時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

宮沢元首相の死去

2007年07月03日 | 政治問題
やや古いニュースになるが、宮沢喜一氏が先日死去した。まずは冥福をお祈りしておく。
ネットで検索していると、彼が1996年に講演した「21世紀への委任」と題する文章に接したので、今日はそれに触れておこう。
戦後50年を振り返って、これからの21世紀に世界の中で、日本がどういう立場で生きていくかということを述べた講演である。
率直に言うと、あまりたいしたことは述べていない。
戦後、日米安保体制を築いたことを戦後民主主義の立脚点として評価し、この安保体制を21世紀の日本でも再確認をすべきであると主張している。
しかし、50年、100年というスパンで世界を眺めると、20世紀、特に第2次世界大戦後の世界の流れは、アフリカ、中南米、東南アジアなどで民族の独立が相次ぎ、これらの国々が貧困問題などを抱えながらも、どの国とも軍事同盟を結ばず、非同盟中立の立場を取って国作りを進めていることである。友好国と軍事同盟を結ぶという流れは、世界の中では既に少数派になっている。そして、国連を中心とした世界平和や地球環境の保護、貧困の根絶などを探求する流れが進んでいる。
我々が日々接する単発のニュースを見ているだけでは、こういう世界の大きな流れはわかりにくいが、長いスパンで歴史を振り返ると、人類と社会の進歩は歴然としている。
近視眼的な見方をしていると、世界の大きな流れから取り残されるのは明らかである。
イラク派兵問題でも、国連の立場は明確だった、結局、米英を中心にわずかな国々が申し訳程度に派兵を行ったが、それらの国々さえも相次いでイラクから撤退しているのが現状である。
20世紀の100年間に、世界は南北問題などの貧困の解消などに取り組み、一定の前進を築いてきたが、まだ、これらの取り組みは緒に付いたばかりである。しかしながら、1900年代初頭と比較して、この100年間に、平和や地球環境保護や貧困の解消、様々な格差を是正する流れは確実に前進している。
にもかかわらず、日米安保に固執し、21世紀もこれを再確認しようという姿勢は哀れというほかない。
日本が頼みとする同盟国、アメリカの議会では、従軍慰安婦問題に関する決議案が採択され、日本の政権のお粗末な戦後感が否定された。いまや日本は、同盟国からも見放される存在になっている。にもかかわらず、21世紀になっても相変わらずのアメリカ頼みを続けるというのが、宮沢氏の考えである。そしてこれは、現在の自公政権の考えでもあり、なおかつ宮沢氏より危険なのは、現政権が、このアメリカと「肩を並べて」海外に派兵できる21世紀をめざしていることにある。
こういう方向に未来がないことは明らかである。
国連憲章に基づく紛争の平和解決、貧困の撲滅などに、経済大国日本の果たすべき役割があるのではなかろうか。


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