◎カワウソに関する伝説(藤沢衛彦執筆「カワウソ」を読む)
今回絶滅種に指定されたカワウソについては、多くの伝説があったようだ。特に有名なのは、魚を祭るという伝説である。正岡子規の別号「獺祭書屋〈ダッサイショオク〉主人」は、この伝説に基いていることはよく知られている。
たまたま『大百科事典』を開いたところ、その第五巻(一九三二)の「カワウソ」の項は、二名で執筆していて、後半は、民俗学者の藤沢衛彦〈モリヒコ〉の執筆であった。なかなか興味深い一文なので、紹介しておきたい。ただし、原文の引用が多く、かなり読みにくい文章である。
〔伝説〕『和名抄』には水獺〈カワウソ〉を「宇曾」〈ウソ〉と記してゐるが、『月令』の書は水獺と記して山獺と区別してゐる。川獺、海獺といふ種は共に水族として同様の伝説を存せしめてゐる。水獺は小獣ではあるが、淵の底に住んで悪事をなすこと頻〈シキリ〉に、よく人語を真似て、人を惑はし、人を騙かして〈ダマカシテ〉水に引込むなどと伝へられ
てゐる。河に住むを川獺といひ、海に住むを海獺と名づける。『佐渡志』によると、佐渡の両津町附近では、昔から海獺はけしからぬ詐術を以て人の命を奪ふと信ぜられ、一名を海禿〈ウミカブロ〉といふ説話は、河童と同系の伝説をなすものである。それで『信濃奇談』などは、老獺が変つて河童となるといつてをり、さう信じてゐた地方があつた。獺〈カワウソ〉伝説は少なくとも河童伝説の一素因をなすやうで、『西安奇文』の陳西咸寗県趙氏の娘が水獺に魅せられる話は、水獺が一種の好色獣として人間と交婚し遂に惨殺する説話で、水獺には元来雌雄がなく、多くは■(手長猿)を相手とするといふ伝説が、幾多人間との交婚説話を将来したものと考へられる。獺の雌なきを□獺といひ、■を選ぶことについて「援鳴而獺候」などいはれることは恐らく獺の交尾期を示してゐるものらしい。常に魚を食して水信を知るといふことも、獺の尋常ならぬ動物であることを指せるもので、『月令』に、正月、十月、獺魚を祭るといふことについて、女陰を魚にて描くのであるといふ俗説をなせるものは、寧ろ〈ムシロ〉『呂氏十一月紀』に、「獺祭円鋪、円者水象也。」といへる見方が正しいであろう。『小戴記月余』には、「此時魚肥美、獺将食之先以祭也。」と見える。その祭日を雨水の日となし、円を描くは女陰を象る〈カタドル〉のである故に獺の皮を以て褥〈シトネ〉を作り、これを産婦に敷かしむるに安産をするなどの俗説が立てられてゐる。『七十二候』には「水獺祭魚、以饗北辰、獺不祭魚、必多盗賊」と見え、日本に於ても、この民俗を伝へてゐる。(藤沢) 【引用者注】 ■はケモノヘンに媛のツクリ、□は、ケモノヘンに賓。
漢和辞典で「獺祭」〈ダッサイ〉を引いてみたところ、「かわうそが自分のとった魚を食う前にならべること」とあった。しかし、日本のカワウソにも、このような「習性」ないし「伝説」はあったのだろうか。また漢和辞典には、上記の意味から転じて「詩文などを作るときに、多くの参考書を左右にならべること」とあった。いずれにしても、日本カワウソは今や、「獺祭」という熟語によってのみ、想い出される存在になってしまった。
今日の名言 2012・8・30
◎大夕焼不平不満も消えにけり
俳人にして八六歳現役漁師・斉藤凡太さんの句。本日の日本経済新聞「文化」欄より。