二年前の一月八日から、病いを抱えている友のために薬師詣でを始めました。
薬師詣でをつづけている間に、もう一人友ができました。ちょうど転んで臀部を打ったと聞いたので、「じゃあ、あなたのこともお薬師さんにお願いすることにしましょう」といって、以来二人が息災であることをお願いしながら毎月の薬師詣でをつづけてきました。それが三年目に入りました。
一月八日は今年最初の薬師如来の縁日なので初薬師です。
地元の北小金から新松戸、新八柱へ。八柱で新京成電鉄に乗り換え、コトコトと揺れる新京成の電車に二十八分間乗って、薬園台で降りました。
新京成電鉄の前身は旧日本陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した鉄道連隊演習線松戸線で、線路はグニャグニャと曲がり、曲がり過ぎるので、車輪がキイキイと音を立てます。
薬園台駅から歩くこと三分。こんもりとした森が見えたので覗いてみると、倶利伽羅不動尊でした。
扉が閉まっていて人の気配はなかったので見ることはできませんでした(もともと非公開のようです)が、祀られている不動尊は高さ117センチほどの石造りの丸彫像で、このあと訪れる光明寺に寛文九年(1669年)に建立されたと伝えられています。
倶利伽羅不動尊から九分で王子神社に着きました。境内の掲示板によると、祭神は建御名方神(たけみなかたのみこと)。
去年の正月は東京・王子にある同名の王子神社に初詣に行きました(実際は行列の長さに恐れをなしてお参りはしていません)が、こちらの祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱ですから、名は同じでも関連はないようです。
王子神社から三分ほどで光明寺に着きました。
「船橋市史」には「『真言本末』に印旛郡宇那谷村(現・千葉市花見川区)大聖寺の末寺として載せられている。『県寺明細』には『文亀壬戌年六月創立、(中略)尊慶法印開基』云々とある。文亀二年(1502年) の創立だというのですが、それを確認できる文献・遺物は知られていない」と記されています。
光明寺本堂。
本堂の後ろ、小高いところに多宝塔が見えました。
光明寺を出て、四分で大宮神社。創建年代は不詳。祭神は素盞嗚尊。
このあたりの地名は飯山満で、「ハサマ」と読みます。もともとは高低差の激しい土地で、谷と谷の間を意味する「狭間」が土地の名の起こりではないかという説があります。現に古老たちは「はざま」と読むようで、あちこちに「はざま」とか「HAZAMA」という表記を見てとることができます。
大宮神社から五分で、今日の最初の目的地・東福寺に着きました。
「船橋市史」には「『真言本末』に山野村正覚寺(現在の船橋市西船) の末寺として載せられている。『県寺明細』には『宝徳二午年十月創立、(中略)澄尊開基』とある」。先の光明寺と同じように、「(創立は)当寺もそれを確認できる文献・遺物は知られていない」と記されています。
東福寺からすぐ、小高いところに飯山満薬師堂がありました。
ゆるぎ地蔵。
巨大な松から刻んだ木造地蔵菩薩坐像。享保八年(1723年)、木喰僧観信(かんしん)の作と伝えられていますが、専門の仏師が彫ったという説もあります。
地図上には、ゆるぎ地蔵の先に清房院という寺があることになっていました。
そこそこ広く、池もあるのに、なんという名(飯山満緑地公園というらしいのですが)か標示のない公園があり、車は停めてありませんでしたが清房院の名を冠した駐車場もありましたが、見つけることができませんでした。
薬師如来をお祀りする寺であれば、死にものぐるい(?)になって捜す手筈ですが、そうではないので、先を急ぐこともあり、あっさりと諦めました。
坂を下ったあと、今度は上り坂。結構起伏の烈しい土地です。
すでに飯山満地区は通り過ぎてしまっていて、上りつつあるこの坂があるのは二宮という地区になるのですが、「狭間」の名残みたいです。
最初に降りた薬園台の一つ先・前原駅に着きました。ここから再び新京成電鉄に乗り、京成津田沼経由で東中山へ行くことにします。
→薬園台駅から前原駅までの地図です。
前原から二駅目・京成津田沼で新京成から京成電車に乗り換えて東中山で降りました。
南口に出なければならなかったのに、勘違いして北口に出てしまいました。大きなターミナル駅でこんな間違いを犯せば、大いに歩かされるところですが、ここは踏切で線路を越えるだけでした。
緩い坂を下って国道14号・千葉街道を歩きます。二子浦の池がありました。
現在、ここから一番近いと思われる海岸は市川港あたりで、4キロ近い距離がありますが、鎌倉時代にはこのあたりまで海岸が迫っていて、二子浦と呼ばれ、日蓮上人が鎌倉への布教の船出をした場所だという言い伝えがあります。
多門寺。
日蓮宗の寺院なので、山門から覗き見るだけで失敬します。
社伝によると鎌倉時代末期の永仁六年(1298年)、日蓮の直弟子であった日伝上人が建立したと伝えられています。門を入ると、左手にある堂に日蓮作と伝えられる毘沙門天像が安置されているそうです。
多聞寺から国道14号線を西船橋駅方向に歩いて五分。今日、二体目の薬師如来がある浄土宗東明寺に着きました。山号は薬王山、院号は神将院です。
弘治三年(1557年)、誓譽上人による開基で、本尊は阿弥陀如来ですが、脇座に円光大師(法然上人)像と薬師如来像を祀っています。
これで所期の目的は達したので、西船橋の駅も近いことだし、帰途に就いてもいいのですが、最後に目指すのは寶成寺です。持ってきた地図では京成線の北側にあるということがわかるだけで、どのように行ったらいいのか、道筋がよくわかりません。
白黒の古ぼけた写真、なんか見たことのある老人が……と思ったら、永井荷風でした。
葛羅(かづら)の井。
葛羅の井すぐ近く、民家の玄関先に咲いていたツワブキ(石蕗)です。
いつも私が散歩している径には各所にツワブキがありますが、いずれも花は去年のうちに終わっています。年が改まっても咲いているというのは不思議。
寶成寺に着きました。
着いて初めてここが我が宗門(曹洞宗)のお寺であると知りました。場所がわかりにくかったので、訪ねるのはやめようかと思ったところが我が宗門であった ― というのはことのほかうれしい。
寺伝によると江戸時代初期、このあたりを治めていた栗原藩成瀬氏の菩提寺として創建されたということです。
成瀬家の墓所。
歴住の墓所に参拝します。
西船橋駅に着く直前、葛飾神社に寄りました。
→東中山駅から西船橋駅までの地図です。