フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

Kaufingerstrasseのように

2009-09-10 23:40:57 | Weblog
ザルツブルグにいる間、1日遠出をしてドイツのミュンヘンまで足を伸ばした。

電車でおよそ1時間半ほど。この日も快晴で、着いたのは12時過ぎで真昼の暑さが苦しい。中央駅から徒歩で旧市街に向かう。さすがにバイエルン州の州都で、多人種が勝手な格好でベンチに座ったり、たむろしている。雑然と言ってもよい。ザルツブルグの人口は15万そこそこだが、ミュンヘンはじつに135万人が住んでいる。都会のオリのようなものが立派に通りの匂いをつくっている感じだ。

トラムと車道の大きなサークルをまたいで、噴水を越えると市の門があり、そこをくぐると、あの有名な新市庁舎のからくり時計の広場まで続くKaufingerstrasseになる。ここは車が通らない。おそらくミュンヘンの観光と買い物の一番の通りなのだろう。人通りがとても激しく、ところどころで大道芸や写真のような音楽グループが演奏を試みている。じつにいろんな顔が見えているが、実際はもっと他人種、アフリカ系、中東系、そしてわずかにアジア系の顔立ちが雑踏をつくり出している。

ぼくは多言語使用について論文を書くくらいだから、多文化社会には人並みの(あるいはそれ以上の)関心を持っている。しかし、オーストラリアの歴史の浅い広い空間に展開される多文化主義とちがい、ここでは統合されず分離してしまう様子がやはり目についてしまうのだ。具体的な例が出せないが、さまざまな顔立ちの人々が規範を共有して暮らすというよりも、それぞれが勝手に自分の暮らしを追求しているのではないか?、と疑問が胸に浮かんでくるのだ。ヨーロッパの歴史と市民の暮らしぶりは、そう簡単には外国人には入っていけない。ではどうすればよいか?

広場まで行き着いて、新市庁舎に上る。それから新市庁舎のアーケードをくぐって中庭に行くと、そこは市民のためのセルフサービスのレストランになっていた。外は観光客やさまざまな顔立ちでいっぱいなのに、ここだけはミュンヘンの慎ましい市民がゆっくりとコーヒーを飲んでいるようだった。そんな人たちにコーヒーの入れ方をおしえてもらったり、トレーを戻すように注意されたりしたが、とても優しい言い方だった。その優しさを覚えている。
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