2017年の初薬師です。朝、目覚めたときはあまりいい体調とは思えなかったので、東京まで出かけられるだろうかと案じていましたが、時間の経過とともに持ち直してきたので、予定どおり浅草寺の橋本薬師堂と東光院に参拝に行くことにしました。
浅草寺のホームページには、毎月八日午前十時から法要がある、と紹介されているので、法要が執行されることは間違いないと思ってはいたのですが、六年前の一月八日を皮切りに毎月八日に始めた薬師詣では今日まで七十四回(十二日の縁日にも二度)と回を重ねているのに、法要に立ち会えたのはわずか四回しかありません。本当にあるのだろうかという疑念は拭えません。
北千住で東武線に乗り換えて、法要開始とされている時刻の二十分前に東武浅草駅に着きました。
仲見世は混雑しているだろうから、と通るのを避けて、二天門から浅草寺境内に入ります。
松の内も明けたのに、日曜日だったからか、浅草寺本堂は大勢の参拝客で賑わっていて、お賽銭をあげるのも順番待ちのようです。
人混みを避けながら、本堂前を横断します。参拝の目的は本堂ではなく、薬師堂であったとしても、まず本堂にお参りするのが流儀、ということは心得ていますが、石段を上って、お賽銭を投げる順番を待っていたら、薬師堂の法要開始には間に合わなくなるので、失礼を承知で横切って行きます。
五分前、橋本薬師堂に到着しました。
三間四方の堂宇です。当初は前を横切ってきたばかりの本堂の北側にあったので、「北薬師」と呼ばれていたそうです。慶安二年(1649年)、徳川幕府三代将軍・家光が本堂の北西に再建。これが現在の建物で、浅草寺に残る江戸時代以前の建築では六角堂、二天門とともに古い建築物です。
橋本薬師堂という呼称はかたわらに小さな橋があったため、家光によって「橋本薬師堂」と名づけられたのだそうです。
薬師堂前に着くと、扉が開けられ、寺男らしき人が立っていたので、間違いなく法要があるのだと一安心しました。
風こそありませんが、正月に相応しい冷気です。しかし、法要は本当にあるのだろうか、というちょっとした不安と、間に合うあろうかという焦りがあったので、分厚いコートの下の身体は少々汗ばんでいました。
十時ちょうど、法要が始まりました。私のほかに、四、五人が御堂の前に立っていました。
読経の声は微かに聞こえてくるだけで、どういうお経が読まれているのか、はっきり聞き取れません。般若心経が読まれたように聞き取れる部分がありましたが、般若心経は短いお経だとしても、気づいたときにはすでに聞き覚えのないお経に変わっていたので、般若心経ではなかったのかもしれません。
正味十二分で法要は終わりました。
法要が終わったあと、僧侶たちが立ち去るのを見送って、浅草六区からひさご通りを歩くことにしました。
ひさご通りは私が浅草に棲んでいたころ、昼食や休息をとるためにもっとも頻繁に訪れた商店街です。
浅草から転居して十一年が経っています。いくつか見覚えのない店がありましたが、それでも数々の店が健在でした。
その一つがこのコーヒーショップ・レイラ。
「LAYLA」というのはエリック・クラプトンがクリーム解散後に結成したデレク&ドミノスの最初にして最後のヒット曲です。多分それにあやかって店名にしたのに違いないと思いながら、結局店主には確認できないままでした。空いていれば入ろうと思って覗きましたが、生憎空席はなさそうでした。
スターバックスやドトール以外に、昔ながらの喫茶店が生き残っているのも、浅草ならでは、かもしれません。
こちらはときおり……というほど頻繁に行けたわけではなかったけれど、すき焼きの米久本店も健在でした。
ひさご通りを抜けると、言問通りに出ます。千束通りの交差点を挟んで、左右にみずほ銀行がありました。私がここに口座を開設したのは、富士銀行と第一勧業銀行が合併して、みずほ銀行が誕生したばかりでした。右側にあったのが旧第一勧業銀行で、画像は左側の旧富士銀行千束町支店です。
当時棲んでいたマンションの家賃の引き落としのため、ここに口座をつくったあと、千葉県民になってからも、携帯電話とケーブルテレビの料金引き落としで同じ口座を使っています。カードで出し入れしているので、通帳は必要ありませんが、取引をして、明細を出すたびに、早めに記帳を、というメッセージが印刷されて出てきます。北小金にもみずほ銀行はあるので、口座を移動させてもよいのですが、いま引き落としに使っているところには変更届を出さなくてはなりません。それが面倒なので、変更しないままに、一年が二年、二年が四年と経過して、十二年も経ってしまいました。
生憎この日は日曜日。平日だったら、印鑑と通帳を持って……と思うことは思ったのですが……。
みずほ銀行の斜向いにある中華料理店・華春楼。
目白から浅草に移り棲んだあと、困った、というほどではないけれど、もの足りないと感じたのは、目白にあった揚子江という中華料理店の五目焼きそばが食べられなくなったことでした。それがこの華春楼ではよく似た焼きそばが食べられると識って、ちょくちょく訪ねることになったのでした。
