礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

先日は遠路御来訪かつ御高話拝聴(金子堅太郎)

2023-01-24 04:24:43 | コラムと名言

◎先日は遠路御来訪かつ御高話拝聴(金子堅太郎)

 今月一二日に、「金子堅太郎と加藤寛治」というコラムを書き、その中で、飯田直輝氏の「金子堅太郎と国体明徴問題」(『書陵部紀要』第60号、二〇〇九年三月)という論文を引用した。論文中に、「金子は四月一日付加藤宛書翰で述べているように」とあった。この「書翰」は、金子堅太郎が、一九三五年(昭和一〇)四月一日付で加藤寛治に送ったもので、伊東隆ほか編『続・現代史資料 5』〔海軍 加藤寛治日記〕(みすず書房、一九九四)の「Ⅲ 書翰」に収録されている。
 本日は、この四月一日付書翰を読んでみよう。

  44 金子堅太郎書翰    [昭和10年4月1日]

拝啓 先日は遠路御来訪且御高話拝聴忝〈カタジケナク〉奉存〈ゾンジタテマツリ〉候。偖〈サテ〉天皇機関説に付愚見概略記述申し候間〈アイダ〉、御贈り申上げ候間御一覧被下度〈クダサレタク〉候。本問題は今日の如き喧敷〈ヤカマシク〉相成候上は枢密院官制第六条に依りて御諮詢相成、将来の禍根を一掃するの必要有之〈コレアリ〉候。新聞之報するが如く司法、内務両省に於て瀰縫策〈ビホウサク〉にて解決するものとは不存〈ゾンゼズ〉候間、何卒十分其方針を取る様御尽力被下度候。匆々頓首  堅太郎
  四月一日 
 加藤大将閣下

「遠路御来訪」とあるが、これは加藤寛治が、神奈川県葉山町の金子邸まで足を運んだことを示している。「御高話拝聴」とあるが、実際は、金子堅太郎が、「天皇機関説」問題について、持論を説き聞かせたのではないだろうか。
 この書翰には、タイプ印刷された金子の「意見書」が同封されており、「44 金子堅太郎書翰」には、その意見書も掲載されているが、その紹介は後日。
 当ブログでは、このあと、しばらく、金子堅太郎について、あるいは「金子堅太郎と加藤寛治の関わり」について、述べてゆくことになろう。

*このブログの人気記事 2023・1・24(9位の調布の一住民は久しぶり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする