礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

正義に味方したパール判事(付・愛国心のワナ)

2012-08-20 05:44:54 | 日記

◎正義に味方したパール判事

 瀧川政次郎「東京裁判全員無罪論」(一九五二)の紹介の三回目である。本日は、この文章の末尾の部分を引用する。

 これを要するに、パール判事の意見書は、慥か〈タシカ〉に「印度代表」の意見書であって、ソ連に偏せず英米に党せず、王道蕩々、正を正とし、邪を邪としている。この意見書こそは、サンフランシスコ講和会議に於るセイロン島首相の演説と相並んで、世紀の大文字と称すべきものであって、私はこの意見書の中にネール印度首相の外交政策の根本方針を見ることができるものと確信する。
 印度代表が日本の戦犯二十五名に無罪を宣告したからといって、印度が日本に全面的な同情を寄せているものと速断してはならない。印度は日本に味方したのではなく、正義に味方したのである。辻政信参謀は、その書の序文の中で、心ある印度人が、「日本は戦争に勝ったのです」と言って呉れたとか、日本の陸上競技の選手団がニューデリーに着いたときに、ネール首相が出迎え、競技に参加したアジア諸国の選手達が「日本が戦ってくれたお蔭で、我々は独立が出来たのだ」と云って感謝して呉れたらしいとか言っているが、そんなことが事実あったにしても、われわれ日本人はそんな外交辞令をまに受けていい気になっていてはならない。アジア諸国民が日本人に会って訊きたいことは、「お前は東洋人か、それとも西洋人か」ということであろう。パール判事が、全被告の無罪を主張したのは、被告等の行為を是認したのではなく、ましてやその行為に感謝したわけではない。
 戦勝国が戦敗国を裁判することを非としたのである。私は、東京裁判の法廷で、戦争に直接参加した故を以て清瀬一郎弁護人(東条〔英機〕被告担当)から忌避の申立を受けたウェッブ裁判長が、濠州〔オーストラリア〕の捕虜虐待事件の証人を取調べるに当って、ひどく昂奮しているのを、顰蹙〈ヒンシュク〉しながら眺めていたパール判事の顔を、この眼で見た。何としても被告等を有罪にしようとして、陳述台でたけり狂う検察官の挙動は、判事にとって不愉快なものであったに相違ない。意見書第七部には、「感情的な一般論の言葉を用いた検察側の報復的な演説口調の主張は、教育的というよりは、むしろ興行的なものであった」といふような文字が見出される。
「復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続を踏んだに過ぎないと、いうような遣方〈ヤリカタ〉は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、窮極的には後悔を伴うことは、殆ど必然である。」
 これが恐らくパール判事が東京裁判に対して懐いていた考えであったと思う。故にパール判事は、東京裁判を非としたのであって、二十五被告の行為を審理してこれを無罪としたのではないのである。この事は、パール判事の意見書を読む者の、見誤ってはならないことであると思う。

 瀧川政次郎博士は、パール判事の真意をよく理解していた。だからこそ、「アジア諸国民が日本人に会って訊きたいことは、『お前は東洋人か、それとも西洋人か』ということであろう」という言葉が出てくるのである。これは、言い換えれば、「日本人が東洋に対しておこなったことは、西洋が東洋に対しておこなったことと、どう違うのか」ということだろう。
 瀧川博士が、この文章の最後で、パール判事の意見書を読み誤ってはならないと言っているのは、まさにその通りである。残念なのは、瀧川博士が、その著書『東京裁判をさばく』上下巻(東和社、一九五二・一九五三)で、そのパール判事の意見書を、積極的に紹介していないということである。

今日の名言 2012・8・20

◎愛国心には思考停止のワナも潜む

 本日の日本経済新聞「春秋」欄にある言葉。魚釣島、竹島をめぐって、日中韓三国で「愛国心」が噴出している。同問題に対する日経新聞のスタンスは、この言葉からよく感じとれるが、これは「社説」で論ずべきテーマであろう。

コメント
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