桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2011年七月の薬師詣で・取手市

2011年07月14日 22時47分47秒 | 薬師詣で

 八日は毎月恒例の薬師詣での日でした。
 それなのにブログを更新していない、ということは……行かなかったのかというと、行くことは行ったのですが、暑いさなかに出かけたためか、少し体調を崩してしまい、ブログの更新が捗らなかったのです。



 関東鉄道の取手駅です。
 先月、ほぼ二年ぶりに取手の高井城址を訪ね、関東鉄道に乗るのにもなんとなく勘が戻ったような気持ちになったので、今月の薬師詣では関東鉄道を利用することにしました。

 

 
高井城址を訪ねたときは、今年の三月に開業したばかりのゆめみ野駅を利用しましたが、今回降りたのはその二つ先・戸頭(とがしら)という駅です。取手からは六つ目になります。



 戸頭駅から歩いて二十分。永蔵寺という天台宗のお寺に着きました。
「寺」と表現しましたが、いまは建物はあっても寺はなく、かつて寺があったところ、というのが正しいのかもしれません。
 境内には、この小さな御堂と二つの祠があるだけで、人の住めそうな庫裡とおぼしき建物はありませんから、「跡」というべきかもしれません。
 しかし、いついかなる理由で「跡」となったのか、現地に説明板があるわけでもなく、Webサイトもないので、よくわかりません。

 天慶四年(941年)、隣の守谷市にある西林寺の隠居寺として建てられたという説があって、その説では守谷市乙子というところにあった御堂をここに移したと説明していますが、どんな理由で、いつ移したのか、それもわかりません。むろん画像の御堂は当時のものではありません。

 来歴はともかくとして、この御堂が目的の薬師堂のようです。
 小さな御堂なのに、普通なら中央に設けてあるはずの階が左右に分けられてあります。祀られているのはもちろん薬師如来で、平將門が守り本尊にしていた仏像だという言い伝えもあります。もし本物なら国宝級だと思いますが、中は薄暗くてよく見えませんでした。
 


 薬師堂の前には香炉がなかったので、左右に分かれて二つあった祠のうち、左側の祠にお線香をあげました。
 観寛光音という禅僧が安永八年(1779年)に定めた新四国八十八か所(相馬霊場)では第三十四番と第四十五番の札所になっています。

 永蔵寺をあとに、龍禅寺を目指します。
 途中まで結構交通量の多い道を歩きます。取手駅西口交差点とつくばみらい市を結ぶ通称・常総ふれあい道路です。

 十分ちょっと歩いたところで左に折れて、山道に入ります。それほど険しい道ではありませんが、上り下りしているうちに、杣道のようになってきました。
 また歩くこと十分と少々。緩い上り坂を上り切ると、見えてきたのが茅葺き屋根の龍禅寺三仏堂です。



 取手市内では唯一の国指定の重要文化財です。
 創建は延長二年(924年)といわれ、釈迦、阿弥陀、弥勒の三尊像が祀られているところから三仏堂と名づけられました。
 現在の建物は永禄十二年(1569年)に建てられたもので、桁行三間(約5・4メートル)、梁間四間、正面に一間の外陣が張り出され、他の三方にも「こし」を付けた独特な平面構成をしています。華美な彫刻や極彩色などは用いず、質実剛健的な重厚な印象を受けます。
 建物はその建築様式から長らく室町時代後期の建築と推定されていましたが、建物内の木札に永禄十二年(1569年=室町幕府将軍は最後の足利義昭の時代)の銘があったことから特定された、ということです。中世におけるこの地方の寺院建築の特徴を伝える遺構として大変貴重なものであるとして、昭和五十一年に国の重要文化財に指定されたのです。

 この三仏堂がある龍禅寺の山号は米井山といいます。
 平將門が武運長久祈願のためにこの三仏堂を訪れたとき、堂前にあった井戸から米が噴出したという伝説があることから、米井山とつけられ、付近の地名も米ノ井になったといわれています。

 將門の戦勝を祈願するため、この三仏堂にきて、祈りを捧げたのが愛妾・桔梗之前といわれています。



 龍禅寺本堂。
天台宗の古刹です。

 承平七年(937年)、平將門が開きましたが、やがて荒廃。建久三年(1192年)、源頼朝とほぼ同世代の千葉常胤(1118年-1201年)が中興したと伝えられています。

 龍禅寺から関東鉄道の線路を目指して歩きます。この先には特別有名な寺院があるわけではありません。それなのに足を延ばしたのは、高井城址公園にある桔梗の群落を見に行こうという魂胆だったのです。



 関東鉄道の南側を線路に沿うように国道294号線が走っています。そこに桔梗之前を祀る桔梗塚があります。



 桔梗塚をあとにして関東鉄道の踏切を渡ると、最初に降りた戸頭駅より一駅取手寄りの稲戸井駅です。そこからおよそ十分歩くと、天台宗の慈光院がありました。

 このあたりは取手市内とはいっても、あまり家屋がありません。
 この慈光院も、最初に訪ねた永蔵寺と同じように、守谷・西林寺の隠居寺として建てられたようですが、詳細はわかっていません。

 慈光院をあとにすると、径は小貝川に向かって少しずつ下り始めます。



 下高井排水機場。水門の向こうは小貝川です。



 堤防に上らないと川を見ることはできませんが、小貝川に沿って、見渡す限り青い稲田がつづいています。



 慈光院からおよそ三十分歩いて、高井城址公園に着きました。
 二年前の六月二十八日、高井城址を訪ねるのが目的でここにやってきて、偶然桔梗の群落があるのを知りました。




 今年はまだほとんど咲いていませんでした。



 桔梗の群落から六分ほど歩いたところにある下高井会館。この地区の自治会館ですが、屋根の形はお寺の御堂みたいです。



 先の画像では、下高井会館の左に写っている薬師堂です。賽銭箱はあったので、お賽銭はあげましたが、香炉はないので、お線香はあげずじまい。



 こちらはなんだかわかりません。



 高井城址公園の最寄り駅は、今年誕生したばかりのゆめみの駅ですが、私の持っていた地図にはまだ駅が記載されていません。
 わずか一か月半前には、そのゆめみの駅に降り立って、この付近を歩いたあと、再びゆめみの駅に戻っているのですが、新駅が開業するまで長らく利用してきた稲戸井駅を今後利用することがありやなしやと思うと、もう一度見ておこうという気になりました。
 二十分弱かけて、勝手知ったる稲戸井駅まで歩くことにしました。

 →この日の行程


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