ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

父の生誕記念の日、時の流れをあれこれ思う

2024-03-10 22:05:33 | 生き方

3月10日。

このブログでは、何度もこの日が、私の亡父の誕生日だったことを書いてきた。

父は、辰年の生まれだったから、生きていれば今年が年男のはずである。

年男だと言えるのは、生まれた年は別にして12年ごとに巡ってくるときだろう。

そう考えると、ここまで生きていれば8回目の年男として、96歳を迎えたはずだった。

ところが、56歳で亡くなった父は、数えてみると、4回しか年男となっていないことに気づく。

亡くなってから、辰年を4回迎えているのだ。

幻の60歳、72歳、84歳、そして96歳。

56歳で亡くなったから、それからもう40年も過ぎたのだ。

年月の流れは早い。

 

生前の父は、自分の誕生日の話になると、「オレの誕生日は、陸軍記念日(と同じ日)なんだ」と言って、誇らしげにしていた。

陸軍記念日とは、戦前(戦中も)の日本が定めていた日。

これは、1905年3月10日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日であり、翌1906年3月10日が第1回陸軍記念日となったとのこと。

ついでに言えば、5月27日が海軍記念日で、同じく日露戦争の日本海海戦で帝国海軍が勝利したから定められたという。

 

今どき、陸軍記念日だなんて言っても、分かる人なんかほとんどいないだろう。

1945年3月10日の東京大空襲の日、ということなら少しは分かる人も増えるかもしれないが。

 

父が志願兵となって生きていて、東京大空襲があり、終戦の年となった1945年は、酉年であった。

その次の酉年である1957年に生まれたのが、私である。

今となっては、「たった」12年しか違わないのである。

 

それなのに、明日3・11は東日本大震災から13年にもなってしまう。

戦争が終わってから、私が生まれるまでよりも、多くの時間が流れたことになる。

私が、戦争中のことをよく知らないのと同じように、今の中学生以上は、能登地震とは比べものにならないほど大きな被害が出た東日本大震災のことを知らないのだ。

 

1957年に私が生まれてから現在まで67年になるのに比べ、逆に時計の針を戻していってみると、先ほど話題にした大昔のはずの日露戦争は、私の生誕よりなんと52年「しか」昔のことでしかないことに気づき、がく然とする思いがある。

 

1945年に戦争が終わってから、今年で79年。

戦争の悲惨さに気づき、以降の日本は戦争をしない平和の尊さを知る国となっている。(ちょっと怪しい向きもあるが)

逆に、1945年の79年前は?…計算すると、1886年。

なんと明治維新より前の江戸時代になってしまうのだ。

明治維新以降1945年までの80年近く、日本は富国強兵の道を歩んできたといえるだろう。

そして、それ以降の80年は、戦争をしないという憲法のもと、平和で自由がある国となっている。

 

時は、淡々と過ぎていく。

その時の流れを重ねていくと、個人にせよ、国にせよ、歴史ができる。

 

父のことから、陸軍記念日、終戦、日露戦争、東日本大震災、戦争までの日本、戦争後の日本…いろいろなことに思いが飛んだ。

そんなことをとりとめなく考えた、3月10日、亡父の生誕記念の日…。

コメント (8)
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