自分の気持ちが強くなって対象者の方の気持ちが見えなくなりそうになったときが一番危険だという事を。誰の為の支援なのか。支援って言うのは誰の為に行うのか、そんな原点がゆがまないように、寄り添っていけるような支援をしていきたい。
今、早期○○、根拠のある○○などいろいろ言われているけど、たった1ヶ月やそこらで対象者の方と簡単に信頼関係が成り立つとは私は思えない。
だから、長い期間をかけて少しずつ信頼していただけるように対象者の方の意見に耳を傾けていけるような、そういった心がけを忘れてしまうような専門職だけにはなりたくない。