礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

これが奇蹟でなくてなんであろうか(飯島博)

2023-01-18 03:39:37 | コラムと名言

◎これが奇蹟でなくてなんであろうか(飯島博)

『小説公園』第四巻第八号(一九五三年八月)から、飯島博の「生きていた侍従長」という文章を紹介している。本日は、その後半。
 昨日、紹介した箇所のあと、次のように続く。

 回生の輸血が済むと、侍従長の容態はずつと好転したので、一同は別室で一先ず寛【くつろ】いだ。
 薄い冬の日射しは、それでも時の経過をみんなに思い起させた。
 安心感と同時に、急に躯〈カラダ〉から力が抜けて、空腹を覚えた。
 軽い食事を摂【と】り、小休憩すると、色々の話が出た。
「侍従長はどうして刀が見付からなかつたのですか」
 誰かの問いに夫人はこう答えた。
「あんなものは、反つて禍〈ワザワイ〉を醸す〈カモス〉もとと常に考えていましたから、丁度二三日前、風呂敷に包んでいつも置いてある納戸の窓の側〈ソバ〉から、別のところに仕舞つておいたのです。尤も八幡大菩薩と銘のある太身〈フトミ〉の鎗〈ヤリ〉の穂先を仕込んだ護身刀は、これは部屋にあつたのですが、預り物だつたから手をつけなかつたのでしよう」
 これは後日判つたことだが、あの時、侍従長は刀を取りに行つたものの、見当らないので、こんな所でグズグズしていて殺されたのでは、吉良上野介〈キラ・コウズケノスケ〉の二の舞だと考えたので、すぐ出て来たのたそうだ。
 誰かがまた夫人に尋ねた。
「奥さんのことは伺つております、と安藤〔輝三〕大尉が云つたのは何のことでしょう」
「青年協会の理事の青木〔常盤〕さんが、安藤という士官は考え違いをしているから、強く云い聞かせてくれるように、と云つて、官邸に安藤を伴つて来て、半日も話をしていたからでしよう」
 と夫人は答えた。
「『一』さんは御一緒に官邸におられたのですか」
 と聞いたところ、「一」さんは、
「いえ、巣鴨の私邸にいました。私か此処にいたら、きつと殺されていたでしよう。私はどうしても抵抗せざるを得ないから」
 と語ったので、一同は首を垂【た】れて沈黙してしまつた。
 以上が、鈴木侍従長襲撃から医者の治療に至る経緯【けいゐ】であるが、安藤大尉についてなお判然とせぬところがある。これから安藤大尉について述べてみたいと思う。

  安 藤 大 尉 の 心 境【略】

  侍従長の運勢と夫人のこと
 思えば鈴木侍従長は誠に幸運な人であつた。敵に対して毅然【きぜん】たる態度を持【じ】したことは、相手をすでに呑んでしまつたが、急所に当つた三つの弾が何れも重要器官を避けて致命傷とならなかつたこと、加うるに夫人の適切な処置によつて、侍従長は死地を脱したのであつた。
 明治二十七八年〔一八九四・一八九五〕の日清戦争においては、百トン未満の冷飯草履〈ヒヤメシゾウリ〉のごとき水雷艇を駆つて、威海衛〈イカイエイ〉の軍港探く突入し、夜なお昼を欺く探照燈の照射の中を無事脱出したこと、明治三十七八年〔一九〇四・一九〇五〕の日露戦争における、軍艦の船室内におこつた一酸化炭素ガスの中毒、更には此の度の遭難である。
 頭、胸、腹といずれも厄介至極な急所だ。しかるに大切な脳髄、心臓、腸管、腹膜には何等の傷を受けていなかつた。こうしたことは、そうざらにあるものではない。撃たれるものと、弾の射入角とのきわどい兼合【かねあひ】である。これが奇蹟でなくてなんであろうか。
【一行アキ】
 孝子夫人は、新渡戸〔稲造〕博士と同学の足立元太郎農学士の令嬢で、小石川女子師範〔東京高等女子師範学校〕を出、さきに皇孫殿にあつて今上陛下、秩父、高松の三皇孫に侍して育英に当つていた。
 夫人は現在千葉県関宿〈セキヤド〉に住まれて、酪農を援助されたり、その寛容な気性から農家とも親しみ、かつ、子弟の教育をも心掛けておられる。
 敗戦の今日なおも思い出されるのは、当時の夫人の機敏な措置【そち】である。それは単に、鈴木侍従長の命を救つたばかりでなく、延【ひ】いては敗戦時の大事をも、無事乗り切ることが出来たのであつた。
 夫人は鷹湖と号して、よく日本画をものされる。そして洋々たる滄江に取囲まれた関宿の地に、今は静かに余生を楽しんでおられる。  (医学博士)

 鈴木たか(孝子)の父・足立元太郎は、新渡戸稲造と「同学」とあるが、ともに札幌農学校の二回生である(ということは、内村鑑三とも同学ということになる)。新渡戸稲造がキリスト教徒(クエーカー)であったことは、よく知られているが、足立元太郎もキリスト教徒であり、その娘である鈴木たかもキリスト教徒(クエーカー)であったという(ウィキペディア「鈴木たか」)。
 明日は、「加藤寛治軍令部長の上奏をめぐる問題」(今月一二日のコラム参照)の補足をおこなう。

今日の名言 2013・1・18

◎頭、胸、腹といずれも厄介至極な急所だ

 鈴木貫太郎侍従長は、二・二六事件で、瀕死の重傷を負いながら、奇蹟的に命を取りとめた。その鈴木侍従長の病状について、輸血を担当した飯島博博士が語った言葉。上記コラム参照。

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