書名を見て、チェコへの旅行本だと思って、借りてみたのだった。
まったく違い、旅行のガイド本ではなかった。
タイトルだけ見ると、故人であるはずの「加藤周一、米原万里と行く」と書いてある。
旅行先のチェコに関しての2人の思い出話が語られるのかな、と思っていたら違っていた。
中身が違い過ぎて、不平不満を言った読者も多かったことだろう。
私も、読み始め当初はそれを言いたい読者の一人だった。
加藤周一氏や米原万里氏のこともよく知らないままに読んでいった。
著者の小森氏と金平氏の2人が、加藤氏や米原氏とどのように知り合ったとか、どのように関係を深めていったとか、旅行先のチェコとはほとんど関係ない話ばかりの始まりであった。
それでも、旅行先のチェコのことについては、1968年の「プラハの春」のできごとを大きく挙げていた。
また、1989年に共産党政権の打倒と民主化を実現した「ビロード革命」は、市民の行動によって流血の惨事を回避することができたのだった。
社会主義政権下でのこれらの動きがあったのは、裏返せば市民の意識の高さがあったということがうかがわれる。
本書の中では、ページ数は多いというほどではないが、チェコがどういう歴史をたどって現在に至ったのかということには、きちんと触れている。
様々な変遷を経ながらも、ヤン・フスの宗教改革など、横暴に対する抵抗もあった土地であった。
そのようなチェコの自由を求める市民意識の高さに比べて、もの言わぬ日本の意識の低さには怖さがある。
日本人たちは、特に「知らない」「考えない」で済ませている。
そこに大きな違いがある。
後半に、辛淑玉氏が対談に加わるのだが、ドイツと日本の高校生の違いの話が興味深かった。
ドイツの高校生が日本の高校生に、「靖国にA級戦犯が合祀されていることをどう思うか?」と質問したら、日本の高校生は、「ヤスクニって何?」から始まって、「A級」を「永久」と取り違えてみたりで、ちっとも議論にならなかったという。
高校生でなく小学生でも、その話があった。
100点ばかり取っている子なのに成績が悪いので、母親が先生に文句を言いに行くと、先生はその子が授業に参加していないからなのだとの返答。
先生は、「1+1が2になることを知っているより、そのプロセスについて、自分の意見を言えることが大切なのだ」と言った。
納得できない母親は、「来て間もないからドイツ語がしゃべれないから仕方ない」と反論したが、先生は、「トルコやシリアの難民の子たちは、来て間もないけれど授業に参加している」と答えた。
結局、その子の母は怒って、子どもを日本人学校に転校させた。
…このような話に、日本の一般的な子どもの育て方からしても、日本の未来の危うさを思った。
「中欧から見た世界と日本」という副題がついているが、こちらの方が中心の書名でもよかったように思えた。
ちょっと衝撃的だったのは、米原氏から聞いた暴露話だった。
米原万里氏が橋本龍太郎首相のロシア語通訳を勤めていた当時、首相が酒に酔って彼女の部屋に突然入ってきていきなり覆い被さって来たというのだ。
米原氏は腕力があるから、蹴っ飛ばしてことなきを得たのだそうだ。
彼は「おれがこういうふうに来て、断ったのはお前が初めてだぞ!」と捨て台詞を残して帰っていったのだとか。
すごい話だな。
ともあれ、本書は、2019年3月、トランプ大統領、安倍首相の時代に出された本だったから、そこに対する批判めいた文章も多く載っている。
読む人によっては不快になることも多かろう。
だが、危機意識をもって、日本では一人一人が自分の考えをしっかり持った行動をしていかないと危うい時代を迎えると感じさせた。
旅行本と勘違いした本だったが、そんな危機感を抱いたので、読んでよかったと思う本であった。