栃木県の矢板市には市名の由来となった「矢板家」があった。
あったと過去形になっているのは現在の矢板家当主の矢板肇氏は、神奈川県逗子に転居しているからだ。
矢板家第16代当主の矢板肇氏の父である矢板玄の遺言により矢板家の邸宅は矢板市へ寄付され、今は矢板市指定文化財に指定され「矢板市立矢板武記念館」として市の管理下にある。
矢板玄氏は、昭和電工から日本陸軍系列の特務機関を経て、戦後は「亜細亜産業」を設立し自ら社長となった。晩年は矢板信用組合理事長を努め1998年に死去。
「矢板武祈念館」にある矢板武氏は、矢板玄氏の曾お爺さん。
矢板武氏は、日光鉄道や日本最初の私鉄である日本鉄道の役員を務めた。
ちなみに日本鉄道は、上野駅を基点として大宮で分岐し高碕を経由して宇都宮までいたり、それから東北新幹線も停車する那須塩原を結ぶ、当時の私鉄にしては長大な線路を建設し、その一部はJR東北本線の一部になって現在に至る。
この縁もあり矢板玄氏の父親である矢板玄蕃氏などが、東武伊勢崎線となる鉄道建設に従事した。
この鉄道建設は、当時の日本陸軍・関東軍の訓練を兼ねての鉄道敷設であった。
当時は満州地域における南満州鉄道と関連する権益拡大とその維持に多大なる努力が傾注していた時期であり、その後、東武伊勢崎線となる鉄道敷設作業は、日本陸軍・鉄道工兵部隊が中心となって実地訓練を兼ねてのプロジェクトであった。
鉄道工兵部隊は、この訓練後、途満州し関東軍の鉄道部隊として活躍する事となり、敷設した鉄路は東武に払い下げられ現在の伊勢崎線として現在に至っている。
さて、その後、東武伊勢崎線沿線に東京スカイツリーが2012年5月22日に完成お披露目&営業開始となる。これにあわせ東武鉄道は浅草~押上間を3月17日から「東武スカイツリーライン」とするとし、最寄り駅の業平橋駅を「とうきょうスカイツリー駅」に改称すると発表している。