時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

憲法「改正」に待った!

2006年11月04日 | 憲法・平和問題
憲法について、一度じっくり考えて意見を書いておこうと思いつつ、随分と日が過ぎてしまった。
安倍首相は、できれば2期6年間の任期を全うし、この間に憲法を「改正」したいという願望を持っているようであるが、そもそも軽々しく憲法「改正」を口にする首相を6年もの間、日本の総理大臣を務めさせることは、国民のとっての悲劇であり、日本にとって恥であろう。
安部首相は、「憲法が時代にそぐわない」から、「改正」すべきと主張している。これはいったいどういう意味だろうか?
憲法が掲げている平和原則、戦力を保持しない、交戦権はこれを認めないという内容が、世界の情勢に合致していないということを言いたいらしい。現在でも中東やアフリカでは戦火が絶えない。各国の核実験や核開発も絶えない。こういう不穏な情勢の下で、日本も海外に派兵し、戦闘ができるように憲法を改めようというのが、彼の考えである。
しかし、この発想は根本において間違っている。
日本の憲法は、太平洋戦争の悲劇の教訓から定められたものであり、特に憲法9条の規定は、世界の国々の外交のあり方を示したものであり、この条項に則った世界をつくろうという崇高な理想を日本として表明したものである。したがって、戦後60年以上にわたって世界各地で戦火が絶えないからといって、理想を廃棄してしまおうというのはまったく逆立ちした議論だ。戦後60年にわたって基本的には政権を担当してきた自民党が、世界の中でこの理想を推進してこなかったからこそ、残念ながら世界で戦火が絶えないのではないか。そのことを棚に上げて、戦火の上がる地域に自衛隊を派遣し、戦闘行為ができるようにしようというのは、本末転倒も甚だしい。
最近、爆笑問題の太田光が「憲法を世界遺産に」という対談集を出して話題になっているが、私も彼の意見に同感である。この本の中で太田は次のように述べている。
「最初はジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を読んだときですね。この本で、日本国憲法ができたときの詳しい状況を知って、ああこの憲法はちょっとやそっとでは起こりえない偶然が重なって生まれたのだなと思ったんです。戦争していた日本とアメリカが戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのはあの瞬間しかなかったんじゃないか。日本人の十五年も続いた戦争に嫌気がさしているピーク感情と、この国を二度と戦争をさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかいう次元をこえたものだし、国の境すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だなと感じたんです。アメリカはまた五年後の朝鮮戦争でまた振り出しにもどっていきますしね。僕は日本国憲法の誕生というのはあの血塗られた時代に人類が行った一つの奇跡だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど僕はそうは思わない。この憲法は敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり生き方なんだと思います。」
「理想」というのは、けっして「空想」ではない。
長い歴史の中で、人類はさまざまな困難を克服してきた。戦争と言う国家による暴力も必ず根絶できる時がやって来るに違いない。その時になって、日本が60年前に掲げた憲法の理念が世界の平和の礎になることは間違いないと確信するものである。


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1 コメント

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お邪魔します (i)
2006-11-08 19:38:14
理想に向かう途上が 現在 であるべきですよね。 理想のあり方を捨てて得られるものが 悪魔だと思います。
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