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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

日報抄に、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌

2024-03-11 18:04:29 | うた

昨日も少しふれたが、今日で東日本大震災からもう13年になる。

今日の新潟日報紙の日報抄は、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌を取り上げていた。

その歌の一節には、

氷雨降る早春の午後

押し寄せる高波に砕けた未来

という部分がある。

その一節の前には、

透き通る真夏の青空を

切り裂いた白い光 黒い雨

あれはいつ?

という詞がある。

 

この歌の盛り上がりでは、

あまりに多く血が流された

とてつもない悲しみが襲った

あまりに尊い犠牲払った

充分過ぎるくらい学んだ…違うか?

と歌い上げる。

戦争と原爆、東日本大震災の津波・原発被害が歌われ、おごれる権力者たちの愚行を訴える。

 

日報抄の文章では、浜田省吾(以下、浜省)が広島出身で原発や原爆を取り上げた曲もいくつかあることにもふれながら、大震災による津波で多くの死傷者が出たことや、東京電力福島第1原発の事故で多くの人が被ばくを避けるために故郷を追われたことなども書かれていた。

13年前に原発事故の恐ろしさも思い知ったはずなのに、国は原発を積極的に活用する方針に転換した。

そしてまた、能登地震が起こり、原発事故に対する不安が改めて鮮明になった。

浜省は、「充分過ぎるくらい学んだ…違うか?」と叫ぶように歌っているのが切ない。

そのような内容が書いてあった。

 

そうか。

この日報抄の執筆者も浜省のファンだったのか、と思った。

この曲は、2015年に発表されたアルバム「旅するソングライター」に収録されている。

15のタイトル曲があるが、その中で、14番目が「アジアの風 青空 祈り」で、それは

「アジアの風 青空 祈り part1 風」

「アジアの風 青空 祈り part2 青空」

「アジアの風 青空 祈り part3 祈り」

という3部構成になっている。

日報抄に取り上げられたのは、2つ目の曲だった。

アルバムの中の1曲なんて、ファンでもなければ知らないだろう。

しかも、筆者は、毎年今頃になると、この歌詞が頭に浮かぶのだそうだから、よく聴き込んでいると分かる。

 

さて、浜省は、為政者を糾弾するためだけにこういう歌を歌っているのではないだろう。

そのベクトルは、自分にも、向けられているのが、他の曲を聴いていると分かる。

 

その前のアルバム「僕と彼女と週末に」

で、そのタイトル曲では、

この星が何処へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない

権力と権力のSee-Saw=Gameから降りることさえ出来ない

と歌い出すが、後半では、

いつか子供達にこの時代を伝えたい

どんなふうに人が希望をつないできたか

君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で

愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か

君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で

愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい 今こそ

…と自分の決意を繰り返し歌っているのだ。

困難な状況に陥っても、自分は、希望をつないで生きていくぞ、と。

人としての愛を信じて生きていくぞ、と。

この力強さが浜省の歌の魅力でもある。

 

件の日報抄は、最後に、

浜田さんの歌声が切ない。まだまだ学ばねばならないのか。

という文章で締めくくられている。

権力のある人たちも、市井の私たちも、学ばねばならぬことがたくさんあることを常に忘れてはいけない。

単に自然災害の恐ろしさを思うだけでなく、3月11日は、確かにそんな意識をする必要のある日だ。

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父の生誕記念の日、時の流れをあれこれ思う

2024-03-10 22:05:33 | 生き方

3月10日。

このブログでは、何度もこの日が、私の亡父の誕生日だったことを書いてきた。

父は、辰年の生まれだったから、生きていれば今年が年男のはずである。

年男だと言えるのは、生まれた年は別にして12年ごとに巡ってくるときだろう。

そう考えると、ここまで生きていれば8回目の年男として、96歳を迎えたはずだった。

ところが、56歳で亡くなった父は、数えてみると、4回しか年男となっていないことに気づく。

亡くなってから、辰年を4回迎えているのだ。

幻の60歳、72歳、84歳、そして96歳。

56歳で亡くなったから、それからもう40年も過ぎたのだ。

年月の流れは早い。

 

