礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

威張るならば外国にありて外国人の前に威張るべし

2023-01-04 02:03:40 | コラムと名言

◎威張るならば外国にありて外国人の前に威張るべし

 昨日は、『失望と希望』(羽田書店、一九四九)所収の評論「時勢の観察」から、「自序」を紹介した。この評論は、四四ページに及ぶ長文なので、全文を紹介することは難しい。以下に、そのほんの一部を――「その三 自讃的国民」の前半部分を紹介しておきたい。

   その三 自 讃 的 国 民

 個人の品性において、自讃ほど見苦しきものはなし、社会は自讃の人を信ぜず、君子は深く自讃を慎しむ、自讃は空乏浮虚の結果なり、深淵はさわがす、麒麟【きりん】は角〈ツノ〉に肉ありて猛【たけ】き形をあらはさずとかや、自讃は謙遜の正反対なり、謙は黙し自讃は饒舌【しやべ】り、謙は公見を憚り〈ハバカリ〉自讃はさかんに新聞紙に広告す、自讃の人を認めよ、高慢の人なり、虚栄を好む人なり、偽善者なり、パリサイ人は自讃の人なりし、ネロ帝も自讃の人なりし、英雄に自讃なし、自讃は小人と悪魔の業なり。
 個人において然り、個人の集合体たる社会またはinstitution〔組織〕においてもまた然り、自讃する商会の広告を信ずるなかれ、そは彼等は偽物【にせもの】をひさぐものなればなり、自讃する学校に学ぶなかれ、そは健全なる徳義心の、その中に存することなければなり、自讃自讚する新聞紙を読むなかれ、そは彼等は虚偽を伝ふるものなればなり、広告と自讃とに依らずして、米国の読書社会はホートンミフリン商会の出版物に劣作なきを知る、設立以来未だかつて一回の新聞広告に頼りしことなきアマスト大学は、米国における最も高尚純潔なる学校として認めらる、『タイムス』新聞は自讃に依るにあらずして、単に正直と勉強とに依りて今日の勢力を致せり、今は自讃と広告の世なり、個人と会社と政治家と新聞記者と博士と商売人とはみなことごとく広告を利用す、曰く、処世の秘訣は先づ第一名【な】を売るにありと、曰く、某は名を売りてすでに財産を作れりと、ああ君子国、ああ 仁義国、広目【ひりめ】屋の繁昌を見よ、広告料の値上げを見よ、而して余輩に日本君子国の證跡を示せよ。
 自讃すでに個人ならびに個人の集合体において非徳なり、国家においてまた然らざらんや、吾人が常に中国人を賤しむは、彼等の国家的自讃の故にあらずや、曰く、大清国【だいしんこく】、曰く中華の民と、吾人は常に彼等の井底【せいてい】の蛙的無識を嘲り〈アザケリ〉、彼等の誇大を笑ふにあららずや、外国人の眼よりすれば中国人の国自慢【くにじまん】ほど見苦しきものはなし。
 中国人において然り、日本人において然らざらんや、中国人の国自慢にして賤しむべくんば日本人の国自慢にして敬すべきの理あらんや、国自慢もし愛国心ならば、中国人は最もうやまふべき愛国者ならずや、然り、余輩は信ず、中国人が国自慢を以て世界の侮慢〈ブマン〉を招きしが如く、日本人もまた同一の理由に由りて宇内【うだい】の信望を失はんとしつつあることを。
 否なこれにとどまらず、中国人の国自慢に敬すべきところあり、彼等は自国において誇るのみならず外国においても彼等の虚栄を張ることを憚らず、中国人はニューヨークにおいてもロンドンにおいても中国人なり、中国人は国民としての虚栄家たるのみならず一個人としてまた然り、中国人の自讃に勇気あり、確信あり。
 日本人の国自慢に至りては全く然らず、東京における日本人の国自慢とロンドンにおける彼の国自慢とに大差別あり、東京において傲然として日本国の武と文とを讃賞する者は、必ずしもベルリン、ニューヨークにおいて同一の讃賞を述べたつる者にあらず、東京において宗教と教育との衝突を述べし愛国哲学者は、欧州婦人の前において日本婦人の欠所を摘発せし者なり、日本の「愛国者」に「家【うち】の前のやせ犬」的の行為多きは余輩のしばしば目撃せしところなり、愛国もしとなふべくんば、何ぞこれを内国同胞人の前においてせずして外国異邦人の前においてせざる、余輩の見んことを欲するものは、ベルリンにおいてドイツ文を以て出版されし『宗教と教育の衝突』論なり、かつてビーチャー氏がリバープールにおいてなせしが如き、ロンドンにおける日本人の英人駁撃【ばくげき】演説なり、威張【ゐば】るならば外国にありて外国人の前に威張るべし、日本人の前に日本国を誇る、これをなんもし大和魂と称するならば、大和魂とは如何に卑怯未練なるものぞ。〈八八~九〇ページ〉

 ここでは、「中国人」という表現が使われているが、初出においては「支那人」だったと推定した。本来ならば、国立国会図書館に赴き、『国民之友』の一八九六年(明治二九)八月号を閲覧すべきところだが、それは、まだできていない。その代りに、内村鑑三著『警世雑著』(民友社、一八九六年一二月)を、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧してみた。この本には「時勢の観察」が収められている。当該箇所を確認すると、やはり「支那人」という表記が使われていた(一六ページ)。
『警世雑著』に収められた「時勢の観察」と、羽田書店版『失望と希望』に収められた「時勢の観察」とを比較すると、表記や記述において、若干の異同がある。これは、支那人→中国人という異同に限らない。羽田書店版『失望と希望』では、編者・内村美代子による「校訂」が施されたのであろう。
 ちなみに、『警世雑著』の奥付によれば、一八九六年(明治二九)一二月の時点における内村鑑三の住所は、「名古屋市東瓦町」である。

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