礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

右翼思想家・津久井龍雄の思想遍歴

2012-08-22 05:58:03 | 日記

◎右翼思想家・津久井龍雄の思想遍歴

 昨日に続いて、津久井龍雄の『日本国家主義運動史論』(中央公論社、一九四二)の内容を紹介する。
 本日は、津久井が、みずからの思想遍歴や、高畠素之〈タカバタケ・モトユキ〉・上杉慎吉らとの出会いについて振り返っている部分を引用してみよう(原本一二一~一二四ページ)。

 人間は誰でも自分が始め計画した通りのプランの跡を追つて一分の狂ひもなく予定の人生コースを終るなどといふ訳のものではなく、逆に却つて〈カエッテ〉意外から意外への道を辿る〈タドル〉ことが多いのではあるまいか。少くとも筆者の場合の如きはそれに近いものであり、始めから斯かる〈カカル〉道を歩まうと堅く決意して起ち上つたといふわけではない。青年にして客気〈カッキ〉定まらざる時代において、われわれの運命は実に些細〈ササイ〉の事柄によつて決せられるのである。筆者は過去において只の一分間も左翼の運動に関係を持たず、そのことに対する深い感謝の気持を忘れたことはないが、それはたまたま筆者が自分の親しい思想的指導者として転向後の高島素之氏や、あるひは上杉慎吉博土の如きを持つたといふ偶然のことに因る〈ヨル〉のであり、若し〈モシ〉高畠氏の代りに堺〔利彦〕氏を知り、上杉博士の代りに河上〔肇〕博士に接したとすれば、その結果ばどうなつたであらうか。ここにおいてわれわれは運命の恐しさを感じ、運命への対処においていやしくも慎重を欠いてはならない所以〈ユエン〉を感ずると共に、また誤つて異つた道に奔つた〈ハシッタ〉人々に対しても、決して之〈コレ〉を徒ら〈イタズラ〉に悪み〈ニクミ〉排することの不当なるを思ふのである。人誰か過ちなからんや、何人も常に過ちを犯してゐるのである。よしんば信念を異にして厳しく闘ひ合つてゐる瞬間においても、その半面に軅て〈ヤガテ〉破顔一笑して宇宙の大道に帰一〈キイツ〉し得るの可能あることを信すべきである。【以下、一段落分を略す】
 多くの青年がさうであるやうに、筆者も亦た〈マタ〉様々の悩みによつてその青春を削られる思ひをつづけた。一番骨身にこたへたのは矢張り〈ヤハリ〉貧窮である。故郷から一文の仕送りも受けることの出来ない身は辛うじて叔父の家に厄介になり、叔父の知り合ひの有名な漢文の大家公田連太郎〈コウダ・レンタロウ〉氏の筆耕をして若干の小遣銭〈コヅカイセン〉を得るといふやうな仕儀〈シギ〉であつた。それゆゑ月給三十数円を以て時事新報校正部に夜勤の口を見出し得たときは誠に天にも昇る心地であつた。筆者は斯かる経験を通じて貧乏が如何に呪ふ〈ノロウ〉べく悪むべきものであるかを知り、貧乏を社会から絶滅しなければならぬと痛感した。これが後に社会運動に自分を駆り立てた一つの素因をなしてゐないとは云へない気がする。恋愛の問題については記すほどの事もないが、世間多数の青年とともに、その重大なる影響の外にありえなつたことは云ふまでもない。思想の問題宗教の問題についても一と通りの苦悶を経たが、その頃倉田百三〈クラタ・ヒャクゾウ〉氏等によつて再評価の機縁をつくられた親鸞教の如きは最も筆著を魅惑せしめたものであつた。朋友と共に自炊生活をしてゐた大久保の住居では本箱の上に仏像をかざり、朝夕阿弥陀経や歎異抄〈タンニショウ〉を講した記憶もある。キリスト教にも興味は持つたが、一度海老名騨正の説教をきいてその偽善的表情に嫌悪を感じ、之は一度で引き退つて〈ヒキサガッテ〉しまつた。但しバイブルは久しく自分の敬誦する聖典の一つであり、今も尚ほ〈ナオ〉さうでないとは云へない。社会主義の学説には頗る〈スコブル〉多くの魅力を感じたが、しかも日本の社会主義者達が常に醜い仲間喧嘩をし、互いに悪罵を交換し合つてゐるのに対して嫌厭〈ケンエン〉を感じ、その中に深く入り込んで行かうとする気持はどうしても起らなかつた。トルストイや武者小路実篤が好きであるかと思へば、田中王堂や杉森孝次郎に興味を感ずると云つた具合で、ここにも青年期の気まぐれを顕著にしてゐた。上杉慎吉や高畠素之は最も嫌ひであり、前者は曲学阿世〈キョクガクアセイ〉の典型と信じ、後者は「生田長江〈イクタ・チョウコウ〉の癩病的資本論」などと平気で云ふ下品な態度が堪らなくいやだつた。その最も嫌ひな上杉や高畠と数年ならずして最も親縁な関係に立つことになるといふところに運命の奇が潜むと云ふべきであらう。

 本日の引用はここまでとするが、ここで引用した部分などは、津久井龍雄という右翼思想家が、いわゆる右派活動家とは異なるタイプの思想家であったことが、よく看取できる一文と言えるだろう。【この話、続く】

今日の名言 2012・8・22

◎人誰か過ちなからんや、何人も常に過ちを犯してゐるのである。

 右翼思想家の津久井龍雄の言葉。『日本国家主義運動史論』(中央公論社、1942)の120~121ページに出てくる。上記コラム参照。

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