礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昔の事を知らないのは誇りにならない(幸田露伴)

2014-06-06 05:30:00 | 日記

◎昔の事を知らないのは誇りにならない(幸田露伴)

 昨日の続きである。清水文弥の『郷土史話』(邦光堂、一九二七)の巻頭に置かれている、作家の幸田露伴による「序」の後半である。「昔の事はまるで知らぬのが誇りになる訳でも無い」という一句は、露伴の歴史観を示すものであり、かつ、この本に対する推辞にもなっている。

 且又幕府末造〔末世〕の際は、考ふべきことも甚だ多いのである、慕末は幕府政治の崩壊を余儀なくされるほど糜爛〈ビラン〉したのであるが、一方には又三百年の太平を維持するに足るだけの或者が存在して居たからこそ三百年の太平が持続されたであつた。それで明治以前の数十年には一般は衰頽腐敗したには相違無いが、猶ほ長期の太平を支へて来た所以のものが部分的には存してゐたのである。それらをも考ヘずに一切を抛棄するやうな料簡を取つて、何でも彼でも〈カデモ〉旧い事は取るに足らぬといふやうに思ふのは、玉石倶に焚くと云ふもので、感心したことでは無い。三百年の太平は、腐敗をも醸し出したろうが、他の一面には化醇の作用をも做し遂げたに疑ない。国内だけ水入らずに、善悪利弊の鍛錬陶冶が行はれて、そして社会の安定、生活の平穏、思想の順当、感情の優美等が煉り出され築き上げられたことも争はれまい。日本人として日本人らしい発達をなし進歩を遂げたことも、三百年の太平と云ふ坩堝の壊れない間に做されたと看るのも、全然無理とは云はれまい。日清日露の戦争に、世界の他の国民が驚嘆した日本人の精神力といふものは、むしろ明治以前の坩堝の中から出た材料に、明治の文明の坩堝が加へられてそして立派な形を成し立派な用を為したと解しても間違つて居らぬかも知れぬのである。
 旧いことの回顧といふものは、やゝもすれば詰らぬ結果又は無意義に終るものであるが、此の二つの意味からして、此書の如きは、今日の人々の一読と三省とを値するであろう。著者清水老人は幕末に青年であり、明治に壮者であり、大正に及んで老人ではあるが、全国に亘つての旅行者であり、観察者である野人的風格を有する一種の人である。其の語るところが、時に或は学者や識者から然様〈サヨウ〉ではないと思はるゝやうなことは有らうとも、著者は皆これを自己の実際の眼で視、身で覚え、そして心に映じ浮べたところから取り出してゐるものである。
昔の事はまるで知らぬのが誇りになる訳でも無いから明治以前と今日とを、今の人々は此書によつて比較して見るのも、興味の有ることでもあり、利益の有ることでもあろう。
 昭和二年新春   露 件 道 人 識

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幸田露伴、「歴史」を語る | トップ | 清水幾太郎の運命を決めた関... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
江戸時代を悪く言うのは (さすらい日乗)
2017-12-28 15:00:51
「水戸黄門」などの時代劇で、江戸時代を悪政の時代とするのは、間違いです。本当に、徳川幕府が悪政だったとすれば260年間も続かないでしょう。

時代劇というのは、実はサイレント映画の末期、左翼的な映画が作られ政治批判をし、警察に弾圧されました。
その時に、時代を変えて権力者批判をしたのが時代劇の始まりです。
悪代官や悪徳商人は、警察と資本家のことです。
今では水戸黄門を真実だと思う人もいないでしょうが。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事