礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

管絃の書では、「阿宇伊乎衣」(アウイオエ)

2014-02-08 05:33:14 | 日記

◎管絃の書では、「阿宇伊乎衣」(アウイオエ)

 昨日に続いて、黒川真頼の「本邦言語の話」を紹介する。出典は、『国文沿革史』(一八九一?)。昨日、紹介した箇所のすぐあとから。変体がなは普通のひらがなに直し、句読点を追加してある。

 夫から降ッて、清和天皇の貞観〈ジョウガン〉十九年〔八七七〕正月に記したものが残ッて居る。是れが五十音でありますが、矢張り安然の記るしたものでかう云ふ字が書いてある。
 アイウ●オ
 是等を初めとして、真言、天台などの宗旨の上に悉曇を論じたものには幾くらもある。夫れから又、此の時分には、管絃、即ち笛を吹くとか琴を弾くとか云ふやうなことが大きに行れたが、其管絃の書などにも五十音を以て音律を論じた者が沢山ある。是等は、アイウエオと、今のやうな順ではない。管絃の書には、かう云ふ風にかいてある、ものがある。
 阿、宇、伊、乎、衣、
 これは六ッかしい。アウイオエ、中々六ッかしい。併し、律の変り塩梅〈アンバイ〉が、どうも此の方がよいと見える。夫から其の次ぎは、五十音の横の排列がアカサタナハマヤラワではなく、コンナ塩梅の排列。
 アカワサヤハマラタナ
 かう云ふ妙な排列。矢張り音律の都合がよいから、かうしたものと見える。ドッチにしても同じではあるけれども。
そこで、本居〔宣長〕翁が考へた音の軽重を論じたものにも云ッて居るのに、アイウエオの軽重の順をつけて、軽い音を先きに云ッて、重い音を後とで云へは、軽重はかう云ふ風になると云はれた。
 イエアオウ
 成程さうでありませう。軽重を云へばそうでありませうが、イが一番軽るい、其の次ぎはエ、夫故イキシチニヒミイリヰが一番軽るくして、其の次ぎには、●エケセテネヘメエレヱ、其次ぎはアカサタナハマヤラワ、是れが重いと軽るいの中央。そこで、オコソトノホモヨロヲは重い方、ウクスツヌフムユルウ、これが一番重いと、本居翁は斯様〈カヨウ〉に云はれました。併し是れをアイウエオと云ひ始のは、知らず知らずソウなッたのかは知らんけれども、私は是れは原と〈モト〉天竺の悉曇から出たことと思う。悉曇には、日本てアイウエオを母音とするやうに、かう云ふ工合〈グワイ〉に書いてある。
 梵字
(梵字ハ略ス)
 コンナ監梅。
 梵字
(梵字ハ略ス)
 夫れから悉曇では、アン、アクと、かう云ふ声を教ふる。此の順はアー、イ、イー、ウ、ウー、エ、エー、オ、オー、アン、アク、と、かう云ふ順序である。これで、日本のアイウエオは、此の天竺の悉曇に由ッたと云ふことが分ります。【後略】

 文中、●は、カタカナの変体仮名。「エ」と「ヘ」を足して二で割ったような形の字である。また、「梵字ハ略ス」とあるのは、このコラムで略したわけではなく、印刷物になった時点で、略されている。
 なお、黒川真頼のいう「管絃の書」というのは、鎌倉時代の楽書『管弦音義』を指しているような気がするが、確認はしていない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 黒川真頼、アイウエオの起源... | トップ | 落合直文、善美なる日本文を論ず »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事