昨日と違って乾燥した空気の中、大学に行き、ヨーロッパの多言語主義について勉強をしていました。
ヨーロッパのCouncil of Europe(欧州評議会)はその昔、Threshold levelを打ちたてて、コミュニカティブ・アプローチを拡げた機関ですが、圧倒的な英語優勢に対して母語以外に2言語を使ったインターアクションが出来ることを言語教育の目標とする複言語主義を推進しています。だからそれはヨーロッパの規範的な「こうあるべき」マルチリンガルの姿を言う言葉です。
一方で、多言語主義は教育からではなく、現実のヨーロッパを反映する記述的なことばとして考えたほうがよいだろうと思います。アムステルダムの社会言語学の会議では多言語主義はさまざまなワークショップや個人発表で取り上げられていましたが、複言語主義はほぼ皆無でした。これは、社会言語学者達が多言語使用の状況そのものの調査に関心をもっていたことの現れなんだろうと思います。私自身も、教育の規範的アプローチ(これは今も昔も花盛り)ではなく、社会言語学の記述的アプローチに興味があるわけです。
あるフランスの学者は、複言語主義は結果的に国家の公用語を取り上げることに精一杯になってしまい、それ以外の地域語や移民の言語を除外してしまっていると述べています。
ヨーロッパのCouncil of Europe(欧州評議会)はその昔、Threshold levelを打ちたてて、コミュニカティブ・アプローチを拡げた機関ですが、圧倒的な英語優勢に対して母語以外に2言語を使ったインターアクションが出来ることを言語教育の目標とする複言語主義を推進しています。だからそれはヨーロッパの規範的な「こうあるべき」マルチリンガルの姿を言う言葉です。
一方で、多言語主義は教育からではなく、現実のヨーロッパを反映する記述的なことばとして考えたほうがよいだろうと思います。アムステルダムの社会言語学の会議では多言語主義はさまざまなワークショップや個人発表で取り上げられていましたが、複言語主義はほぼ皆無でした。これは、社会言語学者達が多言語使用の状況そのものの調査に関心をもっていたことの現れなんだろうと思います。私自身も、教育の規範的アプローチ(これは今も昔も花盛り)ではなく、社会言語学の記述的アプローチに興味があるわけです。
あるフランスの学者は、複言語主義は結果的に国家の公用語を取り上げることに精一杯になってしまい、それ以外の地域語や移民の言語を除外してしまっていると述べています。
現在、フランス、パリの大学にて、言語学を学んでいるものです。
母国語では全く専門外だった、言語学をフランス語で学んでいるので、面白いですがついていくのが大変です。
以前は、日本語で理解しようと思っていましたが、下地がない分時間がかかるので(専門用語など、日本語でも難しいです)今は、フランス語で理解をするようにしています。
それでもたまに、曖昧な部分があるので、きちんと確認したい時があります。
明日もSOCIO LINGUISTIQUEのテストがあり、DIGLOSSIEやCODE SWITCHINGについて、調べていて、こちらのサイトへ到着したわけです。
さすがに専門家の方のおっしゃることは、簡潔でわかりやすいと思いました。
役に立ちました。
またお邪魔させていただきます。
パリで言語学を学ぶというのは素晴らしいですね。
「さすがに専門家」と言われると顔を赤らめるしかありませんよ。どこの専門領域にも入っていない根っからのアマチュアなのだと思います。ただ、私が師事していたネウストプニー先生が、自分が学問上のマイノリティであったおかげでいろんなことを自由に考えることが出来たと書いていたのを自分の励みにしています。
どうぞまた遊びに来て下さい。