焼きそばは全体を焼いて、こびりついたようになった中華風の堅焼きそばではなく、焦げた部分はほんの少し、餡を掛けた柔らかい焼きそばでした。
ただ、注文するときに、「柔らかい五目焼きそば」といわないと、焦げた堅焼きそばが出てきてしまいます。
何年か前まで、松戸に支店がありました。「やあ、松戸にもあったのか」と気づいたときにはなくなっていましたが……。
薬師詣でで訪ねる先はほとんどが見知らぬ土地なので、昼食をとることのできる店があるかどうかわかりません。で、握り飯を持って出るのが通例になっています。
今回は勝手知ったる浅草ですから、知っている店はたくさんあります。握り飯は持たずに出ていました。
店の前を通りがかったのは十時二十分過ぎ。店が開くのは確か十一時半。久しぶりだし、次にくる機会はあるかどうかわからないので、食べたいと思いましたが、開店まで一時間以上も時間を潰す方策がないので断念。またくる機会はあるだろうかと思いながら、店の前を通り過ぎました。
ここからもう一つの目的地を目指しながら、途中にある寺院を巡って行きます。
曹洞宗萬隆寺。当初湯島にありましたが、明暦三年(1656年)の大火後、当地に移転しました。
変わった形の歴住の墓所。
曹洞宗本然寺。寛永十七年(1640年)、浅草御小人町金左衛門屋敷に起立、享保十五年(1730年)、現在に移転しました。
私が棲んでいた部屋からはこの本堂の屋根が見えました。
しばしばお参りして、歴住の墓所にも焼香しているので、今回は本堂に手を合わせるだけで、焼香はパスすることにしました。
本堂左手にある「番町皿屋敷」のお菊稲荷。
時宗日輪寺。
元は神田柴崎村(現・千代田区神田一帯)にあり、「柴崎道場」と呼ばれていました。江戸時代の初めに銀町(現・中央区新川)に移り、慶長八年(1603年)、現在地に移りました。
浅草時代、散歩をしていたとき、先代の住持様とはちょくちょく顔を合わせることがありました。
浄土宗天嶽院。天正十八年(1590年)の創建。明暦三年(1656年)、現在地へ移転。
浅草の住人だったころ、ときおり門前を通ったのですが、門の開いている日がありませんでした。やはり、この日も門は閉ざされていて、入ることは叶いませんでした。
なぜ入ってみたかったのかというと、江戸中期の儒学者・細井平州(1728年-1801年)のお墓があるのです。
左手に本堂があるのですが、鉄門越しにカメラを構えても、本堂を写すことはできなかったので、門の写真だけ。
天嶽院の門前を上野のほうに進むと、ピーターという喫茶店があります。ここもよくコーヒーを飲んだ店。
画像奥のほう、道路の右側に私が棲んでいたマンションが写っています。
この日の二つ目の目的地の東光院です。
天台宗の寺院。平安時代の初め、天長年間(824年-33年)、慈覚大師によって草創され、その高弟の光尊阿闍梨が開基となって、仏師春日作の薬師三尊を安置したと伝えられています。
それから六百年ほど経った長禄元年(1457年)、太田道潅が江戸城を築き、東光院を江戸城の鬼門にあて、その長久を祈願したと伝えられています。
天正十八年(1590年)、徳川家康が江戸に入ると、江戸城の局沢(現在の皇居内吹上御苑のあたり)にあった東光寺は常盤橋御門の北へ移りました。慶長年間(1596年-1614年)、小伝馬町へ移転。当時、江戸天台三か寺は浅草寺、観理院、東光院といわれ、一〇八か寺もの末寺を有する総本寺で、薬師様のお寺として広く知られていたようです。明暦四年(1657年)、本郷本妙寺から出火した「振袖火事」で堂宇が灰燼に帰しました。翌万治元年(1658年)、現在地に移転。
東光院の薬師三尊像。画像は天台宗東京教区のホームページから拝借しました。
浄土宗良狭院。携帯して行った地図に載っていたので訪ねましたが、民家のようなつくりでした。
かっぱ橋道具街と交差する合羽橋本通りを通って、国際通りに出ます。中央に写っているのはキッチン城山とうどんのふじや。
大して歩いていませんでしたが、この日のノルマを果たしたと思うと、東武浅草駅まで戻るのがかったるくなってしまいました。
で、私が棲んでいたころには走っていなかった、つくばエクスプレスに西浅草駅から乗って帰ることにします。
つくばエクスプレスには滅多に乗ることがないので、常磐線に乗り換えることができる北千住を通っているとは考えが及びませんでした。
電車は空いていたので、座席に深々と坐ってしまって……北千住に着く直前の車内アナウンスで、アッと思ったものの、身体がとっさには反応せず、降りればよかった……と思ったときには電車は動き始めていました。
当初の目論見どおり南流山で降りました。
電車に坐っていた間にかったるさも消え、大して歩いていなかったので、東福寺へ寄って行くことにしました。
本尊は薬師如来。急遽今日の目的地となりましたが、2014年の十二月八日、つまりその年の終い薬師で参拝しています。
千仏堂。
東福寺からは三十分以上歩いて、地元の慶林寺に参拝。
これにて今年初めての薬師詣では大団円を迎えました。
→この日歩いたところ(台東区分)。