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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

寺島の八つ切事件と凶器に関する鑑定

2014-02-06 02:59:21 | 日記

◎寺島の八つ切事件と凶器に関する鑑定
 
 本日も、『捜査十談義』から。本日は、その中から、元警視庁刑事部捜査第一係長の多田羅■志〈タタラ・ヒロシ〉の、「捕り方の苦心」という文章を紹介してみよう。プレビューで、■の字がでないが、「手偏に君」という字である。

 十、捕り方の苦心   副検事 多田羅■志
【前略】今迄の例を見ますと、事件が混乱して来ますと、つい色々なことに気が迷つて参ります。すると遂に、原則に反することをやる、様になるものであります。一例を申しますと、八つ切事件。――それまでに、首なし事件はありましたが、体を八つ切にして、捨てたもめのありませんでした。ところが、その寺島〈テラジマ〉の溝川の中で発見されたものは、首と腰の部分だけでありましたので、新聞は、八つ切事件と言つて大々的に報道したものです。――これは、仲々猟奇的な事件でありましたので、我々も色々の捜査方針を立てたのであります。【中略】
 鑑定の事に関しますが、科学捜査の今日でありますから、その道の専門家の、知識意見と言うものを尊重し、利用する事は大切な事で、それが、たとえどんな身分の者であつても、大切にする必要があります。又八つ切事件の例をとりますが、此の時に死体を切つたのは、果してどう言いう鋸〈ノコギリ〉であろうか、金属を切るものであろうか、木を挽く鋸であろうか、或いは他の鋸であろうかと言うことが我々の議論になりました。試みに、場に行つていろんな鋸で切つて見たところが、どれでも一応は切れました。この事が、新聞に洩れたものですから、間もなく「他の事はわかりませんが、たゞ私は、鋸に関することなら、なんでもわかります」と言つて現われた者がありました。この人は、長く木賃宿を転々として、鋸の目立専門にやつて居る者でした。試みに彼に場でやつてみた、きり口を見せたところが、それが百発百中でありました。これには驚きました、それで我々は、切断された死体の実物について、鑑定させたところが、それは木を挽く鋸でやつたもので、而も鋸を使う職業に従事して居る、腕利きの者の仕業〈シワザ〉である、とまで断言したのでありました。あとで犯人を捕えて、調べてみると、彼は指物師で、その右に出たものがなかつた、程の鋸の使手〈ツカイテ〉である、と言うことがわかつて、今更目立屋の鑑定に驚嘆したのであります。それですから、専門家の言を聞くと言うことは、捜査において特に必要なものであります。【後略】

 文中に、「たとえどんな身分の者であつても」とあるが、これは、情報を提供したのが、「長く木賃宿を転々と」していた渡り職人だったことに対応している。
 なお、ここに出てくる「八つ切事件」は、一般に「玉の井バラバラ殺人事件」と呼ばれているものである。ウィキペディアの「玉の井バラバラ殺人事件」の項は、この事件について、「1932年(昭和7年)3月7日に東京府南葛飾郡寺島町(現在の東京都墨田区)で発覚した殺人事件。この事件によって、殺害された被害者の遺体を切り刻む猟奇殺人の名称として『バラバラ殺人』が定着した」とある。
 ウィキペディアの説明の後半に、この事件によって、殺害された被害者の遺体を切り刻む猟奇殺人の名称として、「バラバラ殺人」が定着したとあるが、典拠がほしい。この事件のあと、一九三四年(昭和九)に、水上警察所管内で、「こま切れ事件」という事件が起きているが、この事件の名称は、当時から今日まで変わっていないはずである。また、上記の多田羅の文章を読むと、事件に関わった関係者の間では、戦後になっても、なお、「寺島の八つ切事件」という名称が使用されていたようだ。
 ちなみに、上記ウィキペディアによれば、「2011年現在、事件で使用されたノコギリは、警視庁本庁内警察参考室に展示」されているという。

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