礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和天皇と七元老

2023-01-08 03:04:09 | コラムと名言

◎昭和天皇と七元老

『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)から、鈴木たかの回想記「天皇・運命の誕生」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、次のように続く。

   感泣した明治の元勲
 暫くたつて日露戦争も済み論功行賞がございまして、私ども両殿下のお供で御所へ出ていましたら、「きようはおじじさまお忙しいから皇后さまの方へ先へ伺うように」ということで、お人形の間へ参りました。皇后さまに拝謁になるんで、人形の間で遊んでいたら、そこへぞろぞろつと七元老(伊藤博文山縣有朋松方正義井上馨さんなど)がみんな金ピカの盛装に勲章をつけて入つていらつしやいました。あんまり立派な様子で出てこられたものですからちよつと私どもびつくりしまして、向うの方へ参ろうかと思つていましたが、秩父宮様と高松宮さんはすぐ向うの方へ行つておしまいになりました。ところがお上〔昭和天皇〕だけはちよつと立ち止つてごらんになつておられました。 
 すると伊藤さんが側〈ソバ〉に来られて、「皇孫殿下にいらつしやいますか」といわれました。「さようです。」そこでごあいさつを遊ばしたんですよ。殿下は「誰か?」つてお尋ねになられました。
「私は伊藤でございます。きようはおじじさまから結構な頂戴物をいたしましたので御礼に参りました」。「そこにいるの誰か」つておつしやるので、つぎつぎに山縣元帥からずつと七元老の名前を伊藤さんが申し上げたんです。
 殿下は「そうか」つておつしやつていちいちごらんになつておいでになりました。みんな大きな方の中に水兵服を召した小さな殿下なのに、やつばりプリンスとしての態度がご立派なものですから伊藤さんが非常に喜ばれまして、「ああ、きようは良い折にお目にかかりました」と喜んで、「あとのお二方様もどうぞこちらへいらしつて頂きとうございます」といわれたので、それからお二方をお連れしまして、七元老がごあいさつなさいました。
 ちようど皇后さまに御拝謁までちよつと間がありましたので、迪宮〈ミチノミヤ〉さまが「勲章がたくさんあるが、きようはどれを頂いたのか」とおつしやる。
伊藤さんが「これを頂きました。まことに有難いことで」と申されますと、「そのほかに着いてる勲章は何か」つてお尋ねになる。たくさん着いておりましたのですよ。「これは外国の勲章でございます」とかいちいち申し上げまして、山縣さんなどはびつくりしていらつしやるんです。
 やつぱり将来のおありになるお方は違うと思われたのでございましよう。私どももお側で拝見していて涙がこぼれるようでございました。それがまだお六つぐらいの時ですからちよつと普通の子供ではおどおどしていて出来ませんが、既にお生まれ遊ばした時から王者の御風格が備わつていたんでございましよう。【以下、次回】

 最初のほうに、「両殿下のお供で」とあるのが、あとの記述からすると、「三殿下のお供で」とあるべきところであった。
 また、「七元老」とあるのは、伊藤博文・山県有朋・松方正義・井上馨・大山巌・桂太郎・西園寺公望の七人を指しているのであろう。この七人に、黒田清隆(くろだ・きよたか、一八四〇~一九〇〇)、西郷従道(さいごう・つぐみち、一八四三~一九〇二)を加えた九人を「九元老」と呼んだことがある。このうち、黒田清隆と西郷従道は、いずれも日露戦争前に物故している。

*このブログの人気記事 2023・1・8

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする