RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

小樽というあだなの画家の美の基本はポッテリ

2007-01-28 13:06:45 | こんなんどう?

(春~プリマベーラ~下腹ぽってりが美の基本)

昨日の夜『美の巨人』という30分番組を見た
ボッティチェリの「春~プリマヴェーラ」がテーマだった。
ちょっと興味深い内容だったのでブログ玉手箱に収納。
でおさらいしようっとまずはこの詩

そこでは3人の女神が楽しげに集い
髪を花冠で飾っている
好色な西風の神は
花の女神の後を追い
緑なす草は咲き乱れる

陽気な春の女神も欠けてはいない
彼女は金髪の縮れ毛をそよ風になびかせ
無数の花々でちいさな花冠を結ぶ
草原は花々の美しさで驚くばかり

『ヴィーナスの王国』
ポリツァーノの詩である。

この詩はフィレンツェにルネサンスをもたらした
メディチ家の別荘カレッジの裏庭
(世界中から取り寄せた花々を植えた庭)
で読まれたらしい、この詩と庭を享受した
芸術家や詩人や哲学者たちがうらやましいなあ

そしてその一人であった画家のサンドロ・ボッティチェリ
の超有名な「春」プリマブェーラの絵も
この庭の花々をスケッチして描かれたそうだ。

そしてその中に描かれた、花々をまき散らす花の女神
フローラは、ほかの女神達の顔とはちがってリアルで人間味がある
何故ならモデルがいたのだという、そのモデルと考えられるのが、
彼らのパトロンで豪華王と呼ばれたロレンツォ・デ・メディチの
美男で有名だった弟のジュリアーノ・デ・メディチの恋人
シモネッタ・ヴィスプッチである。
ボッティチェリが描いた「美しきシモネッタの肖像」
(日本の丸紅が所有しているらしいと何かで読んだが今もか?)
の顔がこのフローラに良く似ているのだった
フィレンツェの美の女神と呼ばれる程の美女であったが、
若くして病死し、その後、恋人のジュリアーノも後を追うように
死んでしまう、その死を悼んで、ロレンツォは

『青春は麗しきもあわれ はかなきかな 今を楽しみてあれ、
なにごとも 明日ありとは 定かならねば』

詠みその詩を後に森鴎外が日本語に訳したものが
この有名なゴンドラの唄というのだが


いのちみじかし 恋せよおとめ
  あかきくちびる あせぬまに
  熱き血潮の 冷えぬまに
  あすの月日の ないものを

いのちみじかし 恋せよおとめ
  いざ手をとりて かの舟に
  いざ燃ゆるほほを 君がほほに
  ここには誰も 来ぬものを

いのちみじかし 恋せよおとめ
  波にただよう 舟のように
  君が柔手(やわて)をわが肩に
  ここには人目の ないものを

いのちみじかし 恋せよおとめ
  黒髪のいろ あせぬまに
  心のほのお 消えぬ間に
  きょうはふたたび 来ぬものを

となったのだった
ねっ興味深い話でしょこれって、
まあ唄拾いが趣味のるるの為の番組でした
でも
作詞 吉井 勇
作曲 中山晋平
だよね

塩野七生さんの著作には
「このロレンツォ作の「バッカスの歌」は
イタリア中で流行したようだが、最後までヴェネツィアの
謝肉祭では歌われていたというこの詩を上田敏氏か誰かが
ヴェネツィアに旅し、それを帰国後に語ったのが
歌人の吉井勇にヒントを与え、
例のゴンドラの唄が生まれたのではないか。
「ゴンドラの唄」と題されたのもヴェネツィア経由の証では
ないかと推察している。」と書かれているらしい。
この誰かが森鴎外?実際のところはどうなのかなあ。

ルネサンスは新プラトン主義
四世紀、欧州にキリスト教が広まり、
古代の神々は異教の神として封印された、
その古代ローマを蘇らせることが
文芸復興ルネサンスにつながるのだった
プリマブェーラの女神達は美しい、
特に下腹周りの体型がプックリして親しみがもてる、
美の基本は腹周りなりきと認識する(^_^)vるるであった。


(ビーナスの誕生/ボッティチェリ)
サンドロ・ボッティチェッリ
(Sandro Botticelli, 1444/1445年 - 1510年5月17日)


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