桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2021年八月の薬師詣で(2)・八千代市

2021年08月12日 22時53分27秒 | 薬師詣で

 今月八日の薬師如来の縁日はたまたま二回目のコロナワクチン接種の日に当たってしまったので、プチ外出を自重し、地元の慶林寺参拝だけにとどめました。
 ワクチン接種の予約がとれたのは午後三時、接種会場は我が庵から歩いて十五分ほどのところにある市の施設だったので、近場のお寺なら、行って帰ってきたあと接種、という芸当ができなくはなかったのですが、万が一疲労困憊のテイで帰ってきて、
しかもギリギリの時間、というようなことだと、出なくてもよかった副反応に見舞われたりするかもしれないと考えたので、代わりに今日十二日に出かけようと決めて、とりやめにしたのです。

 今回参拝に行くのは八千代市内ある二つのお寺、東榮寺と薬師寺です。地図を見る限り、行程の途中にはほかのお寺や史跡はないようなので、今回巡るのはこの二か寺だけ。
事前のシミュレーションでは北小金駅発十一時五十八分の電車に乗り、巡る順番は薬師寺~東榮寺と決めていました。
 出発の時刻を決めておかなくてはならなかったのは、勝田台という駅から東榮寺へ行くバスが一時間に一本しかないからです。

 ……と、入念に下調べをしておいたはずなのに、なぜか勘違いをして、当日乗った電車は予定より四十分も早い、十一時十八分発でした。
 いつもは地元の慶林寺にお参りしたあと、電車の人となるのですが、この日は出発がちょっと遅れたので、慶林寺に寄っていては電車に間に合わない。ということは、一時間に一本しかないバスにも間に合わない。よって、慶林寺は帰ってきてから、と決めて駅への道を急ぎ、無事電車に間に合いました。出発時刻を勘違いしていた、と気づいたのはその電車に乗ってからのことでした。
 北小金で電車に乗ると、わずか二分で乗り換えの新松戸です。早く出てしまったことに気づいて、「あっ」と思いましたが、二分の乗車時間内にスマートフォンを取り出し、電車の接続を調べるような余裕はありません。
 予定より四十分早い電車でしたが、武蔵野線に乗り換えたあと、少し落ち著いた気分で検索……。薬師寺~東榮寺という順番を逆にすると、東榮寺へ行くバスに乗る、勝田台という駅に一時間早く着くことになり、一本前のバスに乗ることができる、と判明したのです。
 やっとホッと息をつくことができましたが、その結論に到るまでは結構大変でした。
 ガラケーからスマートフォンに変えても、小さな画面と太い指では操作が思うに任せないので、電車の中でスマートフォンを視ることはあまりありません。今日のような日に備えて、家で情報を入力するときは指に替えてタッチペンを握ることにしています。入力は家でしかしないので、出かけるときにタッチペンを持つことはありません。よって、電車の中でタッチしたつもりのない文字が入力され、それを消し、もう一度……と、悪戦苦闘しなければならなかったわけです。



 北小金~新松戸~西船橋~船橋~
京成船橋と乗り換えて、所要五十六分で勝田台駅に降り立ちました。



 駅前のバス停で十分待ってバスに乗りました。乗客は私を含めてわずか六人。バスが進むのに連れて、一人降り、二人降り、というように客が減って行きます。乗ってくる客は一人もいません。
 終点まで十四分の乗車時間中、ちょうどなかばの工業団地第三というバス停で、残っていた二人が降りると、客は私独りになりました。



 降りたのは終点のもえぎの車庫という停留所でした。「車庫」とはいっても、屋根のついた車庫があるわけではなく、折り返すための広場があるだけ、という感じです。
 帰りのバスの時刻を確かめて、目指す東榮寺へ、いざ出発です。画像の左に写っているのは私を下ろしたあと、車庫内でUターンし、回送になって走り去って行くバスです。



