礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

内村鑑三と正宗白鳥

2023-01-06 02:39:16 | コラムと名言

◎内村鑑三と正宗白鳥

 作家の正宗白鳥(一八七九~一九六二)は、植村正久(一八五八~一九二五)と内村鑑三(一八六一~一九三〇)といったキリスト教指導者から、大きな影響を受けた。臨終の際には、植村正久の娘である植村環牧師(一八九〇~一九八二)に葬儀を依頼したという。
 その正宗白鳥が、内村鑑三不敬事件について触れている文章を見つけたので、本日は、これを紹介してみたい。『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)の冒頭にある「天皇制下・三代に生く」と題された文章で、「憲法発布と教育勅語」、「薩長の企てた天皇尊崇思想」、「内村鑑三の不敬事件」、「文壇人の忠君愛国観」の各節からなっている。ここでは、「内村鑑三の不敬事件」の節を紹介する。

   内村鑑三の不敬事件
 ところで、教育勅語で問題を起したのは、内村鑑三である。針小棒大に伝えられているが、私などには回顧的興味が豊かなのだ。アメリカ帰りの内村は、あちらこちらの基督教主義の学校の教師として糊口の資を得ていたのだが、狷介〈ケンカイ〉な彼はどこででも、経営者と衝突して、ようやく第一高等学校の教師として、安固な地位に有りついたばかりのところであつた。受持ち課目は西洋歴史であつたらしい。或日帝大総長の濱尾新〈ハマオ・アラタ〉が、教師の教授振りを参観に来た時、「どういう方法で歴史を教えているか」と訊くと、内村は直ちに「クリスチャン・メソッド」と答えたので、濱尾は啞然としたということだ。
 さて、この高等学校でも、教育勅語捧戴式があつた。教師が一人ずつ、その前で恭しく礼拝するのであつたが、内村は礼拝しないで素通りした。これが不敬事件の正体なのである。威儀を正した衆人環視のうちの異例な行動だから、森有礼の曖昧模糊の不敬事件とは異つている。問題になるのは当然である。直後の権威冒瀆である。ところが、一高の学生までが内村の不敬を憤つて、その住宅の窓へ石を投付けたりしたそうだ。内村の西洋歴史教授は無論面白かつたに違いないので、青年学生も敬意を寄せていたのであろうが、それにも関わらず、国家主義を無視するような彼の行動は許し難かつたのであろう。マルキシズム輸入以後であつたら、青年学徒は、反逆的傾向の教師に味方したであろうのに、当時はさすがの一高の学風も古くさかつたのか。
 内村は、世上の非難囂々〈ゴウゴウ〉のうちに腸チブスに掛つたり貞淑の細君は看病疲れと貧乏のために病死したりした。信念のための悲劇人と見做してもいゝ。殉教者としてもいゝ訳であるが、必しも徹底したとは云い難いので、そこに人間性の発露の見られるのに、私は同感するのである。内村は後日学校と妥協して、知友が彼に代つて、勅語礼拝をしたのであつた。内村自身は、教育勅語は形式的礼拝よりも、勅語の教えを守るところに意味があるのであると自己弁護している。世人は型の如き礼拝はするが、実際には勅語の教えに背いた行為をしているではないか。この方が不忠であると云つたりしている。
 内村不敬事件にちなみて、井上哲次郎は、「教育と宗教の衝突」と題して、キリスト教の所説が教育勅語の教えに相違しているのをこまかに指摘して、或教育雑誌に連載した。井上は、曲学阿世の学者として有名であつた。当時の権威に媚びて、キリスト教をこきおろして弱いものいじめをやつたのだ。キリスト教徒は、戦々兢々として自己弁護に努めた。高橋五郎という雑学者は、キリスト教に同情のある徳富蘇峰主宰の雑誌「国民之友」に於て、「偽哲学者の曲論」として、何回も続けて、井上説を反駁した。井上も衒学を極め、独逸の哲学者と懇意であつたことなどを吹聴していたが、高橋もギリシア、ラテンからはじめ、欧洲各国の文献を例證し、衒学的筆法を恣まゝ〈ホシイママ〉にしていた。年少にして「国民之友」愛読者であつた私は、高橋の論文をも熟読して、よくは分らなかつたが、たゞ聖書の教えは教育勅語に少しも違反していないと云うことだけは薄々分つた。
 ところが、私は成長して、聖書を読み、哲学文学或は西洋史の書籍をも手あたり次第に読むに連れて、曲学阿世の綽名〈アダナ〉を持つている井上哲次郎の所説が必しも不当ではないと思うようになつた。高橋説こそ却つて故事つけではないか。教育勅語と聖書とが衝突しないというのこそ可笑しい。聖書と教育勅語と背丈〈セイタケ〉くらべをさせようというのか。純真のキリスト教徒が血涙をそゝいで読んで、心魂を養う聖書からの印象が私などが小学校時代に、小学校教師の教育勅語講釈からから受けた印象と同様なのであろうか。聖書を排斥するしないは別として、この書物の説くところは、一時の思い付〈オモイツキ〉ではない筈である。聖書もキリスト教も、世界のいろいろな物と衝突している筈である。キリスト教徒の立場から云うと、衝突しているところに永遠の真価がある筈である。教育勅語が、内村が濱尾に向つて云つたような「クリスチャン・メソッド」で起草されていないことは明らかである。
 キリスト教は苟烈な宗教で、信者に殉教を強いるような趣きがあるが、内村は敢てしなかつた。しかし、後日、私が早稲田に学んでいた自分、内村の文学講演を神田の青年会館に聴きに行つた時の記憶によると、カーライルか何かの講演の間に、内村は、「自分は本郷の古本屋でカーライルの『クロンウェル伝』を一円で買つた。それを読んで、王侯権威に屈しまいと覚悟した」と呟いて苦笑した。それから、ホイットマン、ローエル、ブライアンなどアメリカの詩人の詩の雄大な事を説き、「アメリカは頭に帽子を載せていないからいゝ。それで詩も雄大である」なんて云つて、笑いを洩らした。聴講者は僅か数十人で、世間に公けにされないですんだが、こういう余語を耳を留めたのは私一人であつたのであろう。〈三〇~三一ページ〉

 正宗白鳥にとって内村鑑三は「師」ともいうべき存在だが、その内村に対して正宗は、「狷介な彼はどこででも、経営者と衝突して」云々という辛辣な言葉を放っている。正宗もまた、狷介な人物だったようである。
「高橋五郎という雑学者」が出てくる。高橋五郎については、詳しく調べていないが、カーライル『仏国革命史』などの翻訳書があるようだ(一八五六~一九三五)。

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