生前の父は、自分の誕生日の話になると、「オレの誕生日は、陸軍記念日(と同じ日)なんだ」と言って、誇らしげにしていた。

陸軍記念日とは、戦前(戦中も)の日本が定めていた日。

これは、1905年3月10日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日であり、翌1906年3月10日が第1回陸軍記念日となったとのこと。

ついでに言えば、5月27日が海軍記念日で、同じく日露戦争の日本海海戦で帝国海軍が勝利したから定められたという。

 

今どき、陸軍記念日だなんて言っても、分かる人なんかほとんどいないだろう。

1945年3月10日の東京大空襲の日、ということなら少しは分かる人も増えるかもしれないが。

 

父が志願兵となって生きていて、東京大空襲があり、終戦の年となった1945年は、酉年であった。

その次の酉年である1957年に生まれたのが、私である。

今となっては、「たった」12年しか違わないのである。

 

それなのに、明日3・11は東日本大震災から13年にもなってしまう。

戦争が終わってから、私が生まれるまでよりも、多くの時間が流れたことになる。

私が、戦争中のことをよく知らないのと同じように、今の中学生以上は、能登地震とは比べものにならないほど大きな被害が出た東日本大震災のことを知らないのだ。

 

1957年に私が生まれてから現在まで67年になるのに比べ、逆に時計の針を戻していってみると、先ほど話題にした大昔のはずの日露戦争は、私の生誕よりなんと52年「しか」昔のことでしかないことに気づき、がく然とする思いがある。

 

1945年に戦争が終わってから、今年で79年。

戦争の悲惨さに気づき、以降の日本は戦争をしない平和の尊さを知る国となっている。(ちょっと怪しい向きもあるが)

逆に、1945年の79年前は?…計算すると、1886年。

なんと明治維新より前の江戸時代になってしまうのだ。

明治維新以降1945年までの80年近く、日本は富国強兵の道を歩んできたといえるだろう。

そして、それ以降の80年は、戦争をしないという憲法のもと、平和で自由がある国となっている。

 

時は、淡々と過ぎていく。

その時の流れを重ねていくと、個人にせよ、国にせよ、歴史ができる。

 

父のことから、陸軍記念日、終戦、日露戦争、東日本大震災、戦争までの日本、戦争後の日本…いろいろなことに思いが飛んだ。

そんなことをとりとめなく考えた、3月10日、亡父の生誕記念の日…。

コメント (8)
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雪にも冷たい風にも負けず、ホーム開幕戦勝利! ~2024第3節ホーム名古屋戦~

2024-03-09 21:14:22 | アルビレックス新潟

寒かったのに、よく2万3千人近くも入ったね。

期待の高さの表れだ。

ホーム開幕戦を勝利で飾れて、本当によかったよ。

 

駐車場に着いたら、横なぐりの強風に大粒の雪。

こんなんで試合ができるのか?という中を歩いて、スタジアムに着く頃は雪は弱くなってきていた。

 

でも練習中は、雪も降っていた。

はるばる名古屋から、寒中応援に来た名古屋の皆さん、ご苦労様です。

 

開幕戦セレモニーには、珍しく(?)副知事ではなく、花角新潟県知事のあいさつ。

今日の知事、なんだかゴキゲンでしたな。

試合が始まると、やはり寒い風が吹き、その分試合も寒い?

シュートシーンが少ないのだ。

もっと遠くから打ってもいんじゃない?

なんて思いつつ、試合を見守った。

 

 

