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桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

松戸七福神巡り

2010年03月15日 00時21分20秒 | 寺社散策

 昨日もいい天気。散策日和でした。日ごろの運動不足を補うため、休みの日はできるだけ歩くように心がけています。

 何年前だったのか憶えがありません。少なくとも十年以上は前のこと、ある禅僧から「歩くためだけに歩けるようになったら、なかば達人の域」といわれたことがありました。
 まだ若きころだったので、そんなのはわけないことだと思いましたが、実際にやろうとすると、禅で説くところの「無」になるということでしょうから、なかなかにむずかしい。
 買い物に行くとか、運動不足を補うためだとか、達人になるためだとか、目的があったのでは、歩くためだけに歩くことにはなりません。

 いつもそんなことを考えていたわけではありませんが、今日出かけようと思ったとき、ふと昔聴いた、その言葉を思い出したのです。
 すでに達人になることを諦めている私は目的がなければ歩けません。
 で、昨日定めた目的は松戸七福神の四つ目(寶蔵院)と五つ目(善照寺)を訪ねることです。

 朝昼を兼ねて焼きうどんをつくって食べ、昼前には家を出るつもりでした。
 ところが、電車の中で読もうと思った文庫本が見つからない。買ったその日に革製のブックカバーに差し込んだはずでした。近々読もうと思っていたのですから、見えないような場所に置くはずはない。なのに、一時間近く部屋をひっかき回しても見つからない。
 捜し物が見つからないと、死んでも見つけてやるゾと、ムキになる性格です。挙げ句、疲れるだけ……。疲れるだけとわかっているのに、ムキになる癖が抜けません。

 怒りをぶつけるとしても、自分のうっかり癖と最近とくに目立つようになった物忘れ以外にないのですが、見つけられないことと、捜し物のために一時間も出発が遅れてしまったことへの二重の憤り。結局、疲れてしまったので、捜すのを諦めて外出しました。

 少し苛々しながら電車に乗りました。
 松戸駅のバスターミナルに行くと、ちょうど矢切高校行のバスがやってきて、待つこと数分で発車。
 一時間に二本しかない路線です。こういうラッキーなこともあるもんです。よって苛々はかなり後退。
  


 松戸七福神巡りのホームページには「宝蔵院前で下車」と記されていましたが、バス停はまさに山門の真ん前でした。狭い道なので、バスは塀に車体をこすりつけんばかりにして停まります。
 歩いて行って、道を間違えるといけないとバスを選択しましたが、これなら迷いようがない。



 松戸七福神の一つ大黒天と石造りの仁王尊、そして本堂。
 仁王尊はかなりズングリムックリの体型です。五等身? いや、四等身ぐらいか。
 お寺の由来はよくわかっていないそうです。松戸のお寺は江戸川の洪水、火事と災難に見舞われて、記録の失われたところが多いのです。



 寶蔵院から江戸川はすぐでした。対岸は私が棄ててきたのか、棄てられたのか、東京です。
 帰りは見晴らしのよい堤防を歩くことに決めていました。視界を遮るものはなし。右手に松戸駅のあるあたりを教えてくれる伊勢丹がずっと見えるので、行き過ぎる心配はありません。
 1・5キロほど歩いて、伊勢丹が真横に見えるようになったところで堤防を下り、流山街道に出ました。

 春雨橋で坂川を渡ると、宝光院、善照寺と甍が連なります。両寺院とも去年夏、暑いさなかに訪ねています。



 宝光院参道入口にあった「千葉周作修行之地」の標柱。
 去年夏も前を通っているはずだのに、ハテ?
……と思ったら、建てられたのは去年の秋とのことでした。このすぐ近くに小野派一刀流浅利又七郎の道場があって、ここが若き周作修行の地だったのです。



 これも去年は気づかなかった宝光院境内の牛の像。
 東京・向島の牛島神社には撫で牛というのがあって、自分の身体の具合が悪い部位を撫でると治るという迷信があります。
 当時、私は右膝に軽い故障を抱えていたので、撫で牛の膝を撫でましたが、信心が足らぬのか、いまも具合は悪いままです。

 隣の善照寺とは裏手にある墓所で繋がっていました。



 善照寺本堂前にある松戸七福神の一つ布袋尊。
 去年もカメラに収めましたが、当時は七福神には関心がなかったので、正面から撮った画像がありません。



 善照寺不動堂。
 このお寺も由来ははっきりしていません。明らかになるのは寛政期以降です。それまで現在の松戸駅東の松戸向山(相模台)にあったものが移築されたそうです。
 
 松戸駅へ戻ったのは午後二時。小腹が空いていたけれども、このあと、またスーパー銭湯へ行くつもりだったので、軽めに食べておこうと思い、駅の立ち食いそば屋に入りました。

 数日前に視ていたテレビ番組で知るまで意識したことはなかったのですが、それとなく気を配っていると、私より先に出て行った人、六人中六人が無言のままでした。
 そのテレビで視たのは、大阪の人は食べ終わったあと、「ありがとさん」「美味しかったわ」「またくるわ」というように、必ず店の人に声をかけるということでした。
 番組の趣旨に都合のいいところだけを放映しているのに違いないので、100%ということはないと思いますが、視ていると確かにみなが声をかけていました。
 インタビューに応じたおっちゃんは「お礼の声をかけるのは人間としての基本や」とまでいっていました。そこまでいうのはちとオーバーとしても、私は必ず「ご馳走様」だけはいいます。標本数が少ないとはいえ、無言で出て行く人が100%だったことには愕きました。

 松戸から一駅だけ新京成電鉄に乗って上本郷へ。
 いまや通い慣れた道を通ってスーパー銭湯へ向かいます。
 信号待ちで立ち止まったりすると、陽射しは灼けるようです。セカセカと歩く癖は抜けず、到着したときにはかなりの汗をかいていました。



 スーパー銭湯・湯楽の里(ゆらのさと)の食堂です。



 今日は湯上がりに生ビールと好物のフライドポテト。注文した料理ができると、手前のリモコンのようなもののブザーが鳴って、取りに行く仕組みです。
 十枚綴りの回数券も残り一枚となりました。

 日脚が長くなったので、帰る前に證誠院(しょうじょういん)という真言宗豊山派のお寺を訪ねることにしました。新京成
みのり台駅近くにあり、スーパー銭湯からは徒歩二十分ほどの距離です。

 


 南大門で私を睥睨する仁王です。
 吽形像はどことなく塩見三省という俳優さんに似ています。



 参道脇にあった石蕗(ツワブキ)。



 證誠院本堂。
 堂宇が新しい(といっても数十年)と思ったら、昭和十三年に創られたお寺だとのことでした。
 もともとは江戸麹町にあったのですが、時を経るとともに寂れていました。そのことを憂えた土地の素封家が私有地を寄贈して、落慶の運びとなったのが昭和十三年。
 豊山派の寺院といえば、私が入院中、見舞いにきてくれた友と訪れた新松戸の大勝院と同じです。大勝院本堂前の灯籠には、左に桔梗、右に違い鷹の羽と異なる紋があったのを不思議に思いましたが、この本堂の瓦には中央の卍巴を挟んで両方とも違い鷹の羽の紋がありました。

 このブログではブログ標準のピクセルにすると、画質が決定的に劣化してしまうのが玉に瑕です。もとの画像には瓦の紋がクッキリと写っているのですが……。しかし、おかげで写真のボロが出ないということもあり、双方痛み分け。

↓今回歩いたところです。
http://chizuz.com/map/map69918.html



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