礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦中ビルマの「象軍」と「象使ひ」(付・丸屋博さんの言葉)

2012-08-06 05:49:10 | 日記

◎戦中ビルマの「象軍」と「象使ひ」

 第二次大戦中、南方にいた日本軍は、「象」を使うことがあったようだ。東京日日新聞社会部編『南の伝説』(郁文社、一九四三)のなかの一篇「象 建設戦に新しき戦友」には、「北部ビルマのシエボウ」からラングーンまで(この間、「六三〇マイル」をとある)、五〇頭あまりの「象軍」を移動させる作戦が紹介されている。「シエボウ」というのは、おそらくShwebo(シュウェボ)のことであろう。これらの象を、どのように調達したか、何の目的に使おうとしたのかなど、肝心のことはボカしてある。
 それほど長い文章ではないが、ここでは、「象使ひ」について述べている末尾の部分のみを紹介してみることにしよう。

 象の馴らし方は、象使ひの第一の仕事だが、その前にどうして象を捕へるかを話すと、ジャングルの中に入口を広く如露〈ジョロ〉の恰好〈カッコウ〉をした大きな檻を頑丈に作る。それから槍、鉄砲、銅鑼〈ドラ〉などをもつて野象を追ひ込み、入口の付近まで近づいたらその両側に松明〈タイマツ〉をつける。象は火を怖がつて、だんだん中に入りこみそのうちに完全に捕へてしまふ。群〈ムレ〉をつくつた象でもリーダー一頭さへ入れば、皆んなそれについて行くから案外楽なものだ。
 それから一ケ月〈イッカゲツ〉も二ケ月もかかつて外から好物の竹の葉やバナナを投げて慣れさせるわけだ。象使ひの苦心はこれからで、毎日の食糧を運んでは、自分の手で与え身体のどことなくさすつて愛撫する。殊に〈コトニ〉頭や耳の後を撫でられるのを喜ぶ、絶対に殴つてはならない。毎日かうして愛撫してやると、やがて体臭だけで主人を見分けるやうになる。その間のコツが大切だ。野象はビルマでも今日殆んどあとを絶つたが、まだチン・ヒル(印緬〈インメン〉国境アラカン山系の中)には多少残つてゐる。
 象使ひといつてもいろいろ階級があつて、頭目〈トウモク〉といふのが、チャン・ワウと呼び八十頭から百頭を持ち、シンウといふのがその下の組長で五頭乃至十頭扱ひ、シンウシタといふのが普通の象使ひで一頭持つて、いつも象の上に乗つて操るわけだ。ビルマ国境の〇〇付近で糧秣〈リョウマツ〉輸送に当つてゐる頭目のウトーと称する四十八歳の男は下に十五人の組長と百五十人の象使ひをしたがへてゐるが、十七歳の時から象使ひになり、十年ほどして組長に、更に〈サラニ〉七年して、頭目になり、もう十四年も頭目を続けてゐる象部隊の親方である。
 この仲間には、象を使ふ独得の言葉があり、「カメー」は坐れ〈スワレ〉、「テー」は行け、「ハーウン」は止れ、「ロワ」は立てといふ合図になつてゐる。みんな象には頸〈クビ〉から前足のところまで、長く小函〈コバコ〉を吊つて〈ツッテ〉、歩くたびに鳴子〈ナルコ〉や風鈴式にからんころんと鳴るやうにしてあるが、象使ひはその音を聞いただけで、自分のものかどうかを聞き分ける。百頭からの象の大部隊が付近のジャングルを通る時は、この頸輪〈クビワ〉の千差万別の音が、まるで大管弦楽のやうに響いて、文字通り壮観な森の重戦車隊の大行進である。

 文中、「印緬」という言葉が出てくるが、これは印度〈インド〉と緬甸〈ビルマ〉という意味である。
 おそらく日本軍は、「シエボウ」近辺の「頭目」から象を調達し、頭目ないしは配下の「組長」を雇い上げたうえで、「象使ひ」の指揮を委任し、この移動を敢行したものと推察される。ラングーンに着いた「象軍」は、軍関係の資材の輸送などにあたったのであろう。

今日の名言 2012・8・6

◎原爆も原発も同じこと

 広島共立病院名誉院長の丸屋博さんの言葉。広島で原爆を体験した丸屋さんは、そのときの記憶が廃墟と化した東北のまちに重なったという。「原爆も原発も同じこと。人間には制御できないもの」。本日の東京新聞社説「ヒロシマに耳澄まし」による。今日は原爆忌である。

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