前節G大阪のプレスに苦しんだから、今日の名古屋も同様の戦法でくるのじゃないかと思っていた。

だが、それほどでもなかったし、DFのウラを突こうとするパスもあったりして、思わず目をつぶるようなシーンはほとんどなかった。

それよりも、前節の負け試合を教訓にしたせいか、アルビの選手たちの動きの方が名古屋に勝っていた。

今日の先発メンバーには、3戦目にして初の先発起用の堀米主将、FW小野がいた。

第1戦から復活の舞行龍、宮本、小見らの名前もあった。

試合の動きを見て、時々、新潟の選手たちのプレーに対し、「うまい!」と声を漏らしてしまった。

初登場の小野は、さすがだった。

攻撃についても守備についても、一つ上のプレーを見せてくれた。

とにかく、緩急の付け方はうまいし、ここでいってほしいというところで必ずいくし、うまいなあ、いい選手に来てもらったなあ、と思ったよ。

そして、2度目の先発となった宮本も、隙あらばねらうぞという雰囲気ありあり。

こんないい選手がJ3やJ2下位でくすぶって(?)いたのか、と思わせるプレーぶりだった。

今季初先発の堀米も、今日は控えに回った新井に負けていないよなあ、と思わせた。

そして、フル出場した小見は、攻守にわたって大事なところで顔を出し、力が確実についているところを見せてくれた。

いい選手が多くなったなあ、と感慨深かった。

「てっぺん」を目指す戦力が整ってきたからこそ、そこを目標にできるわけだ、と納得した。

後半の途中から、小野→谷口、松田→長倉、時間をおいて高木→長谷川元希と交代選手を出場させたが、そこで出てくる選手たちがまた違いを見せるのだから、見ていて面白い。

途中で強風は吹きつけるし、雪が吹雪となって降って来るし、と寒くて仕方ない中だったが、プレーに引き付けられた。

【雪で場内の遠くがかすむ】

そして、ついに88分、今季新加入の長谷川元希が中央からシュートすると、相手選手に当たって、ボールが舞い上がり、GKの頭を越してゴールネットに吸い込まれた。

これ、これ、これですよ。

このシュートを打つ積極性が、新潟にはもっとほしいのですよ。

元希は、そこが分かっていて強引に打ったシュートだったと思うのだ。

打てば何が起こるか分からない。

相手に当たってコースが変わるかもしれないし、ハンドの反則が飛び出すかもしれない。

いずれにしても、よくやった、元希!!!

ヒーローインタビューの際には、彼が元気で明るいキャラクターであることを示した。

きっと、これから多くのファンが付くことだろう。

 

お楽しみの勝利後のパフォーマンスは、漫画家鳥山明氏の逝去を惜しみ、ヒーロー元希のかめはめ波が披露された。

昨日の今日だから、よく合っていたパフォーマンス。

阿部(航斗)ちゃん、よく考えましたね、グッ、ジョブです。

 

【名古屋サポは、試合後、3連敗無得点の自チームの選手たちに猛烈なブーイング…ごもっともで】

 

これで3節を終了した。

去年6回戦って1度も勝てなかった、鳥栖、G大阪、名古屋に対して、2勝1敗の勝ち点6で、暫定5位。

上々の滑り出しだが、得点力はまだまだ物足りないから、改善していきましょう。

Visca Albirex !!

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旅行本だと思ったら、違っていたけれど…~「加藤周一、米原万里と行くチェコの旅 中欧から見た世界と日本」(小森 陽一・金平 茂紀 ・辛 淑玉著;かもがわ出版)~

2024-03-08 19:54:07 | 読む

書名を見て、チェコへの旅行本だと思って、借りてみたのだった。

まったく違い、旅行のガイド本ではなかった。

タイトルだけ見ると、故人であるはずの「加藤周一、米原万里と行く」と書いてある。

旅行先のチェコに関しての2人の思い出話が語られるのかな、と思っていたら違っていた。

中身が違い過ぎて、不平不満を言った読者も多かったことだろう。

私も、読み始め当初はそれを言いたい読者の一人だった。

加藤周一氏や米原万里氏のこともよく知らないままに読んでいった。

著者の小森氏と金平氏の2人が、加藤氏や米原氏とどのように知り合ったとか、どのように関係を深めていったとか、旅行先のチェコとはほとんど関係ない話ばかりの始まりであった。

 

それでも、旅行先のチェコのことについては、1968年の「プラハの春」のできごとを大きく挙げていた。

また、1989年に共産党政権の打倒と民主化を実現した「ビロード革命」は、市民の行動によって流血の惨事を回避することができたのだった。

社会主義政権下でのこれらの動きがあったのは、裏返せば市民の意識の高さがあったということがうかがわれる。

本書の中では、ページ数は多いというほどではないが、チェコがどういう歴史をたどって現在に至ったのかということには、きちんと触れている。

様々な変遷を経ながらも、ヤン・フスの宗教改革など、横暴に対する抵抗もあった土地であった。

 

そのようなチェコの自由を求める市民意識の高さに比べて、もの言わぬ日本の意識の低さには怖さがある。

日本人たちは、特に「知らない」「考えない」で済ませている。

そこに大きな違いがある。

 

