時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

郵政民営化から2年

2007年09月20日 | 政治問題
2005年10月に郵政民営化法案が可決されてから、ほぼ2年が経った。
その後、郵便局のサービスは全国でどのようになってきただろうか。
以前にも本紙の中で報道してきたが、既に、全国で1000以上の集配局が廃止され、配達、集配業務の縮小が図られ、一部の地域では、郵便物の遅配や誤配も起きている。
東京に住んでいると、別に郵便局がなくなったからといって不便を感じることはない。100m以内に特定郵便局があるが利用することはほとんどない。郵便局の数よりも、コンビニの数がはるかに多く、キャッシュコーナーもあるのでお金の出し入れにはまったく不自由しないし、普通切手なら購入できる。宅配のメール便もコンビニで利用できる。ましてや、ネットバンクに口座を持っているので、自宅のパソコンから送金も可能な時代である。地域の郵便局の1つや2つなくなったところで何の問題もない。
しかし、お年寄りなどにとっては、地域の特定郵便局がなくなるのは非常に不安だろう。コンビニに行ってもキャッシュディスペンサーの操作がわからないとか、メール便もシステムもわからない。これに対して、郵便局なら窓口で親切に案内をしてくれるし、わからないこともいろいろと教えてもらえる。高齢化が進む中、これほど心強い味方はない。
また、地方に行くと、郵便局の統廃合は、地域住民にとって非常に深刻だ。郵便局以外に金融機関が1軒もないという町村もかなりあるに違いない。地方のこのような事情は察するに余りある。
最近、埼玉県の入間市のことが話題になっていたから紹介しておこう。
入間市は、人口15万人の都市である。地方の県庁所在地くらいの規模がある。
ここにあった集配局が廃止され、郵便ポストからの郵便物の回収が減り、結果的に集配が遅くなったり、隣の狭山市の集配局が配達を担当するようになって、郵便物の誤配が増えたりしているという。地元の慣れた配達員は転勤させられ、不慣れな配達員が担当するのだから当たり前のことだ。こういう形で、住民へのサービスは確実に切り捨てられている。15万都市に集配局がないという事態はどう考えても異常ではないか。
入間市の市議会では、集配局を元に戻せと言う意見書を採択し、市長もこれを要求しているという。
さて、こうなると、編集長も、東京に住んでいるから近所に郵便局がなくても困らないなどと、言っていられなくなる。地方の友人や知人に出す手紙が、相手に届かないとか、向こうからくる郵便物も1日遅れで届くようなことになってしまうではないか。
郵政民営化法案が提案された時から、こうなることは十分に予想されたことであった。
入間市議会にも、郵政民営化を主張し、推進した自民党や公明党の議員がいるだろう。2年前の衆議院選挙では、口を醜く歪めて、郵政民営化に反対するのは国賊だ、と言わんばかりに絶叫した自公の候補者を熱心に応援したこういう連中も、やっと事の重大さに気づき、議会で意見書を採択せざるを得なくなっているのである。まったく愚かというほかはない。
入間市をはじめ、集配局の廃止は1000局以上にのぼっている。これらの地域では、同様の事態になっているだろう。
人間の未来の行動は、過去の行動を反省するところから始まるものである。郵政民営化に熱狂した多くの人たちが、自らの愚かな行為を真摯に反省し、民営化後のサービス切捨てを許さない行動に立ち上がることを期待している。


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