十二月中旬、スノードロップを植えたプランターに、本土寺脇で掻き集めてきた落ち葉を撒いて、防寒対策をしておきました。
今朝、ふと見ると、落ち葉が奇妙な形に盛り上がっていました。
もしかしたら……と思って落ち葉を取り除いてみると、すでに3センチほども伸びた芽が顔を出していました。球根は六つ求めたのですが、六つとも芽を出しました。早速ノースポールの脇に植え替えました。
一方、細葉榕(ガジュマル)はいまの家に越してきて庭に植え替えるまで、鉢植えではありましたが、ベランダに出したまま、何年も冬を越してきたのに、今冬の連日の寒さで葉がやられてしまったみたいです。
遠く三重県から我が家にきて二年目を迎えた斑(ふ)入りの石蕗(ツワブキ)です。
一つだけ斑の入っていない葉が出ました(中央左)。まだ若い葉なので、いずれ斑が出てくるのだろうと思っていたのです。ンなわけはねェだろうと訝りつつ、二週間以上経った今日に到るも、真緑のままです。
久しぶりにハローワークへ職探しに行きました。
松戸のハローワークは伊勢丹横のビル三階にあるのですが、一階でエレベーターを待っていたら、私のほかに待ち人はおらず、なんとなく雰囲気が妙だと感じました。
上の階にはいろいろな会社が入っているので、ウィークデーであればエレベーターを待つ人も多いのですが、土曜ですから、くるとすればハローワークに用のある人だけ……。それにしてもあまりにも人がいない。
三階で降りると、閉まっていました。
土曜日でもパソコンによる求人情報の検索と職業相談のコーナーだけは開いているのですが、この日は臨時に休みだったんだ、とさ。
理由が張り出してありましたが、ろくすっぽ読みもせずに引き返しました。
まっすぐ帰ってもよかったけれども、近くのスターバックスに入って休憩。
松戸駅はハローワークや市役所へ行くために、もう両手では折る指の数が足りぬほど乗り降りし、周辺も歩き回っているので、改めて行くところもない、と思いながら、持っていた地図を開きました。
これまでに行ったことのある寺社にはマーカーを塗っていますが、つらつら眺めてみたところ、塗られていない寺院が三つありました。しかも、三つとも駅からわりと近いのです。
ふーむと溜め息をつき、コーヒーを飲み終えて腰を上げました。
ハローワークから常磐線を跨線橋で渡ってわずか四分。日蓮宗の大正寺がありました。
私が尊敬する幕末期の勘定奉行・川路聖謨(かわじとしあきら)さんのお墓がある上野池之端のお寺と名前も宗派も一緒です。ただし、彼方は慶長九年(1604年)の創建、此方は大正二年と新しい。
本堂(画像上)と鬼子母神・帝釈天を祀ったお堂です。
大正寺門前に、人がすれ違えるかどうかと危ぶむほどの非常に細い径がありました。地図では門前から県道松戸原木線に出る道があることになっているので、あたりをキョロキョロ見回してみましたが、どうやらほかに道はないらしい。
行き止まりなら戻ればいいと、足を踏み入れてみると、こんな秘密の通路のような階段がありました。下って行くと、県道が常磐線をくぐるための隧道になっていて、両側に歩道があり、向こう側にも秘密の通路のような階段があるのです。
県道沿いの松戸神社の横を通り過ぎて坂川河畔に出ました。
まだ数えるほどではありますが、河津桜が咲いていました。
今月十一日の建国記念の日から二十七日まで、松戸宿坂川河津桜まつりが開かれ、期間中は午後五時~十時の間、桜のライトアップがあるそうです。
松龍寺の手前、荒れたまま放置されたようなところに、いくつかの墓石がポツンポツンと建っているだけの場所があります。私はてっきり松龍寺の墓所だろうと思っていましたが、今日はなんとなく不思議な気がして、初めて足を踏み入れてみました。
すると、真言宗豊山派醫王山慈眼寺と彫られた石碑(外に向いているのではなく、内側に向かって建てられています)があり、その横に中が暗くて何が祀ってあるのかわからないお堂と弘法大師と不動明王の祀られたお堂(画像下)がありました。あとはポツンポツンと墓石があるだけで、ほかに堂宇はありません。
家に帰ったあと、千葉県の宗教法人名簿を調べてみると、所在の所番地は間違いなくこの場所で、住職の名も届けられています。不思議なお寺です。
松龍寺山門と観音堂です。このお寺を訪ねるのは一昨年の七月、去年の八月につづいて三度目です。
観音堂に祀られているのは籾殻(すくも)観音と呼ばれる観音様です。
前二回とも「すくも」とはどんな字を当てるのだろう、と思いながら帰った憶えがありますが、観音堂前にはちゃんと説明板が建てられていて、「籾殻」と書くのだと知れました。
天明四年(1784年)、籾殻塚(すくもづか)稲荷の境内の籾殻から聖観音が現われて、ここに祀られた、とあります。籾殻塚稲荷は旧松戸二丁目にあった、との注記がありますが、旧松戸二丁目とはどこなのか、訊ねてみないとわかりません。
木瓜(ボケ)の花も咲いていました(松龍寺門前で)。
流山街道が坂川を渡る小山樋門橋です。通称レンガ橋。めがね橋とも。
明治三十一年に江戸川からの逆流を防ぐ樋門として建設されたものですが、いまは橋としての機能が残るのみです。煉瓦造りの構造物としては、千葉県でもっとも古い橋だそうです。
この橋の近くに残る二つの寺院(円慶寺と増長院)があり、カメラには収めましたが、いまのところは由来がはっきりしないので割愛することにしました。
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