後半に、辛淑玉氏が対談に加わるのだが、ドイツと日本の高校生の違いの話が興味深かった。

ドイツの高校生が日本の高校生に、「靖国にA級戦犯が合祀されていることをどう思うか?」と質問したら、日本の高校生は、「ヤスクニって何?」から始まって、「A級」を「永久」と取り違えてみたりで、ちっとも議論にならなかったという。

高校生でなく小学生でも、その話があった。

100点ばかり取っている子なのに成績が悪いので、母親が先生に文句を言いに行くと、先生はその子が授業に参加していないからなのだとの返答。

先生は、「1+1が2になることを知っているより、そのプロセスについて、自分の意見を言えることが大切なのだ」と言った。

納得できない母親は、「来て間もないからドイツ語がしゃべれないから仕方ない」と反論したが、先生は、「トルコやシリアの難民の子たちは、来て間もないけれど授業に参加している」と答えた。

結局、その子の母は怒って、子どもを日本人学校に転校させた。

…このような話に、日本の一般的な子どもの育て方からしても、日本の未来の危うさを思った。

 

「中欧から見た世界と日本」という副題がついているが、こちらの方が中心の書名でもよかったように思えた。

 

ちょっと衝撃的だったのは、米原氏から聞いた暴露話だった。

米原万里氏が橋本龍太郎首相のロシア語通訳を勤めていた当時、首相が酒に酔って彼女の部屋に突然入ってきていきなり覆い被さって来たというのだ。

米原氏は腕力があるから、蹴っ飛ばしてことなきを得たのだそうだ。

彼は「おれがこういうふうに来て、断ったのはお前が初めてだぞ!」と捨て台詞を残して帰っていったのだとか。

すごい話だな。

 

ともあれ、本書は、2019年3月、トランプ大統領、安倍首相の時代に出された本だったから、そこに対する批判めいた文章も多く載っている。

読む人によっては不快になることも多かろう。

だが、危機意識をもって、日本では一人一人が自分の考えをしっかり持った行動をしていかないと危うい時代を迎えると感じさせた。

旅行本と勘違いした本だったが、そんな危機感を抱いたので、読んでよかったと思う本であった。

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久々に「クオーターマラソン」

2024-03-07 20:35:11 | RUN

先月末から埼玉に行くなどしてしばらく走っていなかった。

埼玉に行ったときに、天気がいいから少しくらいは走ればよかったのかもしれない。

けれども、年明けから腰痛はあったし、治ってきたら今度は背中痛や股関節痛、膝痛などがポコポコ頻発。

あげくの果ては、胃腸痛まで。

何なんだろうね、この体調の不安定なこと。

ただでさえ、まともな距離を走った後や翌日は、低血圧になりクラクラしがちになっているというのに、あちこちのパーツが金属疲労を起こしているような感じでもある。

高齢者になるって、こういうことかい?

 

だから、心身の調子がいいときしか走っていないので、月間走行回数が1月も2月も、わずか3回ずつ。

月間走行距離も、両月とも29kmでしかない。

これでは、ランナーどころか、なんちゃってランナーと名乗ることすら返上しなくてはいけないくらいだな、とあきれるよ。

 

まだまだ先だと思っていた、新潟ハーフマラソンも、気づけばたった2週間後でしかない。

今日は陽射しも出たし、明日以降また寒波が来るというし、体調もまあ悪くないので、走ることにした。

久々なので、クオーターマラソンにしよう。

ジョギングでいいから、リズムをなるべく一定に、と思って10㎞強を走ることにした。

頭では1㎞が6分30秒ペースくらいでいいと思っていたのに、足は6分10秒ペースで走ろうとしていた。

まあ、気持ちよければいいから、いいやと思いながら、3㎞ほど進んだ。

やはりこのペースは今の自分には少し早い。

ちょっぴりリズムが崩れてきた。

10㎞で終わるならこれでもいいが、2週間後のハーフマラソンでは持たないペースだなと思った。

それにしても、だんだん体力走力が落ちていくのだなと、実感している。

10㎞くらいなら、4,5年前は1㎞5分くらいで走っていたのに…。

思い通りにいかないのはなんだか悔しいが、走るのは楽しいので、まあいいことにしよう。

楽しいのが一番。

場所によってはまだまだ雪もあるけど、陽だまりにはほら、道端の雑草たちも笑っている。

花の青さが本当にステキな、オオイヌノフグリ。

その近くに赤紫のつぼみをつけたヒメオドリコソウや、成長をうかがっている黄色いタンポポの花も控えていた。

本物の春よ、来い。

 

なのに、週末は、寒波が来て、雪も降るという。

アルビレックス新潟の開幕戦の土曜日、予報によっては、気温が最高3℃最低1℃で雪、なんて出ていたぞ。

大丈夫か、開幕戦?

