時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

「日本会議国会議員懇談会」って、いったい?

2006年08月06日 | 政治問題
先の国会で、教育基本法の「改正」が議題に上り、新聞などでも随分と話題になった。今日はこの問題について考えてみたい。
現在の教育について、このままでよいと思っている人は少ないであろう。
学力の低下、暴力事件などの学校の荒廃、学校行事における君が代斉唱、日の丸掲揚問題、少年による凶悪事件の多発、歴史教科書問題、「愛国心」通信簿等々、学校教育を巡る新聞報道は枚挙に暇がない。私もこういう事例に心を痛めている一国民である。
子供に対する家庭や地域での教育やしつけなども大いに論じる必要があるが、ここでの議論は学校教育のあり方に絞って論じることにしよう。
さて、こういう学校の荒廃を背景に、これは教育基本法に問題があるという議論がなされている。
しかし、先の国会でなされたこの問題を巡る議論を見ると、どうも腑に落ちないものがある。
自民党の議員が持ち出したのは、戦前の「教育勅語」であり、その内容を「実に自由で寛容、平等主義的でかつ謙虚」なものであり、「国民のモラル憲章のような形で、教育勅語を参考にして新しい道徳律をつくれ」とまで賛美している。これに対して、民主党までが「教育勅語」の「現代語訳」を議場で配布する始末である。素晴らしいことを書いてあるのに、この基本精神が現在の教育から失われているのが問題だとしきりに説いている。
自由や平等もなく、子供達は親元を離れて疎開し、日々の食料にさえ不自由をした時代の教育、その根幹であった「教育勅語」という亡霊を持ち出し、これを賛美する精神は、一体どこからやってくるのだろうか?
この議論の旗振り役をついに探し当てた。
「日本会議国会議員懇談会」という議員集団がそれである。自民党、民主党などの議員が集まって、作っている懇談会である。
この会議は、ホームページなども公開しているが、一部の議員を除いて、参加している議員の氏名は一切非公開である。国会の委員会という密室では、なりふり構わぬ言動を行いながら、ホームページでは氏名すら公表できない議員懇談会が、今後の日本の学校教育に良い提案がなし得るとは到底思われない。
この懇談会が、閣僚の靖国参拝、「愛国心」教育の復活、歴史(を捏造する)教科書作り、はては「教育勅語」の復活まで目論む集団であることは明らかであり、それ故に、自らの素性さえ公表できない恥ずべき議員連中であることも明瞭である。
すべての子供は、無限の可能性を持っている。長所もあれば短所もある。一人ひとりの子供の可能性に目を向けて、それを引き出し、伸ばすことこそ、学校教育(や家庭での教育)に求められることであり、けっして「教育勅語」を復活させたり、君が代を歌わせ、日の丸を崇拝させ、愛国心を強制することではない。
子供達の夢や希望が開けるような土壌作りのために声を上げていきたいと思っている。