桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

中山法華経寺

2009年09月07日 07時41分33秒 | 寺社散策

 六日日曜日、中山法華経寺を訪ねました。
 鎌倉の松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちに遭ったとき(1260年)、千葉家の官僚で若宮の領主だった富木常忍(のちに出家して中山法華経寺の初祖・日常聖人となる)と中山の領主・太田乗明が日蓮さんをこの中山にお連れして百日百座の説法を請い、日蓮さんはみずから釈迦牟尼仏を安置して開堂入仏の式を挙げました。これが法華経寺の始まりとされ、日蓮さんが最初に開いたお寺ということになります。
 


 JR総武線下総中山駅で降りました。
 北口から法華経寺までは迷うことのない一本道です。国道14号線を横断し、京成電車の踏切を渡ると、緩やかな上り坂。左右に商店が並びます。



 参道途中にある総門。黒門とも。
 掲げられている額の文字は「如来滅後 閻浮提内 本化菩薩 初転法輪 法華道場」。



 坂を上り切ると巨大な仁王門(三門、赤門とも)が全容を現わします。
 仁王さんの前には切石が置いてあって、間近に覗けるようにされてはいますが、顔を近づけてもよく見えません。

 ここから境内ですが、しばらくは左右に塔頭が建ち並ぶばかりで、森閑としています。



 塔頭が切れると、茶店や土産物店が数軒。それまで木立に遮られていた五重塔が正面に見えてきます。
 元和八年(1622年)建立の国指定重要文化財。当時の加賀藩主・前田利常(利家の四男)が寄進。



 五重塔の左手には比翼入母屋造りと呼ばれる巨大な祖師堂があります。これも国の重要文化財。
 延宝六年(1678年)から十五年の歳月をかけ、元禄十五年(1702年)に落慶。途中、入母屋造りに改造されたこともありますが、平成九年、創建当時の比翼入母屋造りに復元されました。


 
 通称中山大仏。
 身丈一丈六尺(4・8メートル)、台座高さ二間半(4・5メートル)。鋳像では千葉県一とぞ。



 宝殿門。



 宝殿門から祖師堂につづく廻廊。ちょっと歩いてみたくなる、いい雰囲気です。



 聖教殿。
 宝殿門をくぐり、林の中の道を上って行くと、少し奥まったところにあります。日蓮聖人真筆の「観心本尊抄」「立正安国論」(二つとも国宝)が納められています。



 宇賀神堂。
 宇賀神とは中世以降、穀霊神・福神として民間で信仰されていた神です。



 刹堂。
 十羅刹女、鬼子母尊神、大黒天が安置されています。
 十羅刹女とは十人の女性の鬼神で、法華経ではこれらの鬼神がお釈迦様から法華経の話を聞いて成仏できることを知り、法華経を所持し伝える者を守ることを誓うのです。



 法華堂。
 重要文化財。文応元年(1260年)の創建。松葉ヶ谷の法難のあと、日蓮さんが百日百座の説法を行なったところです。



 法華堂前に保存されている四脚門。
 これも重要文化財。鎌倉愛染堂にあったものを移築。通り抜けることはできません。



 大
荒行堂。
 毎年十一月一日から二月十日までの百日間、日蓮直授の秘伝大荒行が行なわれる御堂です。



 本院・大客殿。
 奥に日蓮聖人がみずから彫った鬼子母神を安置する鬼子母神堂があります。



 鐘楼堂。



 祖師堂左手にある妙見堂。
 初祖が千葉家の官僚だったので、千葉家の守り神であった北辰妙見尊星が祀られています。



 行きには気づきませんでしたが、参道の塔頭前に出されていたカフェの看板です。低い石段を上った先にあるようですが……。


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