 

こんなふうに、野草の花見をしたりいろいろ考えたりしながら、1時間3分余りかけて、クオーターマラソンを終えた。

新潟ハーフマラソンでは、もっとゆっくり行かないと、きついな。

そのときにはゆっくり走ることにしようっと。

 

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ほぼ同年代、Tさんの訃報を知って

2024-03-06 19:23:00 | ひと
有名人でなくても、届いた訃報に驚くことがある。
ましてその人が、自分とほとんど同じ年代の人だとなおさらである。
今日は、Tさんが亡くなっていたことを知り、ちょっとショックだった。

Tさんとは、私が長岡で単身赴任していた当時に知り合った、同業の方だった。
仲良くなったのは、同じ職務の研修で全国大会に出かけたときだった。
当時香川県高松市で開催された2日間の全国大会には、市内から6人が参加した。
私もTさんもそのメンバーだった。
同じ市内からまとまって行くということで、宿泊先も同じ宿だった。
当然のように、夕食時には懇親会が行われた。
酒が入ると、互いの心的距離が縮まる。
Tさんは、現職に就く前には、東京で、芸能プロダクションで音楽にかかわっていたという話をしていた。
その頃多くの人に知られたアイドルグループが解散することになったのだが、バンドメンバーが足りなくなった。
「あの解散コンサートで、ドラムをたたいていたのは、オレだったんだよ。」
…衝撃の告白だった!!!?
「へえ~、すごいじゃん。」
「なんでまた、新潟に戻って、まったく関係ないこの仕事してるんだよ!?」
一同から驚きの声が次々と上がったのだった。

懇親会後は、当然のごとく、2次会へ出ようということになり、高松の街にくり出した。
当時40代の私たちは、飲みながらカラオケをたっぷり楽しんだ。
さすが元音楽関係者だけあって、Tさんの歌はうまかった。
特に、松山千春やTUBEの歌が得意であった。
「長い夜」や「あー夏休み」などは、確かにうまかった。
浜田省吾や村下孝蔵で対抗(?)した私に、
「50foxさん(私)も、TUBE歌わない?アンタの声に、絶対合うよ」
などと薦めてくれたりもした。
高松で楽しい時間を過ごした私たちに、Tさんは、「長岡に帰ってからも、このメンバーで会をやろう」と、提案した。
全員異論なし!となると、Tさんは、この6人会の名前は、高松で仲良くなったのだからそれにちなんだ名前にしよう」と、話を進めた。
高松市には栗林(りつりん)公園という著名な公園があって、日中、研修会後に皆でそこを訪れていた。
「それにちなんで、この会の名称は、『ゼツリン会』とする!」と叫ぶTさんの声に、一同ズッコケたのであった。

その「ゼツリン会」は、長岡に帰ってからは、「長岡の奥座敷」である蓬平(よもぎひら)温泉の旅館で行ったりした。
そして、その1年後の夏には、私も含めて何人かは中越地区の長岡ではなく、上越や下越の方へ異動になってしまったのだが、Tさんから電話が来た。
「今夜、長岡でまたゼツリン会やるんだけど、50foxさんも来ないか!?」
「おいおい、急だなあ。」
「来るだろ。会場は、6時半から駅の近くの○○だから、待ってるよ。」
ガチャン。
まったく、なんて誘いだ。
ブツブツ言いつつ口元に笑みを浮かべながら、私は在来線から新幹線に乗り継ぎ、長岡まで急ぎ駆けつけ、旧交を温めたのであった。
その後は、残念ながらメンバーの都合が合わず、ゼツリン会は開かれなくなってしまったが。

