◎黒川真頼、アイウエオの起源を語る
先日、某古書店の店頭にあった見切り本の中から、『国文沿革史』という和綴の本を拾い上げた。三〇〇円であった。奥付がないので、発行年、発行所等は不明だが、その内容から、「国語伝習所」が発行していた教材を合綴したもののようだ。
最後のほうに、「本所講師落合直澄君は去る一月六日死去せられたり」とある。国学者の落合直澄が亡くなったのは、一八九一年(明治二四)であるので、この本が、そのころに作られたものであることは間違いない。
本日は、その合綴本の中から、黒川真頼〈マヨリ〉の「本邦言語の話」という文章を紹介したい。変体がなは普通のひらがなに直し、句読点を追加してある。
本邦言語の話 文学博士 黒川真頼
今日は私は、本邦言語の話と云ふ名目を設けて、そうしてお話をそやうと思ひます。当校が国語伝習所でありますから、夫〈ソレ〉に基いて言語の話を致します。
【中略】夫れ〈ソレ〉で私は、これに就いて五十音の話しの大要を致そうと思ひます。併し此の五十音の話しは、中々多くありますが、其事を一々話しをして居りますと、今日は是れより午餐を食べて、学士会院の演説をしなければなりませんから、夫故〈ソレユエ〉長く話して居られませんから、ホンの大要をお話し致します。
五十音は諸君も御存じの通り、音の数が五十ありますが、是れは何時頃〈イツゴロ〉出来たかと云ふに、どうも分らんと云ふ説、是れは成程分らん、私にも分からんが、此の五十音を以て言語を調べ出したのは何時頃が一番古いかと云ふに、なんでも私の考へでは、源平以前のことと思ふ。何故なれば、此の五十音を以て我邦の語格を論じたものは、顕昭法師の袖中抄〈ショウチュウショウ〉と云ふものがある。これは、言葉のことや何かを論じたもので、アイウエオと云ふやうなことを書いて、そうして言葉の変遷や何にかを論じてありますが、そう云ふことを論じたのは、何んでも顕昭あたりが初めてであらふと思ふ。或は其の前にあるかは知りませんが、書冊に見えて居る処では、袖中抄などが初めかと思ひます。
さて此の五十音はどう云ふものであるかと云ふに、是れは支那伝来のものではない。全く日本で拵へた〈コシラエタ〉ものなんです。日本で拵へたものでありますが、私が一番古く見ましたのは、丁度元慶の頃〔八七七~八八五〕にて陽成〈ヨウゼイ〉天皇の時でありますが、此の陽成天皇の元慶の時分に、比叡山の坊さんの安然〈アンネン〉和尚、此の安然と云ふ坊さんは中々学者でありましたが、安然和尚が天竺の悉曇〈シッタン〉より引き出して、アイウエオと云ふことを云ッて居る。併し書き方が妙な書き方です。
阿、伊、汗、□、鴎、
コンナ六ッかしい字、して見れば日本の五十音は全く悉曇から起ッて来たに違ひない。日本で見た処では、是れが一番古い。【以下は次回】
文体からして、講演の速記録であることは明白である。本中、□の部分は難字で、口偏に翳という字である。
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