今日は手話研究をしている菊地君の博論審査会だった。
ぼくは手話を学んだことはないけれども、日本手話と日本語対応手話の違い、聾者と聴者の手話には聾者の側からのフォリナートークが現れることなど、彼のおかげで学んだことが多い。学部のときからのつきあいなので、じつは最初からぼくのところで育った初めての博士ということになる。しかし残念ながら手話言語については教えていないわけだから、「育った」というだけなのが残念なところだ。まあ、会話分析のイロハとか、複合移行適格場の話などに食いついてきてくれたのだから、きっかけぐらいにはなったのかもしれない。
手話の研究が次第に会話に向かって言っている中で、彼の研究はまさにその先端のグループの一員の資格があるのだろうと思う。相互行為的な手話研究の展開は、音声言語の研究の発展をみれば、将来は明るいわけだが、そのさらに先を見据える必要はあるのかもしれない。
とにかく、ご苦労様でした。
ぼくは手話を学んだことはないけれども、日本手話と日本語対応手話の違い、聾者と聴者の手話には聾者の側からのフォリナートークが現れることなど、彼のおかげで学んだことが多い。学部のときからのつきあいなので、じつは最初からぼくのところで育った初めての博士ということになる。しかし残念ながら手話言語については教えていないわけだから、「育った」というだけなのが残念なところだ。まあ、会話分析のイロハとか、複合移行適格場の話などに食いついてきてくれたのだから、きっかけぐらいにはなったのかもしれない。
手話の研究が次第に会話に向かって言っている中で、彼の研究はまさにその先端のグループの一員の資格があるのだろうと思う。相互行為的な手話研究の展開は、音声言語の研究の発展をみれば、将来は明るいわけだが、そのさらに先を見据える必要はあるのかもしれない。
とにかく、ご苦労様でした。