とにかく周囲の人を楽しくさせることが好きで、それができるTさんの明るさには、人を引き付け元気にする力があった。

…高松から15年余りがたって、定年退職後の年賀状には、「これからは好きなことをします。年賀状も終わりにします。」と連絡が来た。
好きなことって、なんだろう?きっと音楽関係だろうな…?なんて思ったのだった。
まだあれから、何年もたってないように思えるけれど、…残念だ。
私より1歳年上なくらいだったはず。
Tさん、楽しい時間をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。  合掌。
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この時期、畑で見つけた花は、そら豆の花だった

2024-03-05 20:18:06 | 草木花
埼玉に行ったとき、夕方、麦畑など農村風景の中を、散歩して歩いた。
夕方、傾いた夕日の中を散歩できるのはいいなあ、と思いつつ。
空き地のホトケノザがまぶしくキラキラと輝いていた。
そのあと、その近くの畑のそばを通ったとき、私がまだ知らない花を畑に見つけた。
大きい葉に、白いけれど一部に紫の斑があるような花びら。
私の好きなパンジー
の花模様に似ている。
 
この花を知っている人は知っているのだろうけれど、畑にあるから作物なのだろうけれど、これっていったい何?
何の作物の花?
葉っぱが大きいから、「何とか菜(な)」とでもいうのかな?
なんて思ったが、菜っぱなら、大体は黄色い菜の花が咲くものだ。
でも、これは白が基調だよなあ。
そんなことを思っていたら、地元埼玉出身の妻はあっさり言った。
「これは、そら豆の花だよ。」
 
そら豆!?
そら豆って、あの大きくて平べったい豆のそら豆!?
…やっぱりそうなのだって。
 
知っている人には常識なのだろうな。
身近なものでも、知らないこと、気づかないことっていっぱいあるのだろうな。
このそら豆の花の発見で、改めてそういうことを思ったよ。
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今年も黄色の花が輝く花見を楽しんだ ~高崎市染料植物園~

2024-03-04 20:42:59 | お出かけ

埼玉から帰る途中、今年も高崎市染料植物園に立ち寄ってきた。

入場無料なのが、われわれには最大のお気に入り…!?

 

今年も入園すると、まず目立ったのは、黄色いミモザの花だった。

この日は風が強くて、頭上は揺れて揺れて、きれいな花なのに全体的にピントが合わなかった。

 

園の近くに高崎白衣大観音があるのが見える。

それが見える場所の近くにあるミツマタの花は、まだ開いていなくて、唯一一部が開き始まったのがあっただけ。

まっすぐ天に伸びた枝に付いている黄色い花は、サンシュユの花。

近くから見ると、これまた開ききってはいなかったが、それでもきれいだった。

園内各所で最盛期を迎えていたのが、あちこちにかたまって咲いていたフクジュソウ。

陽光を浴びてあまりにも光っていたので、写りが白くなってしまう花もあった。

そのくらいこの日はフクジュソウの花が金色に光り輝いていた。

 

春の浅いときには、黄色い花がまず咲いている。

まず咲くと言えば、マンサク。

種類があるようで、完全に開いて咲いているものと、

まだ枯れた葉をつけていてそれでも少しずつ花が開き始めているものがあった。

 

そして、ピークを過ぎてしまったのは満月ロウバイ。

ソシンロウバイの方は、まだきれいに見えるものもあった。

 

そのほか、しだれ梅は、毎年きれいなのだが、今年は盛りを過ぎていた。

赤い梅の花も、咲き残っているものを見つけて、パシャリ。

ボケも、ピンクや赤などの花を咲かせていた。

 

去年はオウレンを見つけた場所には、オウレンは見つからなかった。

だが、こんな名称不明な草が生えているのは見つけた。

この草の名、何だろう?…宿題だな。

 

こうして、今年の春も、高崎市染料植物園でフクジュソウを中心とした春の花見を楽しんだ。

そして、関越道を使って、新潟に帰ってきた。

その日、小出ICを過ぎてからというもの、すごい吹雪だった。

前がよく見えず、一気の降りで追い越し車線で抜いて行く蛮勇のある車はいなかった。

その状態は、越後川口SAまで続き、運転していても非常に怖かった。

青空で暖かく春の花見が楽しめたところから、一気に吹雪で真っ白な新潟へ。

まだまだ冬の新潟に帰ってきた感がたっぷりな帰路であった。

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生前整理、猫、スウェーデン…そして、本書に出合う ~「ストックホルムからの手紙: MY SWEDISH STYLE」(川上麻衣子著;同朋舎)~

2024-03-03 21:05:29 | 読む

2月中旬、なにげなく「徹子の部屋」を見ていたら、ゲストが川上麻衣子さんだった。

川上さんといえば、その昔「3年B組金八先生」に出演していたということを知っている。

だが、彼女が出ていた金八先生のシリーズは、私は見ていなかった。

そのシリーズの放送が終わった頃に出会った方が、「東京の私立の小学校で彼女を教えた」と話したので、「そういうコがいるのか」と知ったのであった。

知っているのはそのくらいで、彼女がその後映画に出たり写真集を出したりしたことも、私の記憶に残っていなかった。

 

「徹子の部屋」を見たのは、その回のテロップに彼女が「両親の生前整理で実家を売却」ということが書いてあったから。

「生前整理」は、元気なうちにあらかじめ自分で処分するものや残すものを決めて整理することを言う。

これによって、残された遺族の負担の軽減も図れる。

一人娘だった川上さんが、どうしてもしなければいけないことだった。

番組の中で、彼女がスウェーデン生まれで1歳で帰国後、9歳のとき1年間再びスウェーデンで過ごしたことなどを知った。

へえ~、と思いつつ、最後まで見て、若いときに離婚歴のある彼女が今はパートナーがいて、一緒にラジオ体操をしている話まで聞いてしまった。

 

その夜、見る番組もないのでこれまたなにげなくEテレに回したら、また川上麻衣子さんが出ていた。

「あしたも晴れ!人生レシピ」という番組で、「癒やしの猫社会学」というテーマの日だった。

猫の魅力や、猫と出社してもよい会社なども扱っていたが、プラスして川上麻衣子さんの猫の保護活動への思いと取り組みなどの紹介もしていた。

彼女が、一般社団法人「ねこと今日」を立ち上げYOUTUBEに上げたり、フェイスブックで「ニャナカタウン(NYANAKA TOWN)」というサイトをもったり、いろいろ活動していることなども扱われていた。

さらに、番組では彼女が描いた猫のデザイン画もたくさん出てきて、その可愛らしさや独特のタッチに、感心したのであった。

独特の感覚がある、多彩な人なのだなあと、彼女に対して認識を改め、少し関心がわいたのだった。

 

その翌週、図書館に行くと、旅行本のコーナーにあった本が目についた。

その背表紙に書かれた書名が、「川上麻衣子 ストックホルムからの手紙」という本であった。

こんなに短時間(短日間)に、「川上麻衣子」に関するものがいろいろ目に入るなんて、どういうことだ。

ならば、この本、読んでみろということか?

スウェーデン、よく知らないものなあ………、じゃ、読んでみるか。

そう思って借りてきた。

 

この本2001年10月20日第1刷発行の本であった。

もう23年も前。

今はもう58歳の彼女がまだ30代の半ばだった頃に出された本だ。

たくさんの写真の中に文章のページが入っているというような装丁。

写真を見ていてもスウェーデンの生活風景を興味深く見ることができた。

文章は、エッセーとして、彼女が多くの影響を受けたスウェーデンのかかわりが、細かく書かれていた。

スウェーデンならではの生活や習慣が、分かりやすい文章で具体的に書かれていた。

スウェーデンの小学校で自身が受けた性教育の実際などは、感心するばかりであった。

猫については、ストックホルムの街には、不思議とノラ猫がいないという記述もあった。

行ったことがない、スウェーデンという国や街が魅力に満ちて語られていて、非常に興味をそそられた。

 

ちょっと古い本だけど、スウェーデンの人や文化を理解するのにいい本だなあと思った。

そういうものだから、23年も前の本なのに、重宝されて置いてあるのだな。

川上麻衣子さんならではの感覚が、こうやって育っていったのかと納得した。

 

「徹子の部屋」の話を思い出しながら、「生前整理」では、両親のスウェーデンに関するものもたくさん処分せざるを得なかったのだろうなあ、と想像した。

この本は、彼女が30代のときのものであり、今は50代後半である。

誰でも子どもの頃に経験したことは、その人の人生に大きな影響を与える。

スウェーデンは、彼女にとってまさにそうだったのだなあ。

そのことも実感するような、一連の川上麻衣子さん関連の番組や本との出合いであった。

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つまらない試合ではあったが、まだ首位と勝ち点差1だよ(苦笑)~2024J1第2節アウェイガンバ大阪戦~

2024-03-02 19:49:32 | アルビレックス新潟

サッカーJ1リーグ第2節、アルビレックス新潟は、連続アウェイでガンバ大阪戦。

アルビのサポーターにとっては、久っしぶりのつまらない試合。

ガンバに、まったく歯が立たずやられた感じ。

 

徳島の監督をしていたときから、こうすれば新潟に勝つ、って戦い方を知っているような、ガンバ大阪のポヤトス監督。

自信をもって新潟対策が、徹底的になされていたように見えた。

GKやDFに対し、前からプレスに来るだけでなく、サイドにボールが運ばれると、そこにも人数をかけてボールを奪いに来た。

これに対して、新潟は、ボールを下げることしかできず、ちっとも前にボールを出せなかった。

プレスに対し、苦し紛れにパスを送っていると、ガンバの選手が足を動かしてボールを奪い、攻撃につなげる。

その繰り返し。

素人目にも、もっと動いてボールを受けに行かなくてはいけないよな、と思った。

動いている選手に対しても、いいパスが供給されないので、チャンスは全くなし。

【ダゾーン調べの前半スタッツ】

ボール支配率で上回っても、前半のシュート、わずか1本。

ガンバの方が、シュートを8本も打っていた。

新井直人のブロックがないと、確実に1点を失っていた。

 

後半は、修正するだろうから、どうやって活路を見出すか、楽しみにしていた。

少しは、チャンスも生めるようになってきたから、これからだと思っていた。

69分、松田がペナルティエリアに入り、瞬間的にGKと1対1になり大チャンスだったが、GKの正面のシュートは、しっかりセーブされてしまった。

 

この後の26分、ガンバ大阪のシュートをうまく外したと思っていたら、新井のプレーがVAR判定で、PKの決定。

VAR憎し。

宇佐美のキックは、小島がコースを読んだ方に飛んだが、シュートの鋭さが勝った。

 

高木、谷口、松田→小見、長倉、ダニーロと選手を一気に3人代え、苦しい局面を打開しようと計ったが、決定的なシーンを生むところまでにはいかなかった。

さらに、キャプテン堀米を新井に代えて投入したが、短い時間で成果を出せず。

【ダゾーン調べの試合全体スタッツ】

結局、あのPKの1点が決勝点になってしまった。

だけど、新井のプレーは非難できない。

だって、彼は、一歩も引かず戦っていたもの。

彼がいなければ、前半のうちに失点していたことだろう。

PKにつながったプレーだって、積極的に守備に行った結果だ。

仕方ない。

松橋監督も、そこはしっかり評価して新井を見ていた。

 

 

これで、昨年から続いた公式戦無敗記録は10で止まってしまった。

だけど、あせることはない。

J1は、2戦を終えて勝ち点4のチームが首位から6位まで並ぶ。

勝ち点3のチームは、7位から13位まであって、アルビは11位となっている。

アルビは、勝ち点1の差でしかないのだ。

 

昨季負けた最後の試合は、8月の鹿島戦だった。

そこから皆で立て直して、守備が強くなり、無敗試合を連続していったのだ。

今回の敗戦も、きっと生かして強くなるだろう。

 

ただ、松橋監督のことだから、もう少し選手起用にチャレンジしていくかもしれないな。

去年も、シーズン前半は様々な選手を起用していったのだった。

今日も、勝った開幕戦とは違う選手たちを先発で起用していた。

「全員が戦力」となるためには、今季も調子のいいいろいろな選手を使って、戦い方や試合でのパフォーマンスを試していくような気がする。

試合に出ないと、監督も選手自身も、本当の実力は分からない。

機会を与えることは、大事なことだろう。

だからこそ、負けないでほしいなあ。

次節は、いよいよホーム開幕戦となる。

2戦連敗の名古屋相手に、スカッとした勝利を見せてほしいものだ。

 

Visca Albirex !!

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