時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

地球温暖化に関する議論

2007年12月17日 | 環境・食料問題
国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議が終了したが、各国の思惑があって、議論はまとまらなかったようだ。
特に、数値目標を明らかにしたいEUや途上国と目標をアイマイにしたい米日の対立があって、ウヤムヤの会議に終わりそうである。日本は、せめて京都議定書に従った数値目標くらいはクリアするように努力しなければならないだろう。何でもかんでもアメリカベッタリではどうしようもない。
さて、こういう議論になぜ一致点が得られないのかを考えてみると、そもそも、地球が温暖化しているかどうかという根本問題で世界の科学者の意見は一致していないらしい。
もし、地球が温暖化していることが正しいとしても、それが産業革命以来の化石燃料の急速かつ大量の消費によるものか、それとも長い地球の歴史における気候変動の中の温暖化の時期に当るのかもしれないとの議論もある。あるいは、太陽の黒点やその他の要因もあるかもしれないといった議論も存在する。
しかし、地球の温暖化の原因に関する議論は脇に置くとしても、少なくとも、各種の動物が急速に絶滅し、東京などの大都会では、野生の動物や自然の森林を見ることさえ困難になっている状況は、明らかに、人間の社会活動による結果であり、憂うべきことである。
自然が失われ、他の動物が暮らせない環境が、人間にとって住みよい環境であるはずがない。
今回の国際会議でも、極地においてペンギンが繁殖できない環境になりつつあることが報告されたということである。
私たち人類は、厚さ100km(東京-熱海間の距離)に過ぎない大気に守られた地球という限られた体積の星で生きているのだから、自然のエネルギーを有効に活用して生きていくほかはない。
しかしながら、太陽による光、熱のほか、風やその他の自然現象を活用する方法は、コストがかかり、効率が悪く、産業界や社会から敬遠されているのが実情である。
スイッチを入れれば電気が点き、コックをひねればガスや水、お湯まで出るという便利な生活の陰には、大量のエネルギーが消費されている。近海で魚が取れなくなったといって、外洋にまで出かけていって根こそぎ漁ってくるやり方や札束を積んで、海外から大量の食料を買い入れた挙句に、多くの部分が消費されずに廃棄されるようなやり方がはたしていつまで続けられるだろうか。
まさか、原始時代に戻るわけにはいかないが、多少のコスト高は我慢しながら、あるいは多少の不便を忍びながらも、自然のエネルギーを活用し、地球の一員として、他の生き物に迷惑を掛けないように生きていく道を探るべきではなかろうか。
日本が、こういう道を歩むうえで、政治の責任は重大である。
コストを最優先し、利潤追求を第一義的な目標とする産業界にばかり目を向けている現在の自公政権に、長期にわたる地球的規模の対策などは立てられるわけがない。年金問題でも、わずか数十年後の高齢化社会すら予測できなかった(あるいは、予測していたが対策を講じられなかった)自民党政権では、到底、地球環境の問題に回答を出すことはできないだろう。


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