礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

加藤寛治軍令部長の上奏をめぐる問題

2023-01-12 02:38:33 | コラムと名言

◎加藤寛治軍令部長の上奏をめぐる問題

『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)から、鈴木貫太郎の回想記「嵐の侍従長八年」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、次のように続く。

  政 争 と 上 奏
 昭和五年〔一九三〇〕軍縮会議がロンドンで開かれることになり、若槻礼次郎氏か使節で行かれ、海軍から財部〔彪〕海軍大臣が行くことになつた。その間出先と海軍との間は始終連絡していた。当時加藤寛治〈カトウ・ヒロハル〉君が軍令部長、濱口雄幸〈ハマグチ・オサチ〉総理が海相を兼任していて軍縮条約の兵力量問題に関しては出先とこちらとの間には相当話し合いが付いていた。
 ところが或る日、その条約のことに就いて濱口君から上奏するという申し出があつたので、私は早速陛下に御都合を伺い、明日何時という御指定があつた。そこへ軍令部長からも何か上奏を御願いするということを〔奈良武次〕武官長の方に云つて来た。それで先に御指定になつた総理大臣の拝謁の後に軍令部長の上奏のことになつた。
 その前日山梨〔勝之進〕海軍次官が私の官舎に来て、ロンドン条約に就いて非常に混乱が起つた。それで何でも加藤軍令部長が総理の反対上奏をするという噂があることを聞いた。その時は、反対上奏なんてそんな事のあろう筈がない。何かの噂でしようと云つて、あまり取り上げなかつた。ところが翌日、その時の話のようにどちらも上奏を願つて出ている。これは変だなと考え、どういう事なのか軍令部長に会つて聞いて見ようと思つて、軍令部長に官舎に来て貰い、「明日君は上奏されるという事だが、一方では総理からも上奏する。話に聞くと君は反対上奏をするというが、そういう事があるのか」と聞いたら、それは実はそうだと云う。「それは変ではないか。兵力量の事で軍令部長と総理が違つた事を上奏するのは私には判らない。兵力量の決定は軍令部長の任務じやないか。軍令部長がいかんと云つたら総理はそれに従わねばならぬ。自分が決めた兵力量を総理に上奏さしておき、それを又いけませんと上奏するのは矛盾のように考えるが君はどう思うか。兵力量は元々政府が決定するのではなく、軍令部長が決定し、それに政府が従うのが順序で、兵力量は軍令部長の決心如何に関わる。私は軍令部長の時〔全権委員〕齋藤實さんがジュネーブに行かれて、兵力量を出先で勝手に决めたから海軍大臣を通して反対だと電報を打つて取消したことがある。総理が軍令部長の決めた事を上奏し、軍令部長が反対上奏をしたら、陛下はどうなさればいいのか。この問題は上奏し放しとはいかん問題だ。上奏から引いて各々の責任が生ずる。よくその辺を考えてはどうか」と加藤君の行動に過ちがないように忠言した。すると「成程そうだ。よく判つた。早速これから武官長の所に行つてお取下げ願う」と云つて帰つて行つた。それで上奏は中止され、この問題は一段落ついてしまつた。
 これが世に私が上奏を阻止したという風に宣伝された事柄であるが、軍部の上奏は侍従武官府の取扱いで、侍従長としては軍部の上奏には関係がないのだ。
 やはりこの時も政友会と民政党の權権力争奪の行動があつたように思う。そういう風に事柄を紛糾させて内閣を倒す謀略に使つたのだが、それがうまく行かなかつたので、軍令部長の上奏阻止ということを云い触らしたのだ。
 又加藤君もその成行きを人々に了解させるだけの手段を取らずに、世間の流言をそのままに放置していたようで、それで世の中に誤解を起したことは、私から云えば真に遺憾なことであつた。
 一つの兵力量に対して政府と軍令部長とが違つた上奏をすることは、何といつても道理に合わないことで、軍令部長がもし兵力が不足だと思つたら、何処までも政府に反対すべきだし、どうにかこうにかよかろうと思つたら承諾すればいい。どうしても政府の考えるように行かない時は総理軍令部長かどちらかが辞職すべきだろう。政府が頑張るなら、それでは自分は責任が取れないから、新しい軍令部長にやつて貰つたらどうかと進言するのがこういう場合に採るべき常道だろうと考える。とにかく軍令部長が自分の職責をはつきり知らなかつたために、徒らに混乱を来たした嫌いがあるが、今からあの問題を考えてみると、政友会の一部の人の陰謀に軍令部長が飜弄された観がある。併し世の中は所謂盲千人で、そういう問題かあると皆それに附和雷同することがある。この問題が結局反対政党の政府転覆にまで発展して、枢密院に波動を及ぼし、枢密院では結局条約案に同意したが、統帥権干犯などいろいろと論議が起り、その揚句に濱口〔雄幸〕首相が煽動に乗つた無智な者から暗殺されるということになつたのである。【以下、次回】

 最初のほうに、「それで先に御指定になつた総理大臣の拝謁の後に軍令部長の上奏のことになつた」とあるが、そうなった経緯は、かなり込み入っている。これについては、「嵐の侍従長八年」の紹介を終えたあとで補足したい。
 鈴木貫太郎の発言の中に、「この問題は上奏し放しとはいかん問題だ」とある。やや、意味が取りにくい。「これは、上奏したままにしておく訳にはいかない問題だ」という趣旨であろう。

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