桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

高源寺と高井城址再訪

2011年05月31日 19時20分55秒 | のんびり散策

 また我孫子に所用ができたので、所用を済ませたあと、利根川を渡り、取手へ足を延ばしてきました。
 取手と下館を結んでいる関東鉄道に「ゆめみ野」という新しい駅ができたので、ちょっと行ってみようかという気になったのです。
 が、その駅を見ることが目的というのではありません。

 二年前、地蔵ケヤキで有名な高源寺と高井城址を訪ねたとき、いまは公園になっている高井城址に桔梗(キキョウ)の群落があるのを知りました。近場でこれほど桔梗が咲いている景色は珍しいので、毎年見に行こうと決めたのに、去年は桔梗が咲く季節の直前、ひどく体調を崩してしまって、見に行くことができませんでした。
 で、今回はまだ花の季節ではないとわかっていながら、新しい駅ができたおかげで、少しは近くなったのかどうか、様子を見ておこうというのと、地蔵ケヤキしかないと思っていた高源寺に、利根運河を拓いた廣瀬誠一郎のお墓があると知ったので、お線香の一本もあげようと考えたからです。

 高井城址は多くの部分が宅地化されてしまっていますが、それでも取手市内に遺されている城址としては最大規模のものです。高井城址も高源寺も四度目の訪問になるので、高源寺で廣瀬誠一郎の墓を探し当てるほかはとくに改めて見るようなものもありません。
 そこで今回はもう少し範囲を拡げて、城址の北西に当たる香取八坂神社、同じく東に当たる妙音寺と東光寺も併せて訪ねることにしました。



 関東鉄道のディーゼルカーに乗るのも二年ぶりです。



 ゆめみ野駅。
 今年三月十二日に開業したばかり。日中だったということもあり、降りたのは私一人。帰りもこの駅を利用しましたが、乗車したのは私一人。



 常総ニュータウン取手ゆめみ野という、面積80ヘクタール、計画人口六千人余の宅地造成に合わせて駅がつくられたのです。駅前はまだこんな状態で、何もありません。
 常総ニュータウンというのは旧日本住宅公団が昭和四十六年から守谷、常総、つくばみらい、取手の四市にまたがる関東鉄道沿線で始めた宅地造成事業で、七地区に分かれ、取手ゆめみ野は常総ニュータウンでは最終となる地区です。
 
 駅前から途中まで立派な道路ができていますが、いまのところはどこにも抜けられないので、工事用車両以外に通る車はありません。その道路は二年前には工事中だった県道251号線のバイパスに繋がっていました。
 途中で見覚えのある道に出たと思ったら、遙か彼方に鳥居が見えてきました。



 香取八坂神社です。由来を記したものがないので、経津主之命(ふつぬしのみこと)を祀っているということがわかるだけ。創建も不詳です。
 参道の右手が高源寺の墓地になっています。



 高源寺の本堂。臨済宗妙心寺派のお寺です。
 永仁元年(1293年)、夢窓正覚が開山と伝えられますが、夢窓正覚とは相国寺と天龍寺の開山・夢窓疎石(1275年-1351年)のことで、相国寺派では夢窓国師疎石と呼び、天龍寺派では夢窓正覚国師と呼ぶと記憶しています。
 この方が開山ということだと、まだ十九歳のときに開山したということになり、ちょっと不自然です。



 本堂前に聳える通称地蔵ケヤキ。
 樹齢千六百年といわれる欅の、火事で焼けてできたと伝えられる空洞に祀られた地蔵です。いまは閉鎖されていますが、地蔵の背のほうにも穴が開いており、女性がこの穴をくぐり抜けると、子が授かり乳がよく出ると信仰を集めてきました。



 地蔵ケヤキを写した画像では、右上に葉っぱだけが写っているのがこのスダジイです。
 こちらも相当な古木のようですが、保護樹木という標示があるだけで、どれほどの樹齢なのかわかりません。



 廣瀬誠一郎の墓です。天保九年(1838年)、この地・下高井に生誕。利根川と江戸川を結ぶ利根運河開削に生涯をかけた人です。
 すぐに見つかるだろうと思っていたのですが、一帯には廣瀬を名乗る家が多いようで、廣瀬家之墓と彫られた墓石が何十と林立しており、随分長いこと捜して見つけました。

 このあとに訪ねる高井城は長治年間(1104年-05年)、相馬小次郎が築城したと伝えられています。
 相馬氏の子孫が高井と姓を変え、天正年間(1573年-92年)までつづきますが、高井胤永が北条氏に味方したため、豊臣氏に滅ぼされました。そのあと、廣瀬と名を変えて帰農したという説と姓はもともと廣瀬で、高井家の重臣であったという説があります。



 高井城址公園の桔梗です。
 去年夏は異様に暑く、冬は異様に寒いという変動気候のあとなので、どうなるかわかりませんが、例年なら満開期は七月十日ごろ。いまの季節は高さも20~30センチというところです。



 高井城址。上ってみたところで、草ぼうぼうの本郭跡があるだけだとわかっているので、外から眺めるだけにしておきました。



 地図で高井城址の東側に鳥居の印を見つけていたので、初めて行ってみると、妙見八幡宮でした。由来を示すようなものは何もないので、詳細はあとで調べたものですが、かつては高井城内にあった相馬家の氏神です。



  初めての場所を訪ねるとき、私はニフティの「いつもNAVI」という地図をプリントして持って行くことにしています。その地図には、妙見八幡宮前の径を右に折れると、突き当たりに東光寺があり、その手前左に妙音寺があることになっていますが、径を曲がってみると、正面にも左手前にもお寺らしき建物はなく、正面にこの二つの御堂があるだけでした。

 近づいてみると、右の御堂には「新四国相馬八十八か所霊場 第五十二番 高井村 本尊 薬師如来」と記された扁額が懸けられていましたが、中に祀られているのは薬師如来ではなく、弘法大師でした。
 左は風雨に晒されて、記されているらしき文字を読むこともできませんが、中におわすのはやはり弘法大師でした。

※庵に帰ったあとで調べてみると、右の御堂に祀られていたのは弘法大師ではなく、新四国相馬八十八か所霊場を定めた観覚光音禅師(1711年-83年)のようです。クローズアップした写真を撮っていないので、なんともいえませんが、両方とも坐像で、右手に独狐を持っていたように記憶しているのですが……。

 手前左には集会所のような建物……と思ったらまさに集会所で、下高井下坪集会所とありました。



 裏に廻ってみると、三基の墓石がありました。
 左から権大僧都法印順慶、大阿闍梨法印泰玄、権大僧都法印義純と、僧階と僧侶の名が読めるだけで、没年などはすっかり摩耗していて読み取ることはできません。

 庵に帰ったあと、新四国相馬霊場八十八か所に触れているサイトを捜してみると、先に見た高源寺が四十九番で、五十番が東光寺、五十二番が明音寺(私が持っている地図では妙音寺)となっています。
 ただし、五十二番という扁額の懸けられていた御堂は、地図の位置関係によれば明音寺ではなく、東光寺のある場所でした。

 Webで他の地図も見てみました。Map Fanにはお寺の記載はなく(確かにあった妙見八幡宮の記載もなく)、下坪集会所があることになっています。
 BIGLOBEとgooはベースとしている地図が同じなのか、私が使ったニフティの地図とまったく同じで、明音寺ではなく妙音寺と記載されています。
 取手市観光協会がWebに載せている観光マップもBIGLOBEやgooと同じです。ZENRINというクレジットがあるので、自前のものではありませんが、観光協会が使っている以上は明音寺という表記は間違いで、妙音寺が正しい、ということになります。ところが、そのお寺は実在しないというのも、お笑いぐさになってしまいますが……。



 取手駅に戻っても、まだ午後の早い時間だったので、ちょっとした風流を味わってから帰ろうと思いました。
 利根川河川敷に降りて見上げた常磐線(手前が緩行線)の利根川橋梁。
 画像の左が下流になりますが、この地域で湾曲していた利根川は明治から大正中期にかけての工事で、直線に付け替えられました。かつて流れていた川の一部は古利根沼として残され、川の北岸だった小堀(おおほり)地区は対岸として孤立することになりました。

 そこを結ぶ連絡手段として取手市営の小堀の渡しがあるので、それに乗ってみようと思ったのです。
 取手駅東口から利根川堤防までは歩いて六分ほど。堤防から広い河川敷を横断して船着き場まではまた六分ほど。



 されど、やんぬる哉……。台風2号のせいで利根川は増水。渡し船は欠航だとさ。
 十五分ほどの風流な船旅……と思っていたのですが。
 取手駅、とはいわないが、せめて堤防の降り口に欠航の知らせでも出しておいてくれれば、河川敷横断の往復十二~十三分は歩かずに済んだのに……。



 桟橋入口が通せんぼされているのを見ながら、もしかしたら……と思いながら近づいて「欠航」と知ると、一気に疲れてしまいました。

この日歩いたところ(ゆめみ野駅から稲戸井駅まで)


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1 コメント

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横瀬弾正 (Unknown)
2011-11-27 21:15:15
廣瀬は徳川二代将軍秀忠の頃までは横瀬を名乗っていたと記憶しています。
一番古いお墓の側面に記録があります。雨風でほとんど風化していますが・・・。
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