時々新聞社

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量的変化と質的変化

2006年08月25日 | その他
このタイトルを見ても、読者諸氏には内容がまったく想像できないに違いない。これは、新聞の見出しとして決定的に問題である。しかし、逆に、何が書いてあるのかと興味を持って読んでいただけるという効果を生み出すかもしれない。
さて、本題に入ろう。水を例にとって量的変化と質的変化について説明しよう。
ここに室温の水がある。どんどん温度を下げていき、0℃以下になると、氷になってしまう。逆に、どんどん温度を上げていき、100℃を超えると水蒸気となる。よく知られている現象である。
この例を基に、量的変化と質的変化について考察すると、一般的に次の2つのことがわかる。
一つは、温度という量的変化はある段階に達すると、質的変化を引き起こすということ、二つは、量的変化は緩やかであり、質的変化は急激である、ということである。
このような例は自然界には掃いて捨てるほどある、メタン、エタン、プロパンなどの飽和炭化水素(CH4、C2H6、C3H8、・・・)は、炭素数が少なければ気体であるが、多くなるとある時点で突然に液体となり、更にある時点では突然に固体となる。炭素および水素数という量的変化が、やがては質的変化を生み出すのである。
地震のメカニズムも、緩徐な量的変化の積み重ねの末に、急激な質的変化が生じるために発生する。人間でも同様である。毎日の生活で、老化を意識することはないが、長い歳月にわたり徐々に量的変化(個々の細胞や器官の死滅)により徐々に老化が訪れ、ついには死という急激な質的変化の日を迎えるのである。
こういう事象は自然界ばかりでなく、実は私たちの社会の中にも通常見出されるものである。
歴史を振り返ってみても、社会の変化というのは遅々としたものである。しかしながら、21世紀に生きる我々が日本史の年表を広げて、古代から現代までの歴史を俯瞰すると、たとえば、戦国時代、幕末~明治維新、太平洋戦争前後などに、社会に大きな質的変化が起きていることを確認することができる。緩やかな社会の動き(量的変化)と急激な社会の動き(質的変化)を年表の中に見出すことができるのである。
以前に、日本の国家破綻の可能性についての記事を書いたことがある。
今、国と地方の借金総額は、1,000兆円を超えているらしい。今は緩やかに借金が増えている量的変化の時期であるが、国といえども、無限に借金ができるわけではない。ある臨界点を超えると、急激な質的変化を辿るのである。
その時期は簡単には予測できないが、緩やかに進んでいる量的変化に歯止めをかけない限り、必ずや質的変化の日が訪れるのである。
政治の世界でも、戦後70年という長い自民党政権が続いてきたが、自民党の長期の低落傾向は否めない。自民党政治のさまざまな矛盾も噴き出し、徐々に臨界点に達しようとしている。大きな歴史の転換点を迎える日もそう遠くないと思われる。
我々の日常生活の中でも、量的変化と質的変化がお互いに関連しあいながら、世界というものを形作っている。
朝晩が漸く涼しさを増してきた今日この頃である。秋の夜長に、たまにはこういう哲学的な思考に耽ってみるのもよいのではないだろうか。
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