まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

半日村

2009-07-29 23:21:11 | 日記
サマーキャンプの話、続けちゃいますけど

これは「教会学校」のサマーキャンプなので。
一応「学びの時間」がプログラムに入っています
今回のキャンプのテーマは
『わたしがいのる、あなたがいのる』でした
それぞれ、幼児・小学校低学年・高学年・中学生の
4クラスに分かれ、それぞれ(一応)「講師」と呼ばれるひとの
お話を聞きます
一回あたり30分~1時間足らずの一コマが×3回あり

前にもチラっと書いたように、今回は私、
小学校低・高学年で一コマずつ受け持つように神父さんに言われてて

去年も一昨年も、受け持つことが決まったらわりとすぐ、
簡単な内容のレポートを出すように神父さんに言われたのですが
今年は何も言われなかったので
ちゃんと内容を組み立てないまま、その時間に臨んでしまいました

ま、なんとか無事に終わったんですけど
その、内容をちょっとご紹介~


『わたしがいのる、あなたがいのる』
と私がきいて、まず最初にイメージしたのは。
私が祈っていることに気づいた誰かが、祈り始める‥という図でした

そして。
「祈り」というのは、難しい言葉をブツブツ言うことではなく
心を神さまのほうに向け、神さまに何かを話しかけること。
それは「おはよう」でも、「ありがとう」でも
「ごめんなさい」でも何でもいい
私たちは、スグに「~~が~~になりますように」という『ちょうだい
という願いばかりを「お祈り」と捉えがちだけど

実は、生活の中のちょっとした瞬間に、
神さまに心を向けて話しかける。
→これも全て、『祈り』と言っていいいんじゃないかな?

さらには
神さまがいつも見ていてくださると信頼しつつ、
自分に持てる力を出そうと努力する。
→この、「心から信頼しつつ生活している」こと全てが
 『祈り』だと言ってもいいなじゃないのかな?

っとまぁ
最初に、そんなこんな、私の考える『祈り』について話をしました

さらに、これを踏まえて。
これも広い意味での『祈り』になると思うのよ?と
絵本を読んで聞かせました

題名は『半日村』です


あるところに「半日村」と呼ばれる村があった。
後ろにも前にも高い山があって、昼時のしばらくの間しか日が差さない。


作物は他の村の半分しかとれないし、
人々はみんな、やせていて顔色も悪かった。


村に住む一平は、あることを思い立った。
次の朝起きるとすぐ、一平は山に登って行った。


そして、持っていたふくろに山の土をいっぱいに入れ、
山を降りてきて、前のみずうみにざあっとあけた。


「おら、あの山でみずうみをうめちまおうと思うんだ」
という一平を、みんなはばかにして笑った。
「ばっかじゃないか!?」「気でもちがったんではねぇか?」


ところが。
しばらくすると、一平の真似をする子どもがでてきた。
一人がまねすると、また他の子どもも。
二人が三人、三人が四人に、どんどんまねする子どもが増えてきた。


すると、手伝おうとする大人がでてきた。
道具も貸してくれたし、もっとうまいやり方も教えてくれた。
そうして、大人も子どもも、みんながひまさえあれば
山の土をみずうみへと運び始めた。
大人たちはいつのまにか死んでしまい、一平たちが大人になり。
一平の子どもたちもみな、ひまさえあれば、土を運んだ。


ある朝。
にわとりが鳴くと同時に、村にはぱぁっと日が差し込んだ。
みんな、あはは、あははは、と笑いあった。
山は低くなり、みずうみは半分になって、
山の土でうめられたところは、田んぼになった。
それから、半日村は一日村と呼ばれるようになった。



一平が神さまを信じていたから、こんなことを始めたのか‥?
それは知りません
でも。
この一平の行いは「祈りそのもの」に、私には思えたんです

‥そんなことを子どもたちにも話しました

同じような話だな、と思った『ハチドリの話』もしました。
(これは、南アメリカの先住民に伝わるお話です。)

 森が燃えていました。
 森の生き物たちは、われ先にと逃げていきました。
 でも。
 クリキンディという名のハチドリだけは、
 いったり、きたり、
 くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
 火の上に落としていきます。
 動物たちがそれをみて
 「そんなことをして、いったい何になるんだ。」と
 笑います。
 クリキンディは、こう答えました。
 「私は、私にできることをしているだけ。」

っというこれだけのお話です

このあといったい、どうなったと思う?とみんなに問いかけました。
「燃え尽きちゃった。」
「クリキンディが焼き鳥になっちゃった。」などと
好きなことを言ってましたが‥

その続きは、クリキンディがそれからどうしたか?
クリキンディを見たほかの動物たちがどうしたか?によって、
全然違うんじゃない??
と話をしました

因みに
持っていった『ハチドリのひとしずく』という本は
この深刻な問題でいっぱいの世界で
「私にもできることがある」という趣旨で書かれた本で

「こうなればいいな」という、続きが創作してありました。

 森が燃えているのを見たハチドリは仲間を増やそうと思いました。
 「それぞれが1羽ずつ仲間を増やすように伝えて!」
 2回伝わると4羽が、3回伝わると8羽が、
 10回伝わると1024羽が、20回伝わると100万羽以上が。
 そして40回伝わると1兆羽以上のハチドリがやってきて、
 あっという間に火事を消してしまいましたとさ。


一見無駄に見えることでも、やめないこと、続けることで、
とてつもなく大きな力へと変えていくことができる。

『わたしがいのる、あなたがいのる。』

みんな、食前の祈りのときに口先だけで
「食べることにも困っているひとたちにも、
 食べ物をおあたえください。」
なんて言って、キライなものは残して捨てちゃう、
‥そんなことは、やめようよ??
自分に「できること」なら、がんばることを止めちゃダメなんだよ

っとまぁ
そんなこんな話をしました

だからといって、次の食事で残飯がすごく減った
‥訳じゃ、もちろんありません

でも。
みんな(タとユも含む)の頭の中に、
今回の話が、少しでもひっかっかって残っていくことを‥
祈りたいと思います

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