 東榮寺までの途中、目に入る景色は見晴るかす稲田だけ。
 シミュレーションでは、もえぎの車庫から東榮寺までは徒歩八分でしたが、実際は十分かかりました。



 東榮寺に着きました。
 シミュレーションどおりにいかなかったのは、この画像の向かって左側は長い塀がつづいていて、伽藍は見えるのに、どこに入口があるのかわかららなかったからです。実際に入ったのは庫裏と墓所に通じる裏口からで、この山門を目にしたのは帰るときのことでした。



 真言宗豊山派の寺院です。境内はいつものように無人。
 開山・開基は不詳ですが、大正二年編纂の「印旛郡誌」には「保品區字南にあり總本山三寶院末にして眞言宗新義派に屬し本尊薬師堂なり」と記されています。

 


 本堂左に薬師堂がありました。お賽銭をあげます。



 薬師堂の前には八千代七福神の一・福禄寿が祀られていました。
 帰りのバスの時刻から逆算すると、私に許されていた時間はわずか十分余。お寺の由来などを示す説明板もないようなので、参拝を済ませたあとはそそくさと写真を撮り、ざっと境内を眺め渡して退散します。



 東榮寺前にバス停はありましたが、まばらな時刻表でわかるように、土日は運行がなく、平日は四便だけです。



 勝田台駅に戻り、一駅だけ電車に乗って、京成大和田駅で降りました。
 踏切を渡って線路の向こう側に出ると結構急な上り坂です。



 京成大和田駅から十二分で薬師寺に着きました。



 応仁の乱(1467年~77年)のころの創建と伝えられるようですが、無住の寺でもあり、いまのところは得られる史料が何もないので、詳細はいっさいわかりません。



 本堂前に並ぶ二つの御堂のうち左側には第五十九番という木札が貼られていました。これは八千代市を中心として行なわれていた吉橋大師講の五十九番札所であることを示すものです。



 境内の片隅には異様に大きなリュウゼツラン(竜舌蘭)がありました。

 寺の前を走るのは交通量の多い国道297号線。通称成田街道です。周辺はかつての大和田宿で、江戸から成田詣に向かう客で賑わったということです。

 前日の段階での天気予想では、お昼を挟んで四時間ほど雨マークがついていたので、雨に降られるのは必至と思って折りたたみ傘を持参していましたが、開くことはありませんでした。
 おまけに、例年であればまだ猛暑酷暑の時期であるのに、この日に限って結構涼しい。まぁ、涼しいとはいっても、連日つづいた酷暑の日々からすれば……という話ですから、せかせかと歩いていれば汗をかきます。
 薬師詣での功徳だと思います。

 そもそも出発時に新松戸で常磐線から武蔵野線に乗り換えるとき、常磐線も武蔵野線も十分間隔の運転ですから、どの電車に乗っても、待ち時間は二分と決まっています。常磐線のプラットホームからエスカレーターで武蔵野線のプラットホーム階に上がると、ほとんど待つこともなく武蔵野線の東京行か南船橋行がやってくるという寸法です。
 ところがこの日は、エスカレーターを上り切ろうというときに武蔵野線の電車が滑りこんでくるのが見えました。なにゆえにこんなに早くくるのか、と首を傾げるのはあと回しにして、
肥満気味のお腹をタポタポと揺らしながら小走りに及びましたが、乗ったあとで聞かされた車掌のアナウンスでは、どこかでトラブルが発生して、八分遅れて運転している、とのことでした。
 そして本来なら私が乗るはずだった次の電車は十分遅れとのこと。早過ぎた電車を見送って、本来乗るべきはずの電車に乗っていたら、勝田台から先のバスは一時間近く待たされることになったはずです。歳を重ねるのに連れて癇癪持ちが進んでいる私は立腹して、この日の薬師詣では取り止めにしてしまっていたかもしれません。
 やはり薬師詣での日には、ほんのちょっとした佳きことがある、というジンクスに変わりはないようです。



 庵に帰る前、いつもは出かける前に参拝する地元の慶林寺に参拝します。



 お薬師さんの功徳に感謝しながら、香炉に設えられた賽銭箱に心ばかりのお賽